条約改正と日清戦争

この記事は約20分で読めます。
日清
STEP 3 / 1871〜1895年

条約改正と日清戦争

不平等条約改正の難航と朝鮮問題をめぐる外交——江華島事件・甲申事変を経て、1894年の日清戦争・下関条約・三国干渉へ

1871
日清修好条規
1894
日清戦争開始
1895
下関条約
1871
日清修好条規
1874
台湾出兵
1882
壬午軍乱
1894
日清戦争
1895
三国干渉
Phase I — 対外関係の構築
1871〜1882年
1871
条約締結
日清修好条規 — 清国と結んだ対等条約

1871年、明治政府は清国と日清修好条規を締結。幕末以来の欧米との不平等条約とは異なり、相互に対等な関係を定めた条約でした。しかし琉球帰属問題(台湾出兵・琉球処分)など日清間の緊張の種も内包していました。

▶ 深く読む
日清修好条規とは?
清国と対等に結んだ最初の条約。琉球帰属問題への影響まで詳しく解説。
1874
台湾出兵
台湾出兵 — 日本最初の海外出兵

1874年、宮古島漂流民が台湾先住民に殺害された事件(牡丹社事件)を口実に、日本は台湾へ出兵。清国との交渉の末、日本が撤兵と引き換えに清国から賠償金50万両を受け取りました。これは日本が琉球の宗主権を実質的に認めさせた最初の事例でした。

▶ 深く読む
台湾出兵とは?
牡丹社事件をきっかけに始まった日本最初の海外出兵の全容。
1875
江華島
江華島事件 — 朝鮮開国を迫る砲艦外交

1875年9月、日本軍艦・雲揚号が朝鮮の江華島沖で挑発的な測量を行い、朝鮮側の砲撃を口実に上陸・攻撃。翌1876年、日朝修好条規(江華条約)を締結させ、朝鮮を開国させました。欧米が日本に行ったのと同様の砲艦外交を、今度は日本が朝鮮に対して行った歴史的転換点。

▶ 深く読む
江華島事件とは?
砲艦外交で朝鮮を開国させた1875年の事件を詳しく解説。
Phase II — 朝鮮問題の激化
1882〜1894年
1882
壬午軍乱
壬午軍乱・甲申事変 — 朝鮮をめぐる日清の対立

1882年の壬午軍乱(朝鮮旧式軍の反乱)では、清国軍が介入して日本の影響力を後退させました。1884年の甲申事変(親日派・独立党クーデター)は清国軍によって3日で鎮圧。1885年の天津条約で日清両国は朝鮮への「事前通告・同時撤兵」を約定しましたが、緊張は続きました。

▶ 深く読む
壬午軍乱とは?
朝鮮をめぐる日清の対立が深まる契機となった1882年の軍の反乱。
Phase III — 日清戦争と三国干渉
1894〜1895年
1894
開戦
甲午農民戦争と日清開戦 — 朝鮮独立をめぐる激突

1894年、朝鮮で東学党の農民反乱(甲午農民戦争)が起き、日清両国が出兵。農民軍の鎮圧後も撤兵を拒んだ日本は、朝鮮王宮を占領して親日政府を樹立し、8月に宣戦布告。黄海海戦・平壌の戦いで日本軍が優勢を確立しました。

▶ 深く読む
甲午農民戦争とは?
日清戦争の引き金となった朝鮮農民反乱の全容を詳しく解説。
1895
講和
下関条約・三国干渉 — 日本の大陸進出と列強の壁

1895年4月の下関条約で日本は台湾・澎湖諸島・遼東半島の割譲と賠償金2億両を得ました。しかしロシア・フランス・ドイツが「遼東半島の清への還付」を勧告する三国干渉。日本は「臥薪嘗胆」を合言葉に対露対決姿勢を強め、日英同盟・日露戦争へと歩みを進めます。

▶ 深く読む
下関条約とは?
日清戦争の講和条約。三国干渉で遼東半島返還を余儀なくされた経緯まで詳しく解説。
スポンサーリンク