御成敗式目とは?簡単にわかりやすく徹底解説!【目的・内容から簡単な現代語訳まで】

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今回は、北条泰時が1232年に制定した日本初の武家法典「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」について紹介しようと思います。

この記事では、御成敗式目が制定された目的・内容・歴史的意義の3点を中心に紹介します。

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御成敗式目はなぜ制定されたの?

御成敗式目は1232年に制定されましたが、なぜこの時代に武家専用の法典が作られたのでしょうか?

その理由を探るヒントは、御成敗式目を制定した三代目執権の北条泰時の生涯にあります。

1224年、北条泰時は父義時の死を受けて三代目の執権として幕府の実質的トップに就任します。ところがその翌年の1225年、長年幕府を支えてきた重鎮、大江広元と北条政子が立て続けに亡くなります。

重鎮を失い、自らの政治基盤の脆弱さを悟った北条泰時は、他の御家人との関係上、父義時のような専制的な政治は行えないと判断。こうして北条泰時は「合議体制による集団指導政治」へと幕府の政治のあり方を大きく変更することを余儀なくされます。

こうして北条泰時は、幕府内の13人の合議制機関である評定衆を設置、さらに執権を補佐する連署という役割を置き、政策決定に多くの人の意見を取り入れられるよう組織改革を行いました。

しかし、皆が話し合って物事をスムーズに決めるには、みんなが従うルールみたいなものが必要になります。言いたいことを言うだけでは物事は解決しないのです。

それに、承久の乱以後、西国を支配下に治めた幕府には大量の問題や訴訟案件が山積みであり、それらを公正公平にそしてスムーズに処理する必要性に迫られました。

そこで御家人たちとの規範となるルールとして制定されたのが御成敗式目でした。

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北条泰時の心意気

では、御成敗式目を制定した本人である北条泰時は、御成敗式目についてどのように考えていたのでしょうか?

実は、北条泰時は御成敗式目に対する自分の熱意を当時、六波羅探題にいた北条重時に向けて手紙で次のように書き綴っています。

御成敗式目は、何かの資料に準拠したものではない。従者が主人に忠を尽くし、子が親に孝を尽くすように人の心を正直を尊び、曲がったものを捨てた平凡な「道理」に基づいて制定したものである。
身分の差によって判決内容が変わることがないようにしたい
公家法は武家にとっては難しくて理解できない。あの源頼朝ですら、訴訟などの際に、公家法を用いることはなかった。そこで私は、武家のための法典を制定した。あくまで武家のための法典であり、公家法に何か修正を加えるものではない。
きっと朝廷は「東国の人間風情が何を馬鹿なことをしているのか」「法典ならすでに公家法があるではないか」と色々と言うことがあるだろう。そんな時は、この手紙に書いた御成敗式目制定の理由を朝廷に伝えてほしい。

かなり端折って現代語訳してますが、こんな感じ。

北条泰時が目指したのは公家法のように何回で専門家でなければ理解できない法典ではなく、誰でも読める公正公平な法典でした。

「朝廷に馬鹿にされてでも、御成敗式目は制定する」そんな北条泰時の強い意志が御成敗式目には込められています。

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御成敗式目の内容は?

さて、上述の手紙の中で北条泰時は御成敗式目について「道理に基づいて制定した」と言っていますが、一体どんな内容なんでしょうか?

その内容は当時の武家社会の道理(常識)に、あの偉大な源頼朝の先例を加えたものでした。

御成敗式目は全部で51条の条項から構成されていますが、ここではそのいくつかをピックアップしてその内容を紹介してみようと思います。

第1〜2条:神社仏閣は大事にしようね

御成敗式目の最初の条に書かれているのは、「幕府の支配下の地域では、神社の祭りを大事にし神社仏閣のメンテナンスを怠らないこと!」ということが書かれています。

最初に神と仏の話が登場するのは決して偶然ではなく、日本人の信仰心の表れです。

第3〜5条:守護・地頭の権限の話

第3条には守護の3つの権限について規定されています。この3つの権限は大犯三か条と呼ばれるもので、守護の権限を定める御成敗式目の中でも特に大事な条項です。

大犯三か条とは

大番催促(朝廷の警護を御家人に命ずること)
謀反人の取り締まり
殺害人の取り締まり

です。さらに第4条では「大犯三か条以外の守護の越権行為は許さん!」という規定が盛り込まれています。

第5条には「年貢をちゃんと納めない地頭は処分する」という地頭の不正に対する対応が規定されています。

第6条:御成敗式目の適用範囲

第6条には「国司や領家の裁判に幕府は介入しないこと」が明記されています。

これはどーゆーことかというと、「御成敗式目は、幕府が各御家人たちに対して作った法典である。だから各御家人たちの家の中で起こるプライベートな裁判にまで幕府は介入しないし、御成敗式目は適用されないよ」ってこと。

この点は、意外と重要でまた後で紹介します。

第7〜8条:裁判の大前提

第7条と第8条では所領を巡る争いの大前提が規定されています。要点は2つ。

源頼朝、北条政子から与えられた土地はいかなる訴えがあってもその所領を奪われることはない
源頼朝が決めたように、20年以上実質的に支配した土地は、書面上の土地所有者が別の人であっても、その書面上の土地保有者に土地を返さなくても良い。

源頼朝と北条政子の存在の大きさがわかる条項です。そして、「土地の所有権は文書ではなく、実際に土地を支配しているヤツのものだ!」という単純明快な理論を展開しています。書面上の形骸化した土地の所有権を実態に合わせようとする意図があります。

第9〜15条:罪を犯した場合の対処法

・謀反を起こした時は、ケースバイケースで処分を決めるよ

・酔っ払った勢いで相手の命を奪ったらそれは死罪か流罪だよ。さらに仇討で人を殺めた時はその一族ごと同罪にするよ(仇討ちはやめろと言っている)

・夫が罪を犯したら妻も財産を没収されるよ。

・悪口はダメだよ。特に裁判で相手の悪口を言ったら、即敗訴決定だよ。

・人に暴力を振るったら重い処分を下すよ。特に御家人が相手に暴力を振るったら所領を没収するからね。

・代官(主人の代理で現地で土地の管理を行う者)が犯罪を犯しても、それをちゃんと幕府に報告すれば主人にまで罪は及ばないよ

・文書を偽造したら所領を没収するよ。

などなど。ちなみに、訴訟の際は諸々の証拠を文書で提出することが多く偽装文書が蔓延していたようです。

第16〜17条:承久の乱の戦後処理について

・承久の乱で土地を没収された者でも、後で謀反人でないことがわかればちゃんと土地を返すよ。逆に後で謀反に参加していたことがわかったら所領の五分の一を没収するよ

・父子が幕府側と朝廷側にわかれていた場合、幕府側についていたものは父であれ子であれしっかり恩賞を与えるよ。ただし、西国の武士の場合は父子のいずれかが朝廷側についていたら父子共に処分するよ

第18条以降・・・

第18条〜第25条:遺産相続について

第26条〜第31条:裁判について

第32条以降:その他雑多な規定

ちょっとこの記事では書ききれない量だったので第18条以降は省略しました。(すみません・・・)

御成敗式目の内容は以下のサイトにとても詳しく書いています。面白いのでぜひ全文読んでみて欲しい。

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御成敗式目の歴史的意義とは?

御成敗式目は、全国一律の御家人の規範として実利的にも大変有益なものでしたが、歴史的意義で考えれば、御成敗式目の凄さは次の2点にあると言えます。

正真正銘の日本オリジナル法典
後に各国で定められようになった分国法の基礎となった

それぞれ解説します。

御成敗式目が制定される以前の日本には公家法がありました。公家法はその起原を辿ると奈良時代に制定された大宝律令に辿り着きます。

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奈良時代、日本は超先進国だった唐の政治や文化を取り入れ、日本国を強国とすることに必死でした。大宝律令もそんな唐を参考に制定されたものであり、日本のオリジナルではありません。

その後、894年に遣唐使の派遣を廃止して以降、日本には国風文化という日本独自の文化が発展していきます。

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そんな日本特有の文化が生まれた後、初めて本格的に明文化された法典が御成敗式目だったのです。つまり、日本人の道徳心や国民性がより色濃く反映されているのが御成敗式目というわけなんです。(武家専用だけど!)

実際に北条泰時も、道理を重んじて御成敗式目を制定したと言っていますし、そんな観点で条項を読むと御成敗式目は途端にとても面白い読み物に早変わりします。

そして、御成敗式目の第6条の規定のとおり、御成敗式目はあくまで御家人たちに対する法典であって、所領内のプライベートな争い事には介入しないと言っています。

しかし、御成敗式目をきっかけに、各国でもプライベート用の本格的な法典が少しずつ整備されていきます。これは後に戦国時代に登場する各国の分国法のベースになるもので、その内容には御成敗式目の内容が色濃く反映されていると言われています。

つまり御成敗式目は、戦国時代に各武将たち制定することになる分国法のきっかけとなり、その規定内容のベースになったというわけです。

以上、御成敗式目についてその目的・内容について紹介してみました。

法律というとなんとも堅苦しいイメージがありますが、法律に規定されるほどの内容ですから、そこに載っている内容は、多くの人の関心ごとだったはずです。

時代背景やその歴史的意義を知った上で、「当時の人々はどんな問題を抱えていて、どんなことを考えていたのか?」という観点で見ると御成敗式目はとても面白いです。社会人の方ならその職業柄によっては法律に触れる機会も多いかと思います。昔の武士が作った法律を読んでみるのもまた一興なのではないでしょうか!

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