頼朝
鎌倉時代まとめ / 第1章
第1章 / 1185〜1199年
鎌倉幕府の成立
源頼朝が守護・地頭を設置し、日本初の武家政権を樹立。御恩と奉公・惣領制・大番役——鎌倉武士社会の骨格が整えられた約14年間。
1185
守護・地頭設置
1192
征夷大将軍就任
1199
頼朝死去
1180
以仁王の令旨
1185
守護・地頭設置
1192
征夷大将軍
1199
頼朝死去
Phase I — 挙兵・壇ノ浦・幕府の誕生
1180〜1185年
1180
挙兵
以仁王の令旨と源頼朝の挙兵 — 武家政権誕生の第一歩
1180年、後白河法皇の皇子・以仁王が平氏打倒の令旨を発します。頼朝は伊豆で挙兵しますが、山木兼隆を討つも石橋山の戦いで大敗。しかし関東の武士たちが次々と参集し、鎌倉に根拠地を構えます。
1185
幕府成立
壇ノ浦の戦いと守護・地頭の設置 — 武家政権の始まり
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡。同年、頼朝は後白河法皇から守護・地頭の設置権を認めさせます。守護は国ごとの軍事・警察、地頭は荘園・公領ごとの土地管理を担い、これが武家政権の骨格となります。
▶ 深く読む
源頼朝とは?挙兵の理由・鎌倉幕府の成立・業績をわかりやすく解説
流人から武家の棟梁へ。頼朝が日本史上初の武家政権を樹立するまでの軌跡。
Phase II — 幕府組織の整備
1185〜1199年
1185〜
制度整備
御恩と奉公 — 鎌倉武家社会の基本原理
将軍が御家人に「本領安堵(先祖からの土地の保証)」「新恩給与(新たな土地の授与)」を与えることを「御恩」、御家人が戦時の軍役・平時の番役を果たすことを「奉公」といいます。この双務的な主従関係が鎌倉武家社会の核心です。
▶ 深く読む
守護・地頭とは?設置の背景・役割・荘園への影響をわかりやすく解説
なぜ地頭は荘園領主と対立したのか。守護・地頭制度が中世社会を変えた理由。
1191頃