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松方財政を簡単にわかりやすく解説【内容と影響、銀本位制確立までの流れを抑える】

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もぐたろう
もぐたろう

今回は1881年から実施された松方財政まつかたざいせいについて、わかりやすく丁寧に解説していきます。

この記事を読んでわかること
  • 松方財政ってなに?
  • なぜ松方財政は行われたの?
  • 松方財政って具体的に何をやったの?
  • 松方財政で日本はどう変わったの?
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松方財政とは

松方財政とは、日本経済の過激なインフレーション(物価上昇)を止めるために、松方正義まつかたまさよしが実施したインフレ防止政策のことです。

松方財政は効果抜群で、インフレーションを抑えることに大成功しました。

しかし、効果が効きすぎてインフレを抑えるどころか、デフレーション(物価の低下)を招く結果となり、人々の生活を苦しめてしまいました・・・。

この記事の主役!松方正義
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インフレの原因は西南戦争

松方財政がインフレ対策のために行われたのは分かったけど、そもそもなぜ、対策を講じなければならないほどのインフレが起きたの?

もぐたろう
もぐたろう

インフレが起きた理由は、1877年に起こった西南戦争にあったんだ。

1877年、九州地方で明治政府に対する大反乱が起こりました。これが西南戦争です。

明治政府は西南戦争の鎮圧に成功しました。しかし、その代償として4,100万円もの戦費を負担することになります。

1877年の西南戦争を除いた国家歳出は約4,800万円でした。つまり、明治政府は平時の国家予算と同じ規模の莫大なお金を西南戦争に使ってしまったということです。

※今と昔ではお金の価値が違うので現代風に例えてみると、令和元年の国家歳出(一般会計)が約100兆円なので、単純計算でそれと同程度(100兆円)が西南戦争に投入されたことになります。そう考えるとトンデモナイ金額です・・・。

明治政府はそんな大金を持っていなかったので、不換紙幣ふかんしへいを大量にることにしました。

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兌換紙幣と不換紙幣

いきなり登場した「不換紙幣」というワード。説明がないと意味不明だと思うので、少しだけ補足説明をしておきます。

私たちも日常的に利用している紙幣(千円札とか1万円札とか)ですが、実は紙幣には2つの種類があります。

それが兌換紙幣だかんしへい不換紙幣ふかんしへいです。

兌換紙幣とは

本位通貨ほんいつうか(金貨や銀貨)と交換可能な紙幣のこと。交換は国が行います。

1万円の兌換紙幣を国に持っていけば、国がその兌換紙幣を1万円に相当する金貨or銀貨と交換してくれるのです。

国が交換義務を負う関係上、兌換紙幣は国が保有している銀貨・金貨の総額分までしか発行することができません。

発行量に制限がある代わりに、兌換紙幣は価格が安定(急激なインフレ・デフレが起こりにくい)していて、金銀に交換できるため国際的な信用力の高い紙幣です。

当時、世界の多くの国で金本位制が採用されており、金貨と交換可能な兌換紙幣が利用されていました。

明治政府は、日本の貨幣制度を世界基準に合わせるために金本位制の導入・兌換紙幣の普及を目指していましたが、当時はいろいろあって頓挫している状況でした。

不換紙幣

兌換紙幣と真逆で、「金貨・銀貨と交換できない紙幣」のことを不換紙幣と言います。今、私たちが使っているお金は、この不換紙幣です。

兌換紙幣のように「国が保有する金貨・銀貨の総額分までしか発行できない」という縛りがないので、比較的自由に紙幣を発行することができます。

当時の日本は、兌換紙幣の普及に頓挫していたため、西南戦争の巨額の戦費を不換紙幣の大量発行によってまかなうことにしました。

しかし、不換紙幣にもデメリットがあります。

それは、自由に紙幣を発行できるからといって打ち出の小槌のごとく安易に紙幣を乱発すると、紙幣の価値が下がって急激なインフレーション(物価上昇)が起こることがあります。

西南戦争によってインフレが起こったのも、不換紙幣を大量発行したことが大きな原因でした。

1個100円のおにぎりがあったとします。

Aさんは手持ち150円でおにぎりを一個を買いました。残金は50円です。

政府が不換紙幣をジャブジャブ発行したおかげで、インフレが起こり、みんな今までの2倍お金を持つようになりました。

つまり、Aさんの手持ちは300円です。

すると、Aさんは今まで1つしか買えなかったおにぎりを3つ買えるように見えますが、実際はそうならないことがほとんどです。なぜなら、おにぎりを売る側が「みんな昔の2倍のお金を持っているなら、2倍の値段にしても売れるだろ」と考えるからです。

こうして、おにぎりは1個200円に値上がり(物価上昇)します。

これは同時に、「100円で買えたものが買えなくなった」=「100円の価値が下がった」ことを意味しているので、物価上昇は見方を変えると「紙幣の価値が下がった」とも言うことができます。

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インフレが起きたもう1つの理由:銀行制度の見直し

実は、インフレが起こった理由は西南戦争だけではありません。

西南戦争が起こる1年前(1876年)、国立銀行条例という条例が見直されて、銀行の仕組みが大きく変わりました。

明治政府は、列強国の銀行制度を参考にして「銀行に兌換紙幣を発行させることで、兌換紙幣を広く普及させよう!」と考えました。

明治政府は、列強国の最新技術を取り入れながら富国強兵ふこくきょうへいを目指していました。

そして、富国強兵を目指すには、兌換紙幣を普及させて、列強国と円滑な貿易を行うことが必要不可欠だったのです。

こうして1872年に国立銀行条例が制定されて、兌換紙幣の発行権を持った民間銀行の設立が認められました。

・・・が、これは失敗します。なぜかというと、紙幣との兌換(交換)に必要な金貨が国内で不足していたので、必要な金貨を確保できる銀行がほとんどなかったからです。

そこで政府は1876年に国立銀行条例を改正して、「兌換紙幣が無理なら、経済活性化のために不換紙幣だけでも発行してくれよな。発行する条件も緩和するからさ!」と制度を変えてしまいました。

こうして不換紙幣が増えた矢先に、西南戦争が起こったことで、日本は急激なインフレに見舞われることとなったのです。

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インフレの何がダメなのか

ここまで、次の2点について確認しました。

ここまでのポイント
  • 松方財政はインフレ対策の政策であること
  • インフレは、西南戦争と銀行に不換紙幣発行させたことによって起こったこと

ここまで、「インフレ=悪」みたいな雰囲気で話が進んでいたけど、なぜインフレだとダメなの?デフレより良くない?

インフレの何がダメかというと、インフレによって政府の税収が減ってしまった点がダメでした。

当時の日本の税収は、地租ちそと呼ばれるものでした。地租は、人々が持っている土地の価格によって決まる、現金で納める税金です。

この「現金で」というところがポイントで、インフレによって不換紙幣の価値が下がることで、政府の税収が実質的に減少してしまいました。

上のおにぎりの例で言うと、インフレでおにぎりが一個100円→200円に値上がりした(紙幣の価値が下がった)のに、税収は100円のままなので、おにぎりが買えなくなって、実質的に税収が減った・・・というのと同じことが起こったのです。

明治政府は、西南戦争によってただでさえ財政破綻寸前の状態に追い込まれていたのに、インフレによる税収減がさらなる追い討ちをかけたのです・・・。

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松方財政が始まるまで〜大隈重信VS松方正義〜

では、この悪しきインフレを止めるにはどうすれば良いか?

この問いに対して、大蔵省はこう考えました。

大蔵省
大蔵省

流通している不換紙幣を兌換紙幣に交換すれば、インフレは解決する。

なぜなら、兌換紙幣は本位通貨(金貨や銀貨)と交換可能なので、紙幣の価値が金・銀の価値と連動するからだ。

金・銀の価値は安定しているから、兌換紙幣の価値も安定してインフレ(紙幣価値が下がる)は解消されるはず。

さらに大蔵省は、金貨不足で国立銀行条例がうまく機能しなかった反省から、こう考えました。

大蔵省
大蔵省

江戸時代末期から日本の金は国外流出し続けていて、金本位制を採用するための金が確保できない。

でも銀はたくさんあるから、金本位制の仕組みは残しつつ、メインは銀本位制とするハイブリッド型(金銀本位制)を臨時的に採用して、準備が整い次第、銀本位制に移行しよう!

国際基準(金本位制)とは違うけど、現状ではやむを得ない・・・。

大蔵省が考えた「流通している不換紙幣を兌換紙幣に交換する」方法は、大きく2つありました。

案1:流通している不換紙幣と同じ量の銀貨を用意する

大量発行した不換紙幣と同じ額面の銀貨を用意した上で、不換紙幣を兌換紙幣に切り替えていく。

案2:保有する銀貨の量に合わせて不換紙幣の流通量を減らす

西南戦争などで大量発行しすぎた不換紙幣を政府が回収して、日本が保有している銀貨と同じ量まで減らした上で、不換紙幣を兌換紙幣に切り替えていく。

兌換紙幣が発行できないのは、流通する不換紙幣の量に相当する銀が不足しているせいなので、これを解決するには、「銀の量を増やす」or「不換紙幣の量を減らす」の2択になるわけです。

1873年〜1881年にかけて大蔵卿おおくらきょう(大蔵省の一番偉い人)だった大隈重信おおくましげのぶは、案1を採用しました。しかし、銀の保有量を増やすというのは、当時の日本の情勢的に99.9999%無理ゲーでした。

なぜかというと、西南戦争の時に外国の製品を大量輸入して金貨・銀貨を大量に消費してしまったからです。日本は銀貨を増やすどころか、「どうすれば銀貨の流出を防げるか?」という問題に頭を抱えている状態でした。

そこで大隈重信はこんなことを考えます。

大隈重信
大隈重信

こうなったら、列強国から借金して(外債を募集して)銀貨を大量購入しようぜ!

しかし、列強国からお金を借りると言うことは、「お金を返せなかったら領土を奪われるかもしれない」というリスクを負うことを意味しています。

そのため、大隈重信の案は大批判を浴び、当時大蔵省のNo2だった松方正義も猛反発しました。

松方正義
松方正義

大隈重信よ、馬鹿なことを言うな。国を滅ぼすつもりか。

ここは安全に案2を採用すべきだ。もちろん案2にもリスクはある(後で登場する松方デフレのこと)。しかし、国が奪われるリスクよりはマシだ。

結局、大隈重信の案は採用されず案2の方針が採用され、さらにその大隈重信も1881年(明治14年)に政争に敗北し、政府から追放されてしまいました。(明治十四年の政変

1881年10月21日になると、大隈重信に代わって松方正義が大蔵卿となり、上で紹介した案2を実施に移すべく行動を開始します。これが松方財政です。

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松方財政の内容

松方正義が目指したのは、「保有する銀貨の量に合わせて不換紙幣の流通量を減らすこと」です。

松方財政では、不換紙幣の流通量を減らすため大きく2つのことを実施しました。

それが政府支出の削減増税です。

支出を減らして新しく発行する不換紙幣を減らして増税によって発行済の不換紙幣を政府の手元に回収しようとしたのです。

この政策によって不換紙幣の流通量を減らすと同時に、支出DOWN↓収入UP↑の相乗効果で国家財政の立て直しにも成功しました。

さらに、松方正義は支出を減らしながら、将来の兌換紙幣発行に備えて銀貨・金貨を政府の手元にストックし始めます。

さらに松方正義は1882年、兌換紙幣の発行権限を持つ日本銀行を設立しました。

民間銀行が不換紙幣を発行しまくったことがインフレの一因であるという反省を踏まえて、民間銀行の紙幣発行権を取り上げて、紙幣発行権を日本銀行に限定したのです。

1885年には不換紙幣と銀貨の量のバランスを保てる見込みが立ったため、いよいよ日本銀行による兌換紙幣の発行が開始されました。

この時発行された兌換紙幣は「日本銀行券」と呼ばれ、銀貨との交換が可能な紙幣でした。

当時発行された兌換紙幣(日本銀行券)

あとは、この兌換紙幣をすでに流通している不換紙幣と順次切り替えていけば、松方財政の目標は達成です。(この目標は数年をかけて無事に達成されました)

こうして銀貨の価値(正確には銀貨に含まれる銀の価値)によってお金の価値が担保される銀本位制ぎんほんいせいが日本に本格導入されました。(1885年〜)

銀本位制によって日本のお金(日本銀行券)の信用性は大幅UPし、日本の国際貿易の発展に大きく貢献することになります。

※欲を言えば列強国と同じ金本位制がベストだったのでしょうが、日本が金本位制を採用するのは1894年の日清戦争に勝利して賠償金をゲットした後になります。

松方財政の内容まとめ
  • 政府の支出を削減することで新規に発行する紙幣の量を減少
  • 増税によってすでに流通している不換紙幣を政府の手元へ回収
  • 流通する不換紙幣が減ったら、日本銀行を設立して兌換紙幣を発行
  • 日本に銀本位制が導入されて、お金の信頼性が大幅向上
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松方財政の副作用(松方デフレ)

インフレ対策の側面だけ見ると、松方財政は大成功でした。なんせ、インフレ解消と同時に国家財政を健全化し、銀本位制まで確立させてしまったのですから。

しかし、松方財政には負の側面もありました。松方財政の効果がありすぎて、日本の経済が急激なデフレーション(物価下落)に襲われてしまったのです・・・。

農民終了のお知らせ

松方財政による急激なデフレ(松方デフレ)は、農民の生活を直撃します。

先ほど、「インフレになって地租が実質的な減税となってしまった」という話をしましたが、これと真逆のことが起こり、デフレで地租が実質的な増税となりました。

手持ち120円で、1個100円のおにぎりを買って地租20円を払えていたのが、デフレで物の価値が半分に下がる(紙幣の価値が2倍に上がる)と・・・

手持ち60円で、1個50円のおにぎりが買えることになりますが、地租は定額の20円のため-10円の赤字となり、地租を支払うことができません。つまり、デフレは人々にとって増税と同じ効果があったのです。

デフレによって物の値段が下がり、ただでさえ収入が減っていたところに、増税が追い討ちをかけて生活に行き詰まってしまう農民が増加。

小規模な農地しか持っていない農民たちの中には、農地を売って換金して小作農をやったり都市へ出稼ぎに行くことで、なんとか食い繋ぐ者もいました。

小作農とは

他人から土地を借りて農業をすること。土地の持ち主に土地の借料(小作料)を払う必要があり、地主が儲かる仕組み。

民衆は自由民権運動で不満を爆発させる

松方デフレで没落していった者の中には、自由民権運動に身を投じる者が多く、松方デフレを通じて自由民権運動は勢いを増していきます。

さらに自由民権運動は次第に過激化するようになり、松方デフレの真っ最中であり1884年には、大規模な暴動である秩父事件が起こっています。

松方財政は確かに当初の目的(インフレ抑制)を見事に達成し、国家税制の立て直し・銀本位制の確立という輝かしい成功を納めました。しかし、一方では日本にデフレをもたらし国民生活を大いに苦しめる深刻な副作用をもたらしたのです。

もちろん、松方正義はデフレで国民に負担を強いることはわかっていたはず。それでも松方正義は、日本という国家を守るため、不退転の決意で松方財政の臨んだ・・・のだと思います。

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