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国人一揆を簡単にわかりやすく解説するよ【傘連判で守護大名に対抗する!】

この記事は約8分で読めます。
国人一揆に使われた傘連判(出典:生駒市デジタルミュージアム
もぐたろう
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今回は、室町時代に登場する国人一揆こくじんいっきについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ!

この記事を読んでわかること
  • 国人一揆ってそもそも何?
  • 国人一揆はなぜ発生したの?
  • 国人一揆って何をしたの?
  • 国人一揆は、幕政にどんな影響を与えたの?
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国人一揆とは

国人一揆とは、その名のとおり国人が一揆したことを言います。

もぐたろう
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この説明だと「はっ?何言ってんのお前??」状態だと思うので、『国人』と『一揆』についてもう少し詳しく解説しておきますね。

国人ってそもそも何者?

国人とは、地元に根付いている各地の有力武士たちのことを言います。

力を持っていたので、地元ではボス的存在として農民たちを支配下に置いていました。

もぐたろう
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地元の親分みたいな感じなので、もともと幕府から地頭に任命されていた者も多くいたよ。

「地頭と国人の違いってない?」と疑問に思った人もいると思うけど、改めて説明するから続けてこの記事を読み進めてみてくださいね。

一揆ってなに?

なんらかの目的のために人々が一致団結して集まった集団のこと

つまり、国人一揆を分かりやすく言い換えると、『地元の有力武士たちが、なんらかの目的を達成するために結成した集団』ってことになります。

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国人が一揆を結成した時代背景

さて、国人は一体なんのために一揆を結成したのでしょうか。

その理由はとてもシンプル。『弱肉強食の世界で死なずに生き残るため!』です。

国人が歴史の表舞台に登場するのは、1350年ころ。ちょうど観応の擾乱が始まって、南北朝の争いがカオスになる時代です。

全国を巻き込んだ戦乱(観応かんのう擾乱じょうらん)が起きると、幕府による統治が各地にまで及ばなくなり、地方の人々は、自らの力で戦乱の世を生き延びる必要に迫られました。

地頭のような地位がある人たち(後に国人になる人たち)も、その地位に甘んじているだけでは戦乱の世を勝ち抜くことはできません。

観応の擾乱をきっかけに、これまでお上に従う立場だった地頭などの地元の有力者たちは、自ら考え行動する自立した存在へと変貌へんぼうしていきます。

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力を手に入れた守護と農民

戦乱によって変化を強いられたのは、地頭などの地元の有力者だけではありません。

地方では、守護や農民たちにも大きな変化がありました。

超進化を遂げた守護

守護は、南北朝の動乱を通じて強大な権力を手に入れます。

もともと守護の仕事というのは、大犯三か条と呼ばれる治安維持や軍事に関する仕事でした。

ところが、1346年には苅田狼藉の取り締まり使節遵行の権限を手に入れ

1352年には半済令によって、守護は年貢の半分を直接徴収する権限を手に入れます。

その後は、守護請を行うようになり、国内の領地を実効支配するようになりました。

国内の領地を実効支配するようになると、守護のあり方も大きく変わってきます。

守護は、国内の経済や行政なども支配するようになり、まるで一国の主人のような存在へと進化していったのです。こうして進化した守護のことを守護大名と言います。

権力者に楯突くようになった農民

農民たちもまた、大きな力を手入れつつありました。

まず一つに、鎌倉時代末期から農業の効率化が図られるようになりました。農民たちは、少しずつではありますが豊かさを享受するようになったのです。

もぐたろう
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鎌倉時代末期になると、二毛作(同じ土地で1シーズンに2つに品種を育てること)が可能になったり、肥料が改良されたりして、収穫高が増えるようになったんだ。

畿内では、収穫高が増えると、余った作物などを売買する定期市も開かれるようになって、商才のある人はどんどん稼げるようになっていったんだ。

経済的に余裕のできた農民たちは、権力者から理不尽な要求や、隣人トラブルに対処するため、みんなで集落(惣村そうそん)を作って、集団でこれに対抗するようになりました。

観応の擾乱をきっかけに戦乱が激化すると、国人と同じように農民たちも生き残りをかけて、惣村を作る動きを加速していきます。

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国人一揆

先ほど、国人にはもともと地頭だった武士が多い・・・という話をしました。

なぜ、国人に元地頭が多いのかというと、守護が国内の領地を支配するようになったせいで、地頭の仕事が失われてしまったからです。

今でいうリストラのようなものです。

もぐたろう
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これまで各領地を実効支配していたのは、地頭でした。

地頭はこれまで地頭請という形で領地を実効支配し、そこから収穫できた年貢(米や銭貨)で生計を立てていたのです。

ところが、守護が守護請を始めたことで、その仕事が奪われてしまいました。

地頭のポジションを失った多く武士は、ただの地元の有力武士・・・つまり国人になったわけです。

生計を立てる術を失った国人たちは、新しい生き残り戦略を考えなければいけません。

しかも、自分より上には守護が強大な権力を持って立ちはだかり、自分の下には反抗する力を得た農民たちがいます。

このままでは国人は、上からも下からも力で押しつぶされてしまいます。

・・・、そこで登場したのが国人一揆です。

国人たちの生き残り戦略は、ザックリと2つありました。

1つは、守護と主従関係を結んで、守護の下で働く。

もぐたろう
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守護は一国を支配下に置いたんだけど、一人で全部を治めるのは不可能。下請けをしてくれる人たちが必要で、地元の有力武士である国人にはうってつけの仕事だったんだ。

2つめは、守護の支配に徹底抵抗して、独自の勢力を築く。

どちらの戦略を採用するかは、人それぞれでした。国人一揆が結成されたのは、主に2番目の戦略を採用した場合です。

国人たちが独自の勢力を築くには、守護の圧力を跳ね返すと同時に、農民の抵抗を封じる必要がありますが、国人ひとりではそのような力はありません。

そこで、国人たちが一致団結して農民や守護に対抗しようとしたのが国人一揆なのです。

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国人一揆を結成する方法【一揆契状と傘連判】

一致団結と言葉では簡単に言っても、実際は簡単ではありません。

俺はあいつより広い領地を支配しているのに、なんであんな弱いやつの言うとこに従わないといけないんだ!

俺はこれまで修羅場を何度も切り抜けてきた。

それなのに、なんであんな何も知らぬ若者と一緒にされないといけないんだ!

といった感じで、人々が集まると必ず不満が生まれます。

そこで国人たちは、一揆の中で揉め事が起こらないよう、今で言う契約書のようなものを作ってみんなに納得してもらうことにしました。

この契約書のことを、一揆契状いっきけいじょうって言います。

一揆契状には、

みんな平等だよ!

ってことや、

決定ごとは多数決で決めようね!

ってことなどが定められていました。

しかも、一揆契状に書くサインにも一工夫が加えられました。

「なぜあいつの名前が俺よりも名前が上なんだ!」みたいな不平不満をなくすために、サインを円状にして書くことにしたんです。

この円状に名前をサインする方法のことを傘連判からかされんぱんと言います。

下の写真は江戸時代のものになりますが、傘連判の実物です↓↓

こうすれば、「あいつの名前が俺より上だ!」みたいな話がなくなりますよね。

傘連判は、みんなが公平にサインをする方法として、今でも用いられています。

例えば、お別れする人に書く色紙に円状にコメントを書くのも、ある意味で傘連判です。(もしかして今はあまりない・・・?)

こんなやつ↑
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国人それぞれの生き方

一揆を結成して、時代の大きなうねりを乗り越えようとした国人たち。

試練を乗り越えた国人たちの生き方はまさに十人十色じゅうにんといろでした。

そんな中、大成功を収めた国人には大きく2パターンの生き方がありました。

1つは、守護大名の家臣になって現地を支配する立場に立った者

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守護大名には、国人の現地支配を認める代わりに国人を家臣とする者もいました。特に一国全体の管理を任された守護代しゅごだいというポジションになると、強大な力を得ることができました。

ただし、多くの場合、絶対服従という関係ではありませんでした。力を持っていた国人たちは自分にメリットがなくなると、結構簡単に守護大名を裏切ることがありました。(これは、後に応仁の乱がカオスになった要因の1つでもあります。)

2つ目は、守護の支配を脱して農民をまとめあげ、独立に成功した者

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守護の力が弱い地域では、国人たちが独立に成功した事例もありました。

ただ、そんな国人たちも、戦国時代が始まると次第に戦国大名(武田信玄たけだしんげんとか織田信長おだのぶながのこと)の家臣になるケースが多かったようです。

成功を収めた国人たちは、守護や農民たちの動きを左右するキーパーソンとして歴史の表舞台で活躍するようになりました。

守護代になったり独立に成功した国人のなかには、さらに大成功を収めて後に戦国大名にまで上りつめる一族も登場しました。

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有名な戦国大名である毛利元就もうりもとなり伊達政宗だてまさむねなんかのルーツも実は国人だったりします。

この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

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室町時代
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