執権政治の始まり(1199〜1221)|鎌倉時代STEP②

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執権
第2章 / 1199〜1221年

執権政治の始まり

源氏三代が途絶え北条氏が台頭。尼将軍・北条政子の活躍、承久の乱での朝廷への勝利が執権政治の基盤を固めた約22年。

1203
比企能員の変
1219
実朝暗殺
1221
承久の乱
1203
比企能員の変
1213
和田合戦
1219
実朝暗殺
1221
承久の乱
Phase I — 源氏三代の終焉と北条氏台頭
1199〜1219年
1199〜
政変始まり
頼朝死後の権力争い — 比企・畠山・和田氏の粛清

1199年の頼朝急死後、嫡男・頼家が就くも、比企能員(頼家の外戚)・畠山重忠・和田義盛ら有力御家人が次々と粛清されます。北条時政・義時父子が巧みに権力を掌握し、幕府の実権を握っていきます。

1219
源氏断絶
源実朝の暗殺 — 源氏将軍家の断絶

三代将軍・源実朝が鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺されます。「金槐和歌集」でも知られる文化人将軍の悲劇的な最期。源氏将軍の断絶後、北条氏は摂家将軍・皇族将軍を擁立し、完全に幕府の実権を握ります。

▶ 深く読む
北条政子とは?尼将軍の生涯・承久の乱での演説・なぜ歴史に残るのか
「頼朝公の御恩を忘れるな」——武家の世を守った尼将軍の決断とその実像。
源実朝 北条政子(尼将軍) 公暁(くぎょう)準備中
Phase II — 承久の乱と六波羅探題
1221年
1221
武家VS朝廷
承久の乱 — 後鳥羽上皇vs幕府 武家政権の存亡をかけた戦い

後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を発し、朝廷が武家政権に挑んだ最初で最後の大戦。北条政子が「頼朝公の御恩を忘れるな」と御家人に訴え結束を固め、幕府軍が京都を制圧。上皇方は隠岐・佐渡・土佐に流されました。

▶ 深く読む
承久の乱とは?後鳥羽上皇vs北条義時——武家政権存亡の戦いをわかりやすく解説
なぜ上皇は幕府に負けたのか。承久の乱が日本史を決定づけた理由。
1221以降
支配拡大
六波羅探題の設置 — 幕府の西国支配が確立

承久の乱後、幕府は京都に六波羅探題を設置し、朝廷監視・西国御家人統制・裁判を担わせます。また没収した上皇方の荘園に地頭を大量に配置し、幕府の支配が全国規模に拡大しました。

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