WORLD HISTORY ─ GREECE & ROME
ギリシア・ローマ
紀元前800年ごろ 〜 476年
17
解説記事
約1300年
あつかう時間
4
学びのフェーズ
民主政を生んだギリシアのポリス、地中海を統一したローマ帝国。ヨーロッパ文明の土台となった約1300年の歴史を、戦争・英雄・哲学の3つの軸でたどります。世界史の最初の山場を、ここでまとめて攻略しましょう。
BC500
ペルシア戦争
BC431
ポリスの内戦
BC334
東方遠征
BC44
カエサル暗殺
BC27
帝政開始
476
西ローマ滅亡
なぜギリシア・ローマを学ぶのか
民主政・共和政・哲学──現代社会のルールと考え方の原点は、すべてこの時代にある。
選挙で代表を選ぶしくみも、法にもとづく政治も、物事を論理的に考える学問も、そのルーツは古代のギリシアとローマにあります。このページでは、ポリスの誕生からペルシア戦争・ヘレニズム・ローマ帝国の興亡までを4つのフェーズに分けて整理しました。哲学者たちの知の系譜も専用フェーズでまとめています。気になる用語のチップから個別記事へ進んでください。
Phase I ─ ポリスの世界
BC800〜BC431
BC800ごろ
BC500
Phase II ─ ヘレニズムへ
BC431〜BC30
BC431
ポリス衰退
ペロポネソス戦争 ─ アテネ対スパルタ、ギリシアの内戦
BC431年、アテネ陣営とスパルタ陣営がギリシアを二分して衝突します。BC404年にスパルタが勝利しますが、長い戦乱でポリス社会そのものが衰退していきました。
BC334
東方遠征
アレクサンドロス大王 ─ 東西を結んだ空前の大遠征
マケドニアのアレクサンドロス大王はBC334年に東方遠征を開始し、アケメネス朝ペルシアを滅ぼしてインダス川流域まで到達します。ギリシア文化が東方へ広がる転機となりました。
Phase III ─ ローマの共和政と帝政
BC509〜AD476
BC509
BC44
BC27
476
帝国の終焉
西ローマ帝国の滅亡 ─ 古代の終わり、中世の始まり
帝国は395年に東西へ分裂し、ゲルマン民族の大移動で混乱した西ローマ帝国は476年に滅亡します。ヨーロッパ史はここから中世へと移っていきました。
Phase IV ─ ギリシア・ローマの知
哲学・科学・文化
BC6世紀
BC5〜BC4世紀
BC3世紀
02
Chronology
ギリシア・ローマのハイライト年表
BC800ごろ
ギリシア各地にポリス(都市国家)が成立
BC500
ペルシア戦争が始まる(〜BC449)
BC480
サラミスの海戦でギリシア側が勝利
BC431
ペロポネソス戦争が始まる(〜BC404)
BC334
アレクサンドロス大王が東方遠征を開始
BC323
アレクサンドロス大王の死、ヘレニズム時代へ
BC264
ローマとカルタゴのポエニ戦争が始まる
BC44
カエサルが暗殺される
BC31
アクティウムの海戦でオクタウィアヌスが勝利
BC27
アウグストゥスが事実上の帝政を開始
313
コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認
395
ローマ帝国が東西に分裂
476
西ローマ帝国が滅亡
03
FAQ
ギリシア・ローマでよく出る疑問
アテネは商業が盛んで、市民が政治に参加する民主政を発展させたポリスです。一方スパルタは、少数の市民が多数の隷属民を支配するため、軍国主義的な国制をとりました。この対照的な2大ポリスの関係が、ギリシア史の大きな軸になります。
アレクサンドロス大王の東方遠征をきっかけに生まれた、ギリシア文化とオリエント文化が融合した文化のことです。ミロのヴィーナスなどの美術や、アルキメデスに代表される自然科学の発展が特徴です。
領土拡大にともなう社会の格差や内乱で、市民が主体の共和政が機能しなくなったためです。カエサルの独裁と暗殺を経て、BC27年にアウグストゥスが権力を一手に集め、共和政の形式を残したまま事実上の帝政(元首政)を始めました。
帝国が広くなりすぎて統治が難しくなり、395年に東西へ分裂したことが背景にあります。さらにゲルマン民族の大移動による混乱が続き、476年にゲルマン人傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国は滅ぼされました。