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大犯三カ条を簡単にわかりやすく解説するよ【大番催促って何?守護の仕事を理解しよう!】

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もぐたろう
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今回は、守護の重要な3つの仕事「大犯三カ条だいぼんさんかじょう」についてわかりやすく丁寧に解説していくよ

この記事を読んでわかること
  • そもそも守護ってどんな人?
  • 大犯三カ条ってどんな仕事だったの?
  • なぜ大犯三カ条が守護の仕事になったの?
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そもそも大犯三カ条を任された守護って何者?

守護は、各国に原則1人ずつ配置された役職。国内の治安維持(警察の役割)や戦闘時の国内御家人をまとめることなどが仕事でした。

守護という役職が生まれた背景は、平安時代末期に起こった治承じしょう寿永じゅえいの乱(源平合戦)にあります。

治承・寿永の乱は、1180年〜1185年にかけて続いた平家一門VS源氏の戦乱。1185年の壇ノ浦の戦いで、源頼朝が平家軍を滅したことで終戦しました。

しかし、治承・寿永の乱が終わると、次は源氏一族の内部で争いが起こります。戦いを勝利に導いた最大の功労者であった源義経が、兄の源頼朝を無視して勝手な行動を始めるようになったのです。

1185年10月、源義経が後白河法皇から「源頼朝を討て!」との命令(院宣いんぜん)を受けると、さすがの源頼朝もブチギレます。

源頼朝
源頼朝

後白河法皇は、強くなりすぎた俺の存在を邪魔だと思っている。

それで、俺とギクシャクしていた源義経を利用したのだな。義経め、簡単に利用されやがって・・・。

売られた喧嘩だ。全力で買ってやるから覚悟しとけよ!!

事情を知った源頼朝は、すぐに軍勢を京都に送り込みます。そして後白河天皇を脅して、「源頼朝追討!」の命令を取り消させ、逆に「源義経追討!」の命令(院宣)を出させて、そのまま源義経を消してしまおうと考えました。

さらに源頼朝は、「源義経を討つため!」という口実で、信頼できる東国武士たちを全国各地に送り込みました。

送り込まれた武士に与えられたミッションは、義経と戦うための兵糧米を徴収、身を隠している義経を捜索するための警察的な仕事、さらには各地のお役人(在長官人)の支配などなど。

この時に各地に送り込まれた武士たちは、惣追捕使そうついぶし国地頭くにじとうなどと呼ばれ、この惣追捕使・国地頭が守護へと進化していくことになります。

※惣追捕使と国地頭は厳密には意味が異なるのですが、この記事では2つまとめて「惣追捕使」と書くことにします。

本来、惣追捕使は戦時中の臨時的な仕事に過ぎませんでしたが、1189年に源義経を討った後(奥州合戦)、源頼朝は平和になった後も惣追捕使を各国に置き続け、これを「守護」という恒久的な役職にしてしまいました。

源頼朝
源頼朝

俺の影響力を全国に広めるためにも、朝廷と交渉を続けて、戦乱が終わっても惣追捕使を置けるようにしよう!

こうして、惣追捕使(国地頭)は形を変えて、平時であっても常に置かれる守護という役職になったわけです。

各地に守護を置くことに成功した源頼朝
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大犯三カ条の仕事

大犯三カ条とは、具体的に以下の3つの仕事を言います。

大犯三カ条の3つの仕事
  • 1大番催促おおばんさいそく
  • 2 謀反人の逮捕
  • 3 殺害人の逮捕

このような背景で守護が登場しているため、守護の仕事である大犯三カ条には、守護がまだ惣追捕使と呼ばれていた頃の名残が残っています。

その典型的なケースが、2・3の謀反人・殺害人の逮捕の仕事です。敵を捕らえる惣追捕使の仕事が、平時の治安維持の仕事に受け継がれているのです。

1の「大番催促」は、惣追捕使→守護へと進化していく過程で生まれた新しい仕事です。大番催促については、もう少し詳しく紹介しておきます。

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大番催促

大番催促とは、京都大番役きょうとおおばんやくという仕事をする人を国内の御家人から選ぶ仕事のことを言います。

京都大番役は、天皇や上皇の御所を警備する仕事。地元を離れて京都に3ヶ月〜6ヶ月も長期滞在する仕事だったので、御家人たちにとっては実はかなり負担の大きい仕事だったりします。

しかし、負担が重いからといって、京都大番役をサボることもできません。なぜなら、京都大番役は御家人が将軍に奉公するための重要な仕事の1つだったからです。

京都大番役については、以下の記事で詳しく紹介しています↓

大番催促は、国内の御家人(地頭)たちに「次の京都大番役は、地頭Aな!よろしく!!」と、京都大番役をするよう催促する仕事のことを言います。

京都「大番」役をするよう、国内の御家人に「催促」する仕事だから「大番催促」というわけですね。

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御成敗式目と大犯三カ条

守護は戦時には国内の武士を統率する役目もあり、その仕事の性質上、国内に強い影響力を持ちました。

すると、守護の中には越権行為で国内の税金の徴収や地方行政の仕事を牛耳って地方の権力者になろうとする者も現れ始めます。

そこで1232年、北条泰時という人物が武士専用の法律「御成敗式目」を制定した際に、守護の仕事の範囲がはっきりと明記されることになりました。

御成敗式目には、「源頼朝により定められていた守護の仕事は、本来は大番催促・謀反人の逮捕・殺人犯の逮捕の3つである」と書かれていて、この3つをまとめて大犯三カ条と呼んだわけです。

ちなみに御成敗式目では、守護が大犯三カ条から逸脱した行動を取ることを違法行為として禁じており、悪質な守護はクビにすることが定められています。

北条泰時
北条泰時

守護は、大犯三カ条から逸脱したことをしてはダメ!

一国を支配しようとする不届な輩は、クビにするからな!!

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大犯三カ条の「大犯」って何?【おまけ】

大犯とは「大きな犯罪」という意味です。

大犯三カ条の3つの仕事のうち、謀反人・殺害人の逮捕は「大きな罪を犯した者を捕らえる」という意味で「大犯」という言葉が使われるのもわかります。

謀反人・殺害人の逮捕と続いたら、もう1つの仕事も当然犯罪者を逮捕する話なんだろうな!だって「大犯」三カ条なんだからね!!

と思いたくなりますが、もう1つの大番催促は直接犯罪者に関係する仕事ではありません。

それなのに、御成敗式目に定められた守護の3つの職務をなぜ「大犯三カ条」と言うのか?

実はハッキリとしたことはわかっていないようです・・・。

なんだか引っ掛け問題みたいですが、大犯三カ条とあるのに大番催促だけは犯罪とは直接的に関係ない点には注意しておきましょう!

この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

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