610年 〜 現代
7世紀にムハンマドが開いたイスラーム教は、わずか100年ほどで西アジアから北アフリカまで広がる大帝国を生み出しました。オスマン帝国の栄光から現代の中東情勢まで、ニュースを深く理解するためにも欠かせない約1400年の歴史を、16本の記事でたどっていきます。
なぜイスラーム・中東史を学ぶのか
ニュースの奥にある1400年の文脈。中東を知ることは、現代世界そのものを読み解くこと。
イスラーム世界の歴史は、ムハンマドの登場から現代の紛争まで一本の線でつながっています。このページでは、イスラーム世界の成立と拡大、オスマン帝国の時代、そして現代中東の紛争と変動という3つのフェーズで全体像を整理しました。年表と重要事件を手がかりに、気になる時代から読み進めてみてください。
Phase I ─ イスラーム世界の成立と拡大
ムハンマドとイスラーム教の成立 ─ 622年のヒジュラが暦の起点に
メッカの商人ムハンマドは610年ごろ唯一神アッラーの啓示を受け、イスラーム教をとなえ始めました。622年のメディナへの移住(ヒジュラ)は、イスラーム暦の元年とされています。
ウマイヤ朝からアッバース朝へ ─ スンナ派とシーア派の分裂
ムハンマドの死後、正統カリフ時代を経て661年にウマイヤ朝が成立しました。カリフの後継をめぐる対立からスンナ派とシーア派の分裂が生まれ、750年に成立したアッバース朝では都バグダードが大いに栄えました。
十字軍とイスラーム世界 ─ セルジューク朝の西進が引き金に
セルジューク朝の西進を背景に、1096年から十字軍の遠征が始まりました。約200年におよぶ戦いのなかで、サラディン(サラーフ=アッディーン)が聖地イェルサレムを奪回したことはよく知られています。
バグダード陥落 ─ モンゴル軍がアッバース朝を滅ぼす
1258年、モンゴル軍がバグダードを占領し、アッバース朝は滅亡しました。以後、イスラーム世界の中心はエジプトのマムルーク朝や、のちに台頭するオスマン帝国へと移っていきます。
Phase II ─ オスマン帝国の時代
オスマン帝国の発展 ─ コンスタンティノープル征服でビザンツ帝国が滅亡
1299年ごろアナトリアに成立したオスマン帝国は、1453年にコンスタンティノープルを征服してビザンツ帝国を滅ぼしました。16世紀のスレイマン1世の時代には、地中海世界に君臨する大帝国となります。
オスマン帝国の動揺と滅亡 ─ 三枚舌外交が現代中東の火種に
19世紀、ムハンマド=アリーの台頭やタンジマートなどの改革を経ても衰退は止まらず、オスマン帝国は第一次世界大戦で敗北。大戦中のイギリスの多重外交(三枚舌外交)はパレスチナ問題の一因となり、1922年のスルタン制廃止で帝国は滅亡しました。
Phase III ─ 現代中東の紛争と変動
中東戦争 ─ 第4次では石油危機が世界経済を直撃
イスラエルとアラブ諸国の間で、中東戦争は4次にわたって戦われました。1973年の第4次中東戦争ではアラブ産油国の石油戦略により第1次石油危機が起こり、日本を含む世界経済に大きな影響を与えました。
湾岸戦争から9.11・イラク戦争へ ─ ISの盛衰と2026年の情勢
1990年のイラクによるクウェート侵攻から1991年に湾岸戦争が起こり、2001年のアメリカ同時多発テロは2003年のイラク戦争につながりました。その混乱から台頭したISの盛衰、そして2026年のイラン攻撃まで、中東情勢は今も動き続けています。