四条天皇の死因が可愛すぎてクソワロタwその生涯などをわかりやすく紹介する

今回はアホみたいな死因で崩御した四条天皇(しじょうてんのう)について紹介しようと思います。

 

 

四条天皇はそのトンデモナイ死因ばかりが有名なんですが、この記事では四条天皇の生涯や四条天皇を取り巻いた政治情勢なんかも交えて四条天皇について紹介してみようと思います。

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四条天皇と承久の乱

まずは以下の系図を使いながら、四条天皇が即位するまでの経過(歴史)を紹介します。

上の系図を見ると、天皇家は高倉天皇から3つの血統に別れていることがわかります。

 

1つ目は、安徳天皇。安徳天皇は平家に担ぎ出され即位した天皇で、壇ノ浦の戦いでの平家の敗北と共に命を落としました。
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2つ目は、後鳥羽天皇。本来は後鳥羽天皇が天皇家の家督となる予定でした。ところが1221年、その後鳥羽上皇が幕府に対して反旗を翻し挙兵。
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後鳥羽上皇が承久の乱でやらかしちゃったせいで、幕府は激おこ。幕府の強い意向によって後鳥羽上皇の血統は天皇家の直系から外され、そして登場するのが3つ目の血統である守貞親王(もりさだしんのう)の血統です。

 

 

承久の乱の後、天皇家は守貞親王を直系として再スタートし、守貞親王の息子である後堀河天皇が即位しました。

 

 

四条天皇はその後堀河天皇の息子に当たります。

四条天皇と不安定な皇位継承

承久の乱をきっかけに始まった守貞親王→後堀河天皇→四条天皇という皇位継承ルートですが、これがまた非常に不安定なものでした。

 

 

というのも、みんな若くして次々と亡くなっていってしまうからです。

 

 

1221年、後堀河天皇が即位したと思ったら1223年に父の守貞親王が44才で他界。

 

1232年、後堀河天皇がわずか2歳の四条天皇に譲位して、後堀河上皇として院政を始めた矢先、1234年に後堀河上皇が23歳という若さで崩御。

 

 

こうして、守貞親王から続く血統の運命はまだ4歳だった四条天皇に託されることとなります。(幼い四条天皇に国を治める能力はなく、政治は外戚だった九条道家という人物が主導して行うことになりました。)

 

 

血筋を守るためには、四条天皇が成長して正妻に男子を産んでもらう必要があるのですが、四条天皇はわずか12歳で崩御。守貞親王から続く血統は断絶し、その後は朝廷と幕府は皇位継承を巡って論争を繰り広げることになります。

 

 

そして、そんな大事な運命を託されていた四条天皇ですが、ある意味で壮絶な最期を遂げることになります。

四条天皇「女房の足滑らせようと思ったら自分で滑って崩御したったww」

とある日、四条天皇は床に滑り石という石をばら撒いて、女房たち転ばせて遊んでやろうと考えました。当時四条天皇は12歳、今でいうと小学生6年生ぐらいに相当します。四条天皇は、ヤンチャな子供だったのでしょう。

 

 

イタズラ心に胸をワクワクさせる四条天皇。

 

 

ところが、なんということでしょう。

 

 

四条天皇は、自分で仕掛けた滑る床で自ら転び、頭を打って崩御されてしまったのです。

 

 

四条天皇の突然の死は守貞親王の血統の断絶を意味し、後の皇位継承について幕府と朝廷は激しく対立する大事に発展していきます。事の大きさの割には、その最期はなんとも言えぬ哀愁漂う最期でした。

 

 

あの世にいる四条天皇は、自分の死に方が約800年経過した今も語り継がれていることを知ったらどう思うでしょうね。完全に黒歴史(´・ω・`)

四条天皇崩御の後

四条天皇の哀愁漂う崩御によって、守貞親王の血統は断絶。残されたのは承久の乱の首謀者である後鳥羽上皇に繋がる血統のみでした。

 

 

守貞親王、後堀河上皇、四条天皇とみんな若くして命を落としてしまったのは、後鳥羽上皇による怨霊の仕業ではないか?なんて噂も広まったそうです。結果的に天皇の直系は後鳥羽上皇の血筋に戻らざるを得なくなっているので、偶然にしては出来すぎているのは確かです。

 

 

後鳥羽上皇の血統にも大きく2つあって、順徳天皇につながる血統と土御門天皇につながる血統の2つがありました。(以下、系図を再掲しておきます!)

 

順徳か土御門か?で朝廷と幕府で揉めに揉めた結果、土御門上皇の息子である後嵯峨天皇が即位します

 

 

幕府としては承久の乱の際にイケイケ派だった順徳上皇よりも、後鳥羽上皇の血筋だけど温和で承久の乱に関与しなかった土御門上皇の血統の方が都合が良いと考えており、その幕府の考え方が採用されたわけです。(朝廷は順徳天皇推しだったけどダメだった)

 

 

 

 

四条天皇も、まさか自分がこんなヘンテコな死に方をして、しかもそのせいで国を巻き込んだ皇位継承問題を起こしてしまうなどとは夢にも思わなかったでしょう。しかし、もしかするとその若すぎる死は後鳥羽上皇による怨霊の仕業・・・かもしれません。

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