シーア派・スンニ派の違いをわかりやすく解説!なぜ対立するのか歴史から理解する

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シーア派・スンニ派の違い

もぐたろう
もぐたろう

今回はイスラームの2大宗派、シーア派とスンニ派の違いについて、歴史の成り立ちから現代の対立まで、わかりやすく丁寧に解説していくよ!

📚 この記事のレベル:高校世界史
📖 山川出版社『詳説世界史』準拠
🎯 共通テスト・大学受験(中東史・イスラーム史)対応

この記事を読んでわかること
  • シーア派・スンニ派が分かれた本当の理由(教義の違いではなく政治的後継者争いだった)
  • カルバラーの戦い(680年)がシーア派のアイデンティティを形成した悲劇
  • 2つの宗派の7つの違い(礼拝・イマーム観・聖地・祭礼など)
  • シーア派が多い国・スンニ派が多い国の世界分布
  • テスト頻出ポイント(サファヴィー朝・十二イマーム派・ファーティマ朝)

「シーア派とスンニ派は、宗教的な教義の違いで対立している」——そう思っていませんか?

実は、両派に教義の大きな違いはほとんどありません。コーランの内容も、礼拝の作法も、基本的には同じです。教科書では「宗教の違い」と習いますが、2つに分かれたのは、純粋に「誰がリーダーになるべきか」という後継者争い——いわば1,400年前の政治的な権力闘争から始まりました。

ニュースで「イラン」「サウジアラビア」「宗派対立」という言葉を見るたびに、頭の中が「?」になる。そんな人にこそ、この記事を読んでほしいと思います。歴史の根っこを知れば、中東の複雑なニュースがぐっと見えやすくなりますよ。

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シーア派・スンニ派とは?3行でわかる基本

3行でわかるまとめ
  • スンニ派:イスラーム世界の約80〜90%を占める多数派。後継者は信仰と実力で選ぶべきという立場
  • シーア派:全体の約10〜20%。後継者はムハンマドの血縁(アリーの子孫)であるべきという立場
  • 分裂の原因:教義の違いではなく、632年のムハンマド死後における「後継者争い(政治的事件)」

まず、それぞれの名前の意味から確認しましょう。

スンニ派すんにはの「スンナ(سُنَّةスンナ)」とは、アラビア語で「慣行・規範」を意味します。ムハンマドの言行録(ハディースはでぃーす)にもとづく「正しい慣行に従う者たち」という意味で、多数派として知られています。

一方、シーア派しーあはの「シーア(شِيعَةシーア)」は、アラビア語で「党派・支持者たち」を意味します。正式には「シーアト・アリーしーあとありー(アリーの党派)」——つまり、ムハンマドの従弟・娘婿にあたるアリーありーを正統な後継者として支持した人々の流れを汲みます。

📌 イスラームの基礎知識:イスラームは7世紀にアラビア半島でムハンマドむはんまどが創始した宗教。唯一神アッラーあっらーを信仰し、コーラン(クルアーン)を聖典とする。礼拝・断食・巡礼など「五行」が義務とされる。現在世界に約19億人の信者がおり、キリスト教に次ぐ世界第2位の宗教。

ゆうき
ゆうき

テスト前なんだけど、スンニ派とシーア派ってどう覚えればいい?

もぐたろう
もぐたろう

まず「分裂の原因だけ」押さえよう!スンニ派は「多数決で選ぼう派」、シーア派は「ムハンマドの血縁しか認めない派」——今でいう組織の後継者争いをイメージしてみて。名前の語源は「スンニ派=慣行に従う」「シーア=アリーの支持者」だよ!

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なぜ2つに分かれたのか?ムハンマド死後の後継者争い

イスラーム初期の拡大地図(正統カリフ時代)
イスラーム初期の拡大地図(正統カリフ時代)
著作者:Dr.Sami Salamah / 出典:Wikimedia Commons / ライセンス:CC BY-SA 4.0(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/)

話は1,400年前、アラビア半島あらびあはんとうに遡ります。

西暦632年、イスラームを創始した預言者ムハンマドむはんまどが死去しました。ムハンマドは後継者を指定しないまま亡くなったため、イスラーム共同体(ウンマうんま)は混乱に陥ります。

「次のリーダーは誰なのか」——この問いをめぐり、人々は2つの考え方に分かれました。

考え方①(多数派の立場):実力と信仰心で選んだ優れた人物がリーダーになるべきだ

考え方②(アリー支持派の立場):ムハンマドの血縁者・娘婿のアリーありーこそが正統な後継者だ

多数派の合議によって選ばれたのは、ムハンマドの親友で岳父でもあるアブー・バクルあぶーばくるでした。彼が初代カリフ(後継者・代理人)に就任します。

📌 カリフとは?:アラビア語で「後継者・代理人」を意味する言葉。今でいうイスラーム世界のトップリーダー(政治・宗教を兼ねる)にあたります。アブー・バクルを初代に、ウマル・ウスマーン・アリーの4人が「正統カリフせいとうかりふ」と呼ばれます。

こうしてアブー・バクル(第1代)→ウマル(第2代)→ウスマーン(第3代)と後継者が選ばれていきますが、第3代カリフのウスマーンは656年に暗殺されます。

この混乱の中でようやく第4代カリフに就いたのが、アリー支持者たちが待ち望んでいたアリーありーでした。しかしアリーは就任からわずか5年後の661年、モスクの中で暗殺されてしまいます。

アリーの死後、シリア総督だったムアーウィヤがカリフの地位を奪い、イスラーム世界初の世襲王朝ウマイヤ朝を建国します(661〜750年)。

アリーの死と「血縁によらないカリフ位の世襲」——この出来事がシーア派支持者たちの怒りに火をつけ、スンニ派とシーア派の対立が深まっていくことになります。

もぐたろう
もぐたろう

大企業の創業者が突然亡くなったとき「後継者は長男(血縁)か、社内の実力ある幹部か」で会社が割れる——あのイメージだね。スンニ派は「合議で優秀な人を選ぼう派」、シーア派は「血縁しか信用できない派」だったんだよ。で、多数決に負けたアリー支持派が「俺たちが正統だ!」と抵抗した——これがシーア派の始まり!

あゆみ
あゆみ

つまり、ムハンマドが「次はこいつ」って決めておけば、分裂しなかったってこと?

もぐたろう
もぐたろう

そういう見方もできるね!シーア派の人々は「実はムハンマドはアリーを指名していた」と主張してるんだけど、スンニ派は「指名なんてなかった」と反論する。歴史的に確認できる記録がないから、1,400年たった今も「解釈の違い」として残ってるんだ。歴史の争いって根深いよね…。

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カルバラーの戦い——シーア派の誕生を決定づけた悲劇

カルバラーの戦い(680年)の絵画
カルバラーの戦い(680年)の絵画 出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

灼熱の砂漠に、わずかな水も尽きた——。

680年ヒジュラひじゅら暦61年)10月。現在のイラク・カルバラーかるばらーの地で、イスラーム史を大きく変えることになる戦いが起きました。

主人公は、アリーの次男にしてムハンマドの孫にあたるフサイン。彼はウマイヤ朝の支配に抵抗し、クーファ(現イラク)の支持者たちに呼ばれて立ち上がります。しかし現地に向かう途中、ウマイヤ朝の大軍(諸説あるが数千〜数万人)に包囲されてしまいます。

フサインの一行は約72人——女性や子どもを含む小さな一団でした。数日間にわたって水の補給を断たれ、極限状態に追い込まれたフサインは、それでも降伏を拒みます。

そして680年10月10日。カルバラーの荒野で、フサインは一族のほぼ全員とともに命を落としました。

もぐたろう
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カルバラーの戦いがシーア派にとって特別な意味を持つのは、フサインの死が単なる「政治的敗北」ではなく、「正義のために命を賭けた殉教」として語り継がれているからなんだ。「不正な権力に対して正しい道を歩んだ人物が殺された」——この物語が、シーア派の信仰の核心になったんだよ。

この悲劇はシーア派に「殉教じゅんきょう(正義のために命を捧げること)」という重要な精神的支柱をもたらしました。シーア派の人々にとって、フサインは単なる歴史上の人物ではなく、信仰の象徴なのです。

そしてこの出来事から生まれたのが、今も続く祭礼アーシューラーです。

📌 アーシューラーとは?ムハッラム月むはっらむつき(イスラーム暦の1月)10日に毎年行われるシーア派の祭礼。フサインの命日を悼み、シーア派信徒が行進・哀悼の儀式を行います。イランやイラクでは国をあげた大規模な行事となっており、数百万人が参加することも。日本でも在日イラン人コミュニティが追悼行事を行っています。

カルバラーの戦いは、スンニ派とシーア派の分裂を「取り返しのつかないもの」にしました。それまで「後継者の選び方についての意見の違い」だったものが、フサインの殉教によって「血の憎しみを伴う深い傷」へと変わったのです。

ゆうき
ゆうき

カルバラーの戦いって、テストではどう問われるの?

もぐたろう
もぐたろう

「680年」「フサイン(アリーの息子・ムハンマドの孫)」「ウマイヤ朝に敗死」「シーア派の分裂を決定づけた」の4点セットが出やすいよ!特に「フサインがムハンマドの孫」というところは人物関係を問われることが多いから押さえておこう。

スンニ派・シーア派、何が違う?7つの比較ポイント

「分裂の原因は後継者争いなのに、なぜ今でも対立しているの?」という疑問もありますよね。実際には、1,400年の歴史の中で礼拝の作法や宗教指導者の考え方にも少しずつ違いが生まれました。ここでは2つの宗派の主な違いを7つのポイントで整理します。

比較ポイントスンニ派シーア派
世界の割合約80〜90%(多数派)約10〜20%(少数派)
後継者の考え方合議・実力で選ぶ(血縁不問)ムハンマドの血縁(アリーの子孫)のみ正統
宗教指導者の呼称ウラマー(学者)・カリフイマーム(特別な権威を持つ指導者)
イマームの概念礼拝指導者(一般名詞)神に選ばれた正統な後継者(神聖な権威)
礼拝の作法両手を胸または腹の前で組む両手を体の横に垂らしたまま礼拝
主な分布国サウジアラビア・トルコ・エジプト・インドネシア等イラン・イラク・バーレーン・アゼルバイジャン等
代表的な祭礼ラマダン(断食月)・犠牲祭アーシューラー(フサイン追悼)・ラマダン

あゆみ
あゆみ

「イマーム」ってよく聞くけど、スンニ派とシーア派で意味が全然違うの?

もぐたろう
もぐたろう

スンニ派での「イマーム」は礼拝のときの先導者——今でいう「礼拝をリードする人」という一般的な意味。でもシーア派の「イマーム」は全然違う!アリーの子孫でムハンマドから神の知恵を受け継いだ「正統な後継者」という特別な宗教的権威を指すんだよ。同じ言葉でも意味が全く違う——これがシーア派とスンニ派の神学的な核心部分なんだ!

なお、礼拝の作法の違いはあくまで「少しの差」で、どちらもコーランを聖典とし、アッラーを唯一神とする点では完全に同じです。「対立しているのに、同じ礼拝をしている」という部分が、両派の複雑さをよく表しています。

📌 十二イマーム派とは?:シーア派の最大分派(シーア派全体の約85%)。アリーから数えて12代目のイマームが幼いまま「隠れた」(874年頃)とされ、やがて再臨するという信仰を持つ。現在のイランの公式宗派。「隠れイマーム」思想は、現代のイラン・イスラーム共和国の政治体制とも深く関わっています。

世界分布と「シーア派が多い国」はどこ?

スンニ派・シーア派の世界分布地図

著作者:Ghibar ほか / 出典:Wikimedia Commons / ライセンス:CC BY-SA 3.0(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/)

世界のイスラーム人口は約19億人(2023年現在)。そのうちスンニ派が約80〜90%を占める圧倒的な多数派で、シーア派は約10〜20%の少数派です。

ところが「少数派」と言っても、一部の地域では圧倒的な支配力を持っています。ここが中東の複雑さです。

シーア派が国民の多数を占める国(主なもの)

  • イラン:国民の約90〜95%がシーア派(十二イマーム派)。「シーア派の盟主」として中東に強い影響力を持つ
  • イラク:国民の約60〜65%がシーア派。国内はシーア派・スンニ派・クルド人の3勢力が複雑に絡み合う
  • バーレーン:国民の約70%がシーア派だが、王室・支配層はスンニ派。この構造が政治的緊張を生んでいる
  • アゼルバイジャン:国民の約85%がシーア派系(ただし世俗的な傾向が強い)

スンニ派が多数を占める主な国

  • サウジアラビア:国民の約85〜90%がスンニ派。「スンニ派の盟主」としてイランと対立
  • トルコ:国民の約80〜90%がスンニ派(ただし世俗主義国家)
  • エジプトパキスタンインドネシア:いずれもスンニ派が人口の大多数

もぐたろう
もぐたろう

「世界全体ではスンニ派が圧倒的多数なのに、なんでイランが中東でそんなに強いの?」って思った人、鋭い!それはね、16世紀にサファヴィー朝さふぁゔぃーちょうという王朝がイランでシーア派を国教にしたのがきっかけ。「イラン=シーア派の国」という構図はたった500年前に作られたものなんだよ。

実は世界最大のイスラーム人口を抱えるのはアジアです。インドネシア(約2億4,000万人以上)、パキスタン(約2億人以上)、インド(約2億人)はすべてスンニ派が大多数を占めており、中東だけがイスラーム世界ではないことも知っておきましょう。

ゆうき
ゆうき

サファヴィー朝ってなに?教科書でちょっと見たけど覚え方がわからない…

もぐたろう
もぐたろう

サファヴィー朝さふぁゔぃーちょうは1501年にイランで建国された王朝で、十二イマーム派(シーア派の最大分派)を国教に制定した!覚え方は「サファ=シーア、1501年」でセット暗記!これが現代のイランがシーア派盟主になった歴史的出発点だよ。テストでは「サファヴィー朝=シーア派国教化」は必ずセットで出るから要チェック!

次の章では、スンニ派対シーア派の対立がなぜ現代のイランとサウジアラビアの争いにつながるのか、その構造を詳しく解説します。


なぜ対立は続くのか——イランvsサウジアラビアの構図

中東・イスラーム世界の宗派分布地図
緑(スンニ派)・黄色(シーア派)・紫(イバート派)
著作者:Ghibar ほか / 出典:Wikimedia Commons / ライセンス:CC BY-SA 3.0(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/)

「1,400年前の後継者争いが、なぜ今のニュースにまで出てくるの?」——この疑問への答えは、現代の中東政治を読み解く核心にあります。

今日の「シーア派対スンニ派」の対立を象徴するのが、イランとサウジアラビアの関係です。

イラン:シーア派(十二イマーム派)の国家。「シーア派の盟主」として中東各地のシーア派組織を支援

サウジアラビア:スンニ派(ワッハーブ派)の国家。「スンニ派の守護者」として聖地メッカ・メディナを管轄し、イランと対立

しかしここで重要なのは、「宗教の違い」だけで説明しきれない部分があるという点です。

あゆみ
あゆみ

ニュースでよくイランとサウジが対立してるって聞くけど、これって本当に宗派の問題なの?

もぐたろう
もぐたろう

「宗派の違い」は表向きの旗印で、本音は石油利権・地域覇権・代理戦争という国家間のパワーゲームなんだよ!宗教を「政治の道具」として使っている部分がある——これが現代中東の複雑さだね。

■ 代理戦争の現場——シリア・イエメン・レバノン

イランとサウジは直接戦争こそしていませんが、「代理戦争」という形で各地で衝突しています。

📌 代理戦争とは?:大国が直接戦わず、別の国や武装組織を支援することで間接的に対立する戦争のこと。今でいう「後ろからお金と武器を提供して戦わせる」イメージです。

  • シリア内戦(2011年〜):イランはアサドあさど政権(アラウィー派=シーア派系)を支援。サウジは反政府勢力(スンニ派主体)を支援。両国の代理戦争の最前線となった
  • イエメン内戦(2014年〜):イランが支援するフーシ派ふーしは(シーア派系)と、サウジが率いる連合軍が激突。「中東最悪の人道危機」とも言われる
  • レバノン・ヒズボラ:イランが資金・武器を提供するシーア派武装組織ヒズボラひずぼらがレバノン政治を左右する存在に。イスラエルとも対峙

■ 宗教から国家間パワーゲームへの変容

もともと「1,400年前の後継者の選び方の違い」だったものが、今では石油・軍事・外交・核開発を巡る国家間の覇権争いへと姿を変えました。

とくにイランが1979年のイスラーム革命によってシーア派神政国家になって以降、両国の対立は「宗派」と「政治」が分かちがたく絡み合う構造になりました。

もぐたろう
もぐたろう

2023年にイランとサウジが中国の仲介で国交を正常化したのは世界的なニュースになったね。「宗派対立もお金と外交で動く」という現実を見せてくれた出来事だったよ。歴史の「なぜ」を知っておくと、こういうニュースがずっと立体的に見えてくるんだよね!

次の章では、高校世界史・共通テストで問われるポイントを一気に整理します。

テストに出るポイント

ここからは定期テスト・共通テスト・大学受験で押さえておきたいポイントをまとめます。試験直前の見直しにも使ってください。

テストに出やすいポイント
  • スンニ派・シーア派の分裂(632年):ムハンマド死後の後継者(カリフ)選出方法をめぐる対立が起源。「後継者は血縁か・合議か」という政治的事件
  • カルバラーの戦い(680年)フサインふさいん(アリーの息子・ムハンマドの孫)がウマイヤ朝うまいやちょう軍に敗死→シーア派の「殉教精神」の源泉。「680年・フサイン・カルバラー」は一問一答で頻出
  • ウマイヤ朝(661〜750年):アリー暗殺後に成立したイスラーム初の世襲王朝。スンニ派系。首都はダマスクス。750年にアッバース朝あっばーすちょうに倒される
  • アッバース朝(750〜1258年):ウマイヤ朝を倒して成立。スンニ派系。首都バグダード。民族を問わずイスラーム教徒を平等に扱う「イスラームの普遍帝国」。共通テストで「ウマイヤ朝との違い」を問われやすい
  • ファーティマ朝(909〜1171年):北アフリカ・エジプトに成立したシーア派(イスマーイール派)の王朝。カイロを建設。スンニ派のアッバース朝と対立。「シーア派の王朝」の代表として頻出
  • サファヴィー朝(1501〜1736年):イランで建国。十二イマーム派じゅうにいまーむは(シーア派の最大分派)を国教化。「イランがシーア派の国になった歴史的出発点」として最頻出。覚え方:「サファ=シーア、1501年」
  • 十二イマーム派:シーア派の約85%を占める最大分派。12代目のイマームが「隠れた」として再臨を信じる。現代イランの公式宗派

📌 共通テストで出やすい比較ポイント:①ウマイヤ朝(スンニ派・661年・ダマスクス)vsアッバース朝(スンニ派・750年・バグダード)の違い ②ファーティマ朝(シーア派・エジプト)vsサファヴィー朝(シーア派・イラン)の違い ③スンニ派の「カリフ」vsシーア派の「イマーム」の概念の違い——この3つの比較は選択肢で迷いやすいので要注意!

比較項目スンニ派シーア派
意味(語源)スンナ(慣行・規範)に従う者シーア(アリーの党派・支持者)
世界の割合約80〜90%(多数派)約10〜20%(少数派)
後継者(指導者)の選び方合議・実力主義(血縁不問)ムハンマドの血縁(アリーの子孫)のみ
宗教指導者の最高概念カリフ(代理人・選出制)イマーム(神から与えられた権威・血統制)
代表的な王朝ウマイヤ朝・アッバース朝・オスマン帝国ファーティマ朝・サファヴィー朝
主な分布地域サウジアラビア・エジプト・トルコ・東南アジアイラン・イラク・バーレーン・アゼルバイジャン

ゆうき
ゆうき

ファーティマ朝とサファヴィー朝、どっちがどっちか混乱するんだけど…一番確実な覚え方を教えて!

もぐたろう
もぐたろう

これで覚えよう!「ファーティマ朝=エジプト・10世紀・イスマーイール派」「サファヴィー朝=イラン・16世紀・十二イマーム派」——地域と世紀がちがう!どっちもシーア派だけど、場所と時代がまったく違うんだよ。共通テストではこのセット暗記が最優先だよ!

シーア派・スンニ派の理解を深めるおすすめ本

もぐたろう
もぐたろう

シーア派・スンニ派についてもっと深く知りたい人に、おすすめの本を紹介するよ!

①イスラームの宗派対立を歴史から理解したい人に|シーア派専門の研究者が書いたコンパクトな入門書

シーア派―台頭するイスラーム少数派

桜井 啓子 著|中央公論新社(中公新書)

シーア派・スンニ派に関するよくある質問

「後継者(指導者)をどう選ぶか」の考え方の違いです。スンニ派は信仰と実力で選ぶ合議制を支持し、シーア派はムハンマドの血縁であるアリーとその子孫のみを正統な指導者(イマーム)と認める立場です。教義(コーランの解釈や礼拝の基本)に大きな違いはなく、分裂の原因は632年のムハンマド死後に起きた「政治的な権力争い」でした。

680年のカルバラーの戦いが決定的でした。アリーの息子・フサインがウマイヤ朝軍によって一族ごと虐殺されたこの事件は、シーア派の人々にとって単なる政治的敗北ではなく「正義のために命を捧げた殉教」として語り継がれています。この「血の記憶」が1,400年にわたって受け継がれ、毎年アーシューラーの祭りで追悼される——感情的・信仰的な傷が、分裂を「修復不可能なもの」にしたのです。

主な国は以下の通りです。イラン(国民の約90〜95%がシーア派)、イラク(約60〜65%)、バーレーン(約70%)、アゼルバイジャン(約85%)。これらの国はすべてシーア派が国民の多数を占めます。一方、世界全体ではスンニ派が約80〜90%の圧倒的多数派で、サウジアラビア・トルコ・エジプト・インドネシアなどがスンニ派主体の国です。

まず語源で覚えましょう。スンニ派は「スンナ(慣行)に従う多数派」、シーア派は「シーア(アリーの党派)」。王朝との組み合わせは「ファーティマ朝=シーア派・エジプト・10世紀」「サファヴィー朝=シーア派・イラン・16世紀(1501年)」がテスト最頻出です。ウマイヤ朝・アッバース朝はスンニ派系。カルバラーの戦い(680年・フサイン敗死)はシーア派成立の決定的事件として一問一答形式で出ます。

16世紀初頭(1501年)に建国されたサファヴィー朝がシーア派(十二イマーム派)を国教として強制したためです。それ以前のイランはスンニ派が多数派でした。サファヴィー朝の宗教政策によって「イラン=シーア派」という構図が成立し、それが現在まで続いています。1979年のイスラーム革命でもシーア派の神学者ホメイニーが政権を握り、シーア派国家としての性格がさらに強化されました。

表向きは宗派の違いですが、実態は石油利権・地域覇権・代理戦争という国家間のパワーゲームの側面が大きいです。イラン(シーア派)とサウジアラビア(スンニ派)がそれぞれ中東各地の武装勢力や政権を支援し、シリア・イエメン・レバノンで代理戦争を展開しています。2023年に中国の仲介でイランとサウジが国交を正常化したように、対立は「永遠のもの」ではなく、政治的利害で変化しうるものでもあります。

まとめ:シーア派・スンニ派の違いを整理しよう

シーア派・スンニ派のポイントまとめ
  • 分裂の原因は「教義」ではなく「後継者争い(政治的事件)」——632年のムハンマド死後に始まった権力闘争
  • カルバラーの戦い(680年)がシーア派のアイデンティティ(殉教精神)を決定づけた
  • スンニ派が世界の80〜90%の多数派・シーア派はイラン・イラク中心の10〜20%
  • サファヴィー朝(1501年・イラン)がシーア派を国教化した歴史的出発点
  • 現代の対立はイランvsサウジという石油・覇権をめぐる国家間パワーゲームが本質
  • テスト頻出:サファヴィー朝・ファーティマ朝・カルバラーの戦い・十二イマーム派

シーア派・スンニ派 分裂の年表
  • 570年頃
    ムハンマド誕生(アラビア半島・メッカ)
  • 610年頃
    ムハンマドが最初の啓示を受けイスラームを説く
  • 632年
    ムハンマド死去→後継者(カリフ)問題が勃発。スンニ派・シーア派の対立が始まる
  • 656年
    アリー、第4代カリフに就任。アリー支持派(シーア派の起源)が結束
  • 661年
    アリー暗殺→ウマイヤ朝成立(スンニ派系・初の世襲王朝)
  • 680年
    カルバラーの戦い→フサイン(アリーの息子)敗死→シーア派の殉教精神の確立
  • 750年
    アッバース朝成立(スンニ派系)→ウマイヤ朝を打倒。バグダードを首都に繁栄
  • 909年
    ファーティマ朝成立(シーア派・イスマーイール派)→北アフリカ・エジプトを支配
  • 1501年
    サファヴィー朝成立→イランでシーア派(十二イマーム派)を国教化。現代イランのシーア派の起源
  • 1979年
    イスラーム革命→イランがシーア派神政国家に。イランvsサウジの代理戦争構造が本格化

もぐたろう
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以上、シーア派・スンニ派の違いについてのまとめでした!1,400年前の後継者争いが現代のニュースにまでつながってる——歴史ってほんとに長い物語だよね。下の記事でイスラーム史やイランの歴史もあわせて読んでみてください!

合わせて読みたい記事

📅 最終確認:2026年5月 / 参照:山川出版社『詳説世界史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「シーア派」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「スンニ派」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「カルバラーの戦い」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「サファヴィー朝」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「アリー・イブン・アビー・ターリブ」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「フサイン・イブン・アリー」「十二イマーム派」(2026年5月確認)
コトバンク「シーア派」「スンニ派」(デジタル大辞泉・日本大百科全書、2026年5月確認)
山川出版社『詳説世界史』(2022年版)

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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