大阪城の歴史と見どころを徹底解説|天守閣・豊臣石垣館・修学旅行のポイントまで

特集 | 詳しく見る 2026年 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」 登場人物まとめ

大阪城

もぐたろう
もぐたろう

今回は大阪城の歴史と見どころについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ!修学旅行で行く人も、観光で訪れる人も、ぜひ最後まで読んでみてね!

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
🎯 修学旅行・観光ガイドとしても使えます

この記事を読んでわかること
  • 大阪城が実は「3代目天守閣」である驚きの事実
  • 豊臣秀吉が築いた大坂城の歴史と、徳川に埋められた豊臣石垣の秘密
  • 天守閣・豊臣石垣館・公園など見どころの完全ガイド
  • 修学旅行で押さえたい歴史ポイント3選
  • 入館料・アクセス・営業時間など最新の実用情報

スポンサーリンク

大阪城とは?3行でわかる日本一有名な城

「大阪城といえば豊臣秀吉とよとみひでよし」と誰もが思いますよね。ところが、実は今みなさんが見上げているあの天守閣は、秀吉が建てたものでも、徳川が建てたものでもありません。

昭和時代に大阪市民の寄付で造られた「3代目」の天守閣なのです。「えっ、じゃあ本物の大阪城ってどこにあるの?」——そんな疑問から、まずは大阪城の正体をサクッと整理していきましょう。

3行でわかる大阪城
  • 豊臣秀吉が1583年に築城した、日本を代表する名城
  • 豊臣・徳川・昭和の3代にわたって建て直された歴史を持つ
  • 現在の天守閣は1931年に大阪市民の寄付で再建された「3代目」

大阪城は、大阪市の中心部に広がる大阪城公園おおさかじょうこうえんの中にそびえ立つお城です。お城そのものだけでなく、広大な公園・お堀・石垣・重要文化財の建物まで含めて「大阪城」と呼ばれています。

ゆうき
ゆうき

修学旅行で大阪城に行くんだけど、何が有名なの?豊臣秀吉ってどう関係あるの?

もぐたろう
もぐたろう

大阪城は、天下統一を成しとげた豊臣秀吉が「自分の力を見せつけるため」に建てたお城なんだ。だから大阪城を知ると、戦国時代の終わりの歴史がまるごと見えてくるんだよ!見どころと歴史をセットで覚えると、修学旅行が10倍おもしろくなるよ◎

スポンサーリンク

実は3代目!大阪城の天守閣が建て直された理由

大阪城の歴史をひと言でまとめると、「3回建てられたお城」です。豊臣秀吉が建てた初代、徳川幕府が建てた2代目、そして昭和の大阪市民が建てた3代目——。順番に見ていきましょう。

■ 初代:豊臣秀吉が建てた大坂城(1583〜1615年)

初代の大坂城は、1583年に豊臣秀吉が築き始めました。当時の秀吉は、天下統一を目前にした最高権力者。その権力にふさわしい、金箔をふんだんに使ったきらびやかな天守を築き上げました。

ところが、秀吉の死後に起きた大坂夏の陣おおさかなつのじん(1615年)で、初代の大坂城は燃え落ちてしまいます。徳川家康に攻められ、豊臣家もろとも炎の中に消えたのです。

※「大坂」と「大阪」:江戸時代までは「大坂」と書きました。明治以降に「大阪」の表記が一般的になったため、本記事では歴史上の城を「大坂城」、現在の城・地名を「大阪城」と書き分けています。

■ 2代目:徳川が建て直した大坂城(1620〜1665年)

豊臣家を滅ぼした徳川幕府は、1620年から大坂城を建て直しました。これが2代目の大坂城です。

このとき徳川は、豊臣の大坂城をそのまま再利用せず、土を盛って豊臣の石垣を地中に埋め、その上にひとまわり大きな城を新しく築きました。「豊臣の痕跡を消し去り、徳川の力を見せつける」ねらいがあったといわれています。

しかしこの2代目天守も長くは保ちませんでした。1665年、落雷によって焼失してしまいます。以後、江戸時代を通じて天守閣のない状態が長く続きました。

■ 3代目:昭和に市民が建てた現在の天守閣(1931年〜)

そして、いま私たちが見ている天守閣は、1931年(昭和6年)に建てられた3代目です。驚くのはその建て方。なんと、大阪市民から集まった寄付金によって再建されたのです。

当時の大阪市民は、短期間で多額の寄付金を集めたと伝えられています。「自分たちの街のシンボルを取り戻したい」という市民の熱意が、今の大阪城を生んだのです。

3代目の天守閣は、鉄筋コンクリート造り。中はエレベーターも備えた博物館になっていて、最上階の展望台からは大阪の街を一望できます。

再建直後の大阪城天守閣(1931年)
再建直後の大阪城天守閣(1931年)(出典:Wikimedia Commons/CC0・大阪市)

あゆみ
あゆみ

えっ、じゃあ今の天守閣って「本物」じゃないの…?それを観光名所として見に行く意味ってあるのかしら?

もぐたろう
もぐたろう

たしかに豊臣秀吉の建物そのものは残っていないんだ。でもね、今の天守閣は「街のシンボルを取り戻したい」という大阪市民の意地と愛着で建てられたもの。つまり3代目は3代目で、れっきとした歴史を背負っているんだよ。しかも地下には、本物の豊臣の石垣がちゃんと眠っている——この話は後でくわしくするね!

スポンサーリンク

豊臣秀吉が築いた大坂城 — 天下統一の象徴

ここからは、初代・豊臣秀吉の大坂城をもう少しくわしく見ていきましょう。秀吉はなぜ、これほど巨大な城を大坂の地に築いたのでしょうか。

豊臣秀吉の肖像画(出典:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

1583年、天下統一に王手をかけていた秀吉は、のちの天下分け目の戦い(関ヶ原の戦い)よりも前、本願寺の跡地だった石山いしやまの地に城を築き始めます。ここは川と海に近く、水運の便にめぐまれた要地でした。

秀吉は全国の大名に石材や労働力を出させ、巨大な石垣と高くそびえる天守をもつ城を造り上げました。完成した大坂城は、まさに「天下人の城」と呼ぶにふさわしい威容を誇ったのです。

豊臣秀吉
豊臣秀吉

わしの城をこれほど大きく立派に造ったのは、天下に豊臣の威光を示すためじゃ!全国から石材を運ばせ、大勢の人手をかけた。まさに天下人の城よ。

城の周りには商人や職人が集まり、大坂は一気ににぎやかな城下町へと発展していきました。秀吉が大坂を選んだことは、のちに大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ成長する出発点にもなったのです。

■ 大坂夏の陣(1615年)と豊臣家の滅亡

1598年に秀吉が亡くなると、天下の実権はしだいに徳川家康とくがわいえやすへと移っていきます。家康にとって、大坂城に残る秀吉の子・豊臣秀頼とよとみひでよりは、天下を安定させるうえで目の上のたんこぶでした。

そして1614年の大坂冬の陣、翌1615年の大坂夏の陣で、ついに徳川と豊臣は全面衝突を迎えます。難攻不落とうたわれた大坂城も、外堀・内堀を埋められて裸同然となり、最後は炎に包まれました。

こうして豊臣家は滅亡し、初代・豊臣大坂城も歴史の表舞台から姿を消したのです。

大坂夏の陣図屏風(1615年)
大坂夏の陣図屏風(出典:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

📚 真田幸村、家康に迫る!:大坂夏の陣の最終決戦「天王寺口の戦い」で、真田幸村は徳川家康の本陣めがけて決死の突撃を敢行。家康がほぼ覚悟を決めたほどに追い詰めたといわれています。幸村はそこで力尽き、壮絶な最期を遂げましたが、「日本一の兵(つわもの)」と称えられたその生き様は、今も多くの人の心をつかみ続けています。

もぐたろう
もぐたろう

大坂の陣は、戦国時代を終わらせた「最後の大きな戦い」なんだ。これで徳川の天下が確定して、長い江戸時代の平和が始まることになるよ。修学旅行で大阪城に立つときは、「ここで戦国時代が終わったんだ」と思って見上げると感動するはず!

徳川が埋めた豊臣の石垣 — 地下に眠る「もう一つの大坂城」

ここで、大阪城のいちばん意外な秘密をお話しします。実は、私たちが今お堀ごしに見ている立派な石垣は、豊臣秀吉のものではなく、すべて徳川がつくり直した石垣なのです。

では、秀吉が築いた本物の豊臣の石垣はどこに行ったのか——。答えは「地下」です。徳川は豊臣の石垣を壊さず、その上に土を盛って埋め、さらに高い石垣を新たに築きました。つまり大阪城の足元には、豊臣の石垣と徳川の石垣が二段重ねで眠っているのです。

豊臣石垣館の外観
豊臣石垣館(出典:Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0・掬茶)

長らく「地下に眠る伝説」とされてきたこの豊臣石垣ですが、発掘調査によって実在が確認され、ついに一般公開する施設がオープンしました。それが豊臣石垣館とよとみいしがきかんです。

📍 大阪城 豊臣石垣館(2025年4月1日オープン):地中に保存されていた豊臣期の大坂城の石垣を、実際に間近で見学できる施設。地上の石垣は徳川期のもので、豊臣期の石垣は地下に眠っている——その「二つの大坂城」を体感できる、大阪城の新しい見どころです。開館時間は天守閣と同じ9:00〜18:00(入館17:30まで)、入館料は大阪城天守閣の入館料に含まれます(大人1,200円・高校・大学生600円・中学生以下無料)。

あゆみ
あゆみ

豊臣石垣館って2025年に新しくできたのよね?地下の本物の石垣が見られるなら、ぜひ行きたいわ。入場には別のチケットが必要なのかしら?

もぐたろう
もぐたろう

地下に眠る本物の石垣を間近で見られるのは、ここだけの特別な体験だよ!「地上は徳川、地下は豊臣」っていう二重構造を実感できるんだ。チケットや見学方法は変わることもあるから、最新情報は記事の後半のアクセス情報と公式サイトでチェックしてね◎

大阪城の見どころ完全ガイド

ここからは、実際に大阪城を訪れたときに見ておきたいスポットを、4つのエリアに分けて紹介します。「天守閣」「城内の重要文化財」「豊臣石垣館」「大阪城公園」——この4つを押さえれば、大阪城を一通り楽しめます。

■ 天守閣(8階展望台・歴史展示)

大阪城観光の主役は、なんといっても天守閣です。白い壁に金色の装飾がきらめく外観は、写真映えも抜群。中は歴史博物館になっていて、豊臣秀吉や大坂の陣に関する資料、屏風絵などの展示を楽しめます。

最上階の8階は展望台になっており、大阪の街を360度見わたせます。エレベーターも備わっているので、階段がきつい人や小さな子ども連れでも安心して登れます。

大阪城天守閣(南側からの全景)
大阪城天守閣(出典:Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0・DXR)

■ 城内の重要文化財(大手門・多聞櫓・千貫櫓など)

意外と見落とされがちですが、大阪城には天守閣以外にも見ごたえのある建物が数多く残っています。大手門おおてもん多聞櫓たもんやぐら千貫櫓せんがんやぐらなど、城内の複数の建物が国の重要文化財に指定されています。

これらは徳川時代に造られた、本物の江戸時代の建築物です。天守閣が「昭和の再建」であるのに対し、こうした櫓や門は当時のまま残る貴重な遺構。お堀ごしに巨大な石垣を見上げながら散策すると、徳川の城づくりの迫力を体感できます。

大阪城 大手門
大阪城 大手門(出典:Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0・Markus Leupold-Löwenthal)

■ 豊臣石垣館(地下の秘密)

先ほど紹介した豊臣石垣館も、見どころのひとつです。地下に眠る豊臣秀吉時代の本物の石垣を、間近で見学できる新しいスポット。「地上は徳川、地下は豊臣」という大阪城ならではの二重構造を、自分の目で確かめられます。歴史好きの大人はもちろん、修学旅行生にとっても忘れられない体験になるはずです。

■ 大阪城公園(桜の名所・御座船クルーズ)

大阪城公園の桜と天守閣(春の絶景)
大阪城公園の桜(出典:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

天守閣を取り囲む大阪城公園も、お城とあわせて楽しみたいエリアです。とくに春は桜の名所として有名で、西の丸庭園にしのまるていえんを中心に多くの桜が咲き誇り、花見客でにぎわいます。

また、お堀を進む御座船ござぶねクルーズなど、お城を水上から眺められる体験コンテンツもあります。広い公園内をのんびり歩くだけでも気持ちがよく、観光のしめくくりにぴったりです。

もぐたろう
もぐたろう

天守閣・重要文化財・豊臣石垣館・公園——この4エリアを押さえれば、大阪城はバッチリだよ!次の章からは、修学旅行で押さえたい歴史ポイントや、知ると旅が楽しくなる豆知識、アクセス情報をくわしく紹介していくね◎

修学旅行で押さえたい!大阪城の歴史ポイント3選

大阪城は広く、見どころもたくさんあります。でも「全部覚えるのは大変…」という人も多いはず。そこでここでは、修学旅行で大阪城を訪れるときに、ここだけは押さえておきたい歴史ポイントを3つにしぼって紹介します。

ゆうき
ゆうき

修学旅行で大阪城に行くんだけど、見るものが多すぎて…。とりあえずココだけ見ればOK!っていうのはどこ?

もぐたろう
もぐたろう

まかせて!この3つを意識して見るだけで、大阪城が一気に「歴史の現場」に見えてくるよ。順番に紹介していくね!

■ポイント①:今の天守閣は「3代目」だと知っておく

1つ目のポイントは、目の前にそびえる天守閣が「3代目」だということです。初代は豊臣秀吉が建て、大坂の陣で焼失。2代目は徳川幕府が再建しましたが、こちらも落雷で焼けてしまいました。

そして今の天守閣は、1931年(昭和6年)に大阪市民の寄付によって建てられた3代目です。「豊臣秀吉が建てたお城を見に来た」と思っている人が多いですが、実際には昭和の建物だと知っておくだけで、見え方が変わってきます。

ポイント①:目の前の天守閣は「3代目」(昭和の再建)。秀吉の天守は地下に眠る。

■ポイント②:石垣は「徳川の力」の見せつけだった

2つ目のポイントは石垣です。大阪城には蛸石たこいしをはじめとした桁外れに巨大な石がたくさん使われています。これは見栄えのためだけではありません。

見出し

大阪城の石垣の中でもっとも有名な巨大石(一枚岩)のことです。推定重量は約108トン(ゾウ約16頭分!)、幅約5.94m・高さ約4.2mという人間では到底持ち上げられないほどのサイズ。石の表面に残る加工の跡がタコ(蛸)の吸盤のように見えることからこの名がついたといわれており、西の丸石垣のそばで実際に間近で見ることができます。

大阪城 蛸石(たこいし)
大阪城 蛸石(出典:Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0・Ethan Doyle White)
もぐたろう
もぐたろう

108トンって言われてもピンとこないかもしれないけど、普通のトラック(10トン車)に換算すると10台以上!それを1620年代の技術で何十kmも運んで積み上げたんだから、当時の土木技術はとんでもないんだよ。大阪城に行ったら「あれがゾウ16頭分の石か…」って眺めてみてね◎

徳川幕府は、全国の大名たちに命じて石を運ばせ、城を築かせました。これを天下普請てんかぶしんといいます。加藤清正のような築城の名人も動員され、巨大な石垣は「徳川にはこれだけの力がある」と全国に見せつけるためのものでもあったのです。

もぐたろう
もぐたろう

※天下普請(てんかぶしん)っていうのは、幕府が全国の大名に命じて行わせた大工事のこと。今でいう「国家プロジェクト」ってイメージに近いよ!

■ポイント③:ここは「2つの城」が重なった場所

3つ目のポイントは、大阪城が「豊臣の城」と「徳川の城」の2つが重なってできているということです。徳川幕府は、豊臣秀吉が築いた石垣の上にさらに土を盛り、その上に新しい城を築きました。

つまり、私たちが歩いている地面の下には、豊臣時代の石垣が今も眠っているのです。「今見ている城は徳川の城、その下に豊臣の城がある」と意識すると、足元の歴史がぐっと身近に感じられます。

ゆうき
ゆうき

この3つを頭に入れて行けば、ただ「大きいお城だな〜」で終わらなくて済みそう!友達にもちょっと自慢できそうだ。

もぐたろう
もぐたろう

その意気だよ!「3代目・石垣・2つの城」――この3ワードだけ覚えておけば大丈夫さ。

大阪城の豆知識 — 知ると旅がもっと楽しくなる

ここでは、大阪城を訪れる前に知っておくと楽しくなる豆知識を紹介します。ちょっとした知識があるだけで、お城めぐりがぐっと面白くなりますよ。

■「大阪」と「大坂」、表記が違うのはなぜ?

歴史の本を読むと、「大坂城」と書かれていることに気づくかもしれません。実は江戸時代までは「大坂」と書くのが一般的でした。明治時代以降に「大阪」という表記が定着したため、歴史上の出来事は「大坂の陣」「大坂城」、現在の城は「大阪城」と書き分けられることが多いのです。

「坂」が「土に返る(士=武士が反る=幕府が倒れる)」を連想させて縁起が悪い、という理由で「阪」に変えられたという説もあります。ただしこれは俗説で、はっきりした根拠はないとされています。

■天守閣を再建したのは「大阪市民の寄付」

今の天守閣(3代目)は、1931年に再建されました。このときの建設費用は、なんと大阪市民からの寄付でまかなわれました。当時としては異例の大金が、わずか半年ほどで集まったといわれています。大阪の商人や一般市民まで幅広く参加した、いわば「市民みんなのクラウドファンディング」でした。

大阪城が「大阪のシンボル」「市民の誇り」として愛されてきたことが、この出来事からもよくわかります。

あゆみ
あゆみ

市民みんなのお金で建て直したなんて、素敵な話ね。それを知ってから天守閣を見上げると、ちょっと感動しちゃいそう。

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだ。だから大阪城は、ただの観光地じゃなくて「大阪の人たちの思いが詰まった場所」なんだよね。

■桜と梅の名所としても有名

大阪城は、歴史だけでなく自然の名所としても知られています。春には西の丸庭園を中心に約300本の桜が咲き、お花見スポットとして賑わいます。

また、城の南東にある「梅林」では、冬から早春にかけて約105品種・1,245本の梅が楽しめます。季節を選んで訪れると、歴史と花の両方を満喫できます。

あゆみ
あゆみ

春の桜と冬の梅、どっちも見てみたい!季節を変えて何度か訪れるのもいいわね。

もぐたろう
もぐたろう

天守閣をバックに咲く桜は本当にきれいだよ。カメラを持っていくのを忘れずにね!

大阪城へのアクセス・入館情報

ここでは、大阪城を訪れるときに役立つアクセス情報や入館料、所要時間などをまとめました。お出かけの計画を立てるときの参考にしてください。

大阪城天守閣 基本情報

場所:大阪府大阪市中央区大阪城1番1号
入館料:大人1,200円・高校/大学生600円・中学生以下無料(2026年5月時点)
所要時間の目安:1時間〜2時間
開館時間:9:00〜18:00(最終入館17:30)
休館日:12月28日〜1月1日

ゆうき
ゆうき

修学旅行だと中学生は無料なんだ!見学にはどのくらい時間をみておけばいいのかな?

もぐたろう
もぐたろう

天守閣の中をじっくり見るなら1時間〜2時間くらいかな。公園全体も歩くなら、もう少し余裕をもっておくと安心だよ!

■電車でのアクセス

・大阪城公園駅(JR大阪環状線)から徒歩約15分
・谷町四丁目駅(地下鉄谷町線・中央線)から徒歩約15〜20分
・森ノ宮駅(JR大阪環状線・大阪メトロ)からも徒歩約15〜20分です。

■バスでのアクセス

大阪シティバス 62号系統「大阪城大手前」または「馬場町」停留所が最寄りです。

■地図(Google マップ)

※ 拝観料・営業時間は変更になる場合があります。2026年5月時点の情報です。最新情報は大阪城公園公式サイトでご確認ください。

あゆみ
あゆみ

大阪城公園のなかにあるのね。周辺でランチできるお店はあるのかしら?

もぐたろう
もぐたろう

城内の「ミライザ大阪城」にはレストランやカフェが入っているよ。大阪城公園駅前の「ジョーテラスオオサカ」にも飲食店がたくさんあるんだ!

大阪城の歴史をもっと深く知りたい人へ

もぐたろう
もぐたろう

大阪城と豊臣秀吉の歴史をもっと深く知りたい人に、おすすめの本を紹介するよ!

①大阪城の”本当の歴史”を知りたいなら|発掘調査が明かした豊臣大坂城の実像

豊臣大坂城 (新潮選書)

笠谷和比古 著|新潮社


②大阪城を丸ごとビジュアルで学びたいなら|写真・古地図・絵図が満載の図説版

③秀吉の生涯をビジュアルで楽しみたいなら|中高生にも読みやすいイラスト解説

よくある質問

大阪城についてよく寄せられる質問をまとめました。訪問前の疑問解消に役立ててください。

初代の天守閣を建てたのは豊臣秀吉ですが、現在の天守閣は秀吉のものではありません。秀吉の天守は大坂の陣(1615年)で焼失し、その後徳川幕府が2代目を再建。今の天守閣は1931年(昭和6年)に大阪市民の寄付で建てられた3代目です。

豊臣秀吉が築いた石垣は、現在の大阪城の地下に埋もれています。徳川幕府が豊臣の城の上に土を盛り、その上に新しい城を築いたためです。現在は「豊臣石垣館」で、地下に眠る豊臣時代の石垣を見学できます。

天守閣の入館料は、大人1,200円、高校・大学生600円、中学生以下は無料です(2026年5月時点)。料金は変更される場合があるため、訪問前に大阪城天守閣の公式サイトで最新情報をご確認ください。

天守閣の内部をじっくり見学する場合、1時間〜2時間が目安です。展望台や歴史展示をゆっくり楽しんだり、西の丸庭園など公園内も歩いたりする場合は、2時間以上みておくと安心です。

はい、できます。城内の旧第四師団司令部庁舎を利用した「ミライザ大阪城」にはレストランやカフェがあります。また、大阪城公園駅前の商業施設「ジョーテラスオオサカ」にも飲食店が多数そろっており、ランチに便利です。

最上階(8階)の展望台は撮影できます。一方、館内の歴史展示エリアには撮影禁止の場所もあります。フロアごとに案内表示があるので、表示にしたがって撮影してください。詳しくは公式サイトの案内をご確認ください。

まとめ

最後に、大阪城のあゆみを年表で振り返っておきましょう。築城から再建までの流れをつかんでおくと、現地での見学がぐっと深まります。

大阪城の年表
  • 1583年
    豊臣秀吉が大坂城の築城を開始
  • 1598年
    豊臣秀吉が死去
  • 1614年
    大坂冬の陣が起こる
  • 1615年
    大坂夏の陣で豊臣家が滅び、大坂城が焼失
  • 1620年代〜
    徳川幕府が天下普請で大坂城を再建(2代目天守)
  • 1665年
    落雷により徳川再建の天守が焼失
  • 1931年
    大阪市民の寄付により現在の3代目天守閣が再建
  • 2025年
    豊臣石垣館がオープン
もぐたろう
もぐたろう

以上、大阪城のまとめでした!「今の天守閣は秀吉のお城じゃなくて、徳川の城の上に建つ3代目」――これだけ知っておくだけで、見学が何倍も楽しくなるよ。下の記事で、大阪城をめぐる豊臣と徳川の物語もあわせて読んでみてね!

📅 最終確認:2026年5月 / 参照:大阪城天守閣 公式サイト・コトバンク・Wikipedia日本語版・山川出版社『詳説日本史』

参考文献

大阪城天守閣 公式サイト(2026年5月確認)
大阪城公園 公式サイト(2026年5月確認)
コトバンク「大阪城」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
Wikipedia日本語版「大坂城」(2026年5月確認)
山川出版社『詳説日本史』

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

スポンサーリンク
【大事なお知らせ】YouTube始めました!!

2024年2月、YouTubeチャンネル「まなれきドットコムちゃんねる」を開設しました。

まだ動画は少ないですが、学生や大人の学び直しに役立つ動画をたくさん増やしていくので、ぜひ下のアイコンからチャンネル登録、よろしくお願いいたします。

チャンネル登録する

この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

もぐたろうをフォローする
未分類