面白いほどわかる三国干渉!簡単にわかりやすく解説【ロシア・ドイツ・フランスそれぞれの目的とは?】

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三国干渉とは

もぐたろう
もぐたろう

今回は三国干渉について、なぜ起きたのか・遼東半島はどこか・日本への影響まで、わかりやすく丁寧に解説していくよ!

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
🎯 定期テスト・大学受験(共通テスト・国公立二次)に対応

この記事を読んでわかること
  • 三国干渉とは何か(定義・1895年に起きた出来事の概要)
  • なぜ三国干渉が起きたのか(ロシア・ドイツ・フランス各国の目的)
  • 遼東半島はどこか(場所・地政学的重要性)
  • イギリスがなぜ三国干渉に参加しなかったか(競合サイトにない視点)
  • 三国干渉後の日本の動き(臥薪嘗胆・日露戦争への伏線)

三国干渉」と聞くと、せっかく戦争に勝って手に入れた領土を、列強の圧力でみすみす手放した「日本外交の屈辱」というイメージがあるかもしれません。

でも実は、この屈辱こそが、その後の日本を大きく動かす原動力になりました。三国干渉でロシアに煮え湯を飲まされた日本は、「臥薪嘗胆がしんしょうたん」を合言葉に怒りをこらえて軍備を整え、なんと約10年後の日露戦争でそのロシアを打ち破ることになるのです。

つまり三国干渉は、「負けて終わった事件」ではなく「次の勝利へのスタート地点」でした。この記事では、その三国干渉がなぜ起きたのか・舞台となった遼東半島はどこにあるのか・各国の思惑はどうだったのかを、地図つきでわかりやすく整理していきます。

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三国干渉とは?

三国干渉とは?3行でわかるまとめ
  • 三国干渉とは、1895年にロシア・ドイツ・フランスの3か国が、日本に対して遼東半島を清に返すよう要求した出来事。
  • 日清戦争に勝った日本は下関条約で遼東半島を手に入れたが、3か国の圧力に屈し、わずか2週間足らずで返還を受け入れた。
  • 日本国民はこれを屈辱と感じ、「臥薪嘗胆」を合言葉にロシアへの敵意を強め、のちの日露戦争へとつながっていった。

三国干渉さんごくかんしょうとは、1895年(明治28年)、ロシア・ドイツ・フランスの3か国が、日本に対して「遼東半島りょうとうはんとうを清(中国)に返しなさい」と要求した外交上の出来事です。

このとき日本は、日清戦争に勝利したばかりでした。戦争の講和条約である下関条約(日本側の全権は伊藤博文・陸奥宗光)で、日本は清から遼東半島・台湾・澎湖諸島ほうこしょとうを譲り受けることに成功します。

下関条約の講和会議の様子を描いた絵
下関条約の講和会議(永地秀太・画)。出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

ところが、日本が遼東半島を手に入れたその直後、これに「待った」をかけたのがロシア・ドイツ・フランスの3か国でした。日本は3つの大国を相手に戦う余力はなく、要求を受け入れて遼東半島を清に返すことになります。これが三国干渉です。

ゆうき
ゆうき

「三国干渉」って、どんな漢字を書くの?読み方もちょっと難しいんだけど…。

もぐたろう
もぐたろう

「さんごくかんしょう」と読むよ。「三国」は文字どおり3つの国(ロシア・ドイツ・フランス)のこと。「干渉」は他人のことに口出しすること。つまり「3か国が日本のことに口出ししてきた事件」って覚えればバッチリだよ!

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三国干渉はなぜ起こったのか?

三国干渉が起きた理由を一言でいえば、「日本が遼東半島を持つことを、ロシアがどうしても許せなかったから」です。

1895年、日清戦争に勝った日本は、下関条約で遼東半島を獲得しました。ところが遼東半島は、ロシアがのどから手が出るほど欲しがっていた土地でもあったのです。ここに日本が居座られては、ロシアの長年の計画が大きく狂ってしまいます。

そこでロシアは、ドイツとフランスを誘い込み、3か国そろって日本に圧力をかけました。「遼東半島を清に返さなければ、ただではすまさないぞ」という、強烈な外交圧力です。

1895年4月23日:「3か国同時通告」の衝撃

1895年4月23日夕刻、ロシア・ドイツ・フランスの公使があらかじめ打ち合わせたうえで、ほぼ同時に外務省を訪れた。3か国が一斉に手渡した文書の内容は同じ——「遼東半島を清へ返還するよう勧告する」という最後通告だった。外務大臣・陸奥宗光は、このときの衝撃を後に回顧録『蹇蹇録けんけんろく』に「まるで天地も崩れ落ちるような感覚を覚えた」と書き残している。

当時の日本に、ロシア・ドイツ・フランスという3つの大国をまとめて相手にできる国力はありませんでした。日清戦争を戦ったばかりで、財政も軍備も疲れ切っていたのです。やむなく日本政府は要求を受け入れ、遼東半島を清に返還することを決めました。

あゆみ
あゆみ

ロシアが言い出しっぺなのはわかりました。でも、ドイツとフランスはなぜわざわざ参加したんですか?

もぐたろう
もぐたろう

いい質問だね!実はドイツもフランスも、それぞれちゃんと「自分の得になる理由」があって乗っかったんだ。3か国の思惑は次の章でひとつずつ見ていこう!

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ロシア・ドイツ・フランス、三国の目的

三国干渉に加わった3か国は、「日本を困らせる」という点では一致していましたが、その動機はそれぞれバラバラでした。ここでは各国の目的を1つずつ見ていきましょう。

■ ロシアの目的:不凍港がどうしても欲しかった

三国干渉の主役はロシアです。ロシアの最大の悩みは、「一年中こおらない港(不凍港ふとうこう)」を持っていなかったことでした。

ロシアは北の国なので、主要な港は冬になると凍ってしまい、船が出せなくなります。そこでロシアは、こおらない暖かい海の港を求めて南へ南へと勢力を広げる南下政策なんかせいさくを長年続けていました。

遼東半島には、旅順りょじゅん大連だいれんという、こおらない優れた港がありました。ロシアにとって遼東半島は、まさに「ぜひとも手に入れたい不凍港」だったのです。そこへ日本が割り込んできたため、ロシアは「日本を追い出してでも自分のものにしたい」と考えました。

ロシア皇帝ニコライ2世
三国干渉当時のロシア皇帝・ニコライ2世(在位1894〜1917年)。不凍港獲得と南下政策を精力的に推進した。著者:不明 / 出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

ゆうき
ゆうき

こおらない港がそんなに大事なの?ちょっとピンと来ないなあ。

もぐたろう
もぐたろう

当時は飛行機もトラックもない時代。軍隊も物資も「船」で運ぶのが基本なんだ。港が冬に凍ったら、軍艦も貿易船も身動きできない。だから一年中使える港は、今でいう「24時間営業の巨大な空港兼貿易ターミナル」みたいな超重要拠点だったんだよ!

■ ドイツの目的:アジアへの足がかりと、ロシアの目を西から逸らすこと

ドイツの目的は、大きく2つありました。

1つ目は、中国(アジア)への進出の足がかりを作ることです。当時のドイツは、イギリスやフランスに比べてアジアの植民地・利権が出遅れていました。そこでロシアに恩を売っておけば、自分も中国に進出するチャンスを得られると考えたのです。実際、ドイツはこの数年後に中国の山東省さんとうしょうに進出していきます。

2つ目は、ロシアの関心を東アジアに向けさせることです。ドイツは西の隣国であるロシアを警戒していました。ロシアの目が極東(アジア)に向いていれば、その分、ドイツの隣のヨーロッパ方面での圧力が弱まる——ドイツにはそんな計算もあったのです。

■ フランスの目的:露仏同盟でロシアに付き合った

フランスが三国干渉に参加した最大の理由は、露仏同盟ろふつどうめいです。

露仏同盟とは、1890年代前半に結ばれたロシアとフランスの軍事的な協力関係のことです。ドイツに対抗するため、ロシアとフランスは手を組んでいました。同盟を結んでいる以上、フランスはロシアの誘いを無下に断りにくく、「同盟国のよしみ」でロシアに付き合った形になります。

さらにフランスは、すでにインドシナ(現在のベトナムなど)に植民地を持っており、東アジアでの自国の発言力を高めておきたいという思惑もありました。

📌 3か国の目的まとめ
・ロシア=不凍港(旅順・大連)が欲しかった(主役)
・ドイツ=アジア進出の足がかり+ロシアの目を東へ逸らしたかった
・フランス=露仏同盟の義理でロシアに付き合った

もぐたろう
もぐたろう

ポイントは「3か国とも、本気で清を守りたかったわけじゃない」ってこと。みんな腹の中では中国大陸に食い込みたかったんだ。日本に遼東半島を取られると、自分たちの取り分が減る——だから「日本どかし」で利害が一致したんだよ。

三国干渉どこ?遼東半島はどこにある?

三国干渉の舞台となったのは、遼東半島という土地です。「どこにあるの?」という疑問が多いので、まずは場所をハッキリさせておきましょう。

遼東半島は、中国の東北部(旧満州の南端)にあります。地図でいうと、朝鮮半島の北西側、ちょうど海を挟んで山東半島と向かい合う位置に、海へ突き出すように伸びています。

この半島の先端付近にあるのが、先ほども登場した旅順大連という2つの港町です。どちらもこおらない良港で、軍事・貿易の両面でとても価値の高い場所でした。

ゆうき
ゆうき

遼東半島って、地図でどのへん?朝鮮半島のすぐそばってこと?

もぐたろう
もぐたろう

そう、朝鮮半島のすぐ北西だよ!上の地図で赤くなってる「中国東北部からピョコンと海に突き出した部分」が遼東半島。ここを押さえると、朝鮮半島にも中国本土にもにらみをきかせられる。だからみんな欲しがったんだ。

📌 遼東半島が重要だった3つの理由
① 旅順・大連という「こおらない良港」がある
② 中国本土(北京方面)と朝鮮半島の両方ににらみをきかせられる
③ 満州(中国東北部)への入口にあたる戦略的な要地

イギリスはなぜ三国干渉に参加しなかったのか?

当時、世界最大の大国だったイギリスは、三国干渉に加わりませんでした。これにはハッキリとした理由があります。

結論からいうと、イギリスはロシアの南下政策を世界で最も警戒していた国だったからです。ロシアが南へ勢力を伸ばすことは、イギリスがアジアに持つ広大な利権(インドや中国での貿易など)を脅かします。そのため、イギリスがロシアと手を組むことなど、そもそもあり得なかったのです。

むしろイギリスから見れば、東アジアで日本が一定の力を持ち、ロシアの南下をおさえてくれる方が好都合でした。この「ロシアという共通の敵」という関係が、のちの日英同盟にちえいどうめい(1902年)へとつながっていきます。三国干渉後の朝鮮半島をめぐる日本とロシアの対立は、やがて日露戦争、そして韓国併合へと続く大きな流れの出発点にもなりました。

あゆみ
あゆみ

ヨーロッパの大国なのに、イギリスはロシア側に付かなかったんですね。意外でした。

もぐたろう
もぐたろう

「敵の敵は味方」ってやつだね。イギリスにとっての大敵はロシア。そのロシアと張り合ってくれる日本は、むしろ味方にしておきたい存在だったんだ。この関係が日英同盟の伏線になっていくよ。

📌 アメリカも参加しなかった
当時のアメリカは、ヨーロッパや東アジアの領土争いに深入りしない方針をとっていました。三国干渉のような他国どうしの利害対立に首を突っ込むメリットが薄かったため、アメリカも干渉には加わっていません。

三国干渉後の日本:「臥薪嘗胆」という合言葉

ロシア・ドイツ・フランスの3か国から遼東半島の返還を要求された日本は、強く反発しました。せっかく日清戦争に勝って手に入れた土地を、戦わずして手放せと言われたのですから当然です。

しかし、当時の日本には3か国を相手に戦争を続ける力はありませんでした。日清戦争を戦い抜いた直後で、軍も国の財政も疲れ切っていたのです。とくにロシアの海軍と陸軍は当時世界有数の規模を誇っており、まともにぶつかれば勝ち目はありませんでした。

外務大臣として交渉の矢面に立っていた陸奥宗光むつむねみつは、苦悩の末に「これ以上の抵抗は不可能」と判断します。1895年5月、日本政府はやむなく3か国の要求を受け入れ、遼東半島を清に返還することを決定しました。

陸奥宗光(外務大臣)
三国干渉の交渉にあたった外務大臣・陸奥宗光(出典:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

陸奥宗光
陸奥宗光

3国の圧力に屈するほかなかった…。だが、この屈辱を忘れてはならぬ。今は耐えるときだ。臥薪嘗胆がしんしょうたん。いつか必ずやり返すのだ。

このとき日本国内に広まったスローガンが「臥薪嘗胆」でした。「今は屈辱に耐え、いつかロシアにやり返そう」という国民の悔しさが、この四字熟語に込められていたのです。

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)ってどういう意味?

「臥薪嘗胆」は古代中国の故事に由来する言葉です。「薪(たきぎ)の上に臥(ね)て、苦い肝(きも)を嘗(な)める」という意味で、復讐を成し遂げるために、あえて苦しい思いをしながら自分を奮い立たせ続けることを表します。

もとは中国・春秋時代の呉と越の争いの逸話から生まれた言葉ですが、三国干渉後の日本では「ロシアへの雪辱せつじょくを果たすまで苦しみに耐え抜こう」という意味の合言葉として、新聞や政治家によって盛んに使われました。

あゆみ
あゆみ

陸奥宗光って、このときの交渉を本に書き残しているんですよね?

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだ。陸奥宗光が日清戦争から三国干渉までの外交の舞台裏を書き残した『蹇蹇録けんけんろく』っていう本があるんだよ。当時の日本がどんな思いで決断したのかがわかる貴重な記録なんだ。

📌 蹇蹇録(けんけんろく)とは?:外務大臣・陸奥宗光が記した日清戦争〜三国干渉の外交回顧録。三国干渉でなぜ日本が要求を受け入れざるを得なかったか、当事者の視点が記された一次史料として知られています。

三国干渉が与えた影響

三国干渉は単なる「遼東半島の返還」だけで終わった出来事ではありません。この事件をきっかけに、東アジアの国際関係は大きく動き出しました。朝鮮・中国(清)・そして日本自身に、それぞれ深刻な影響を与えたのです。

■ 朝鮮情勢への影響:日本の威信低下とロシアへの接近

当時の朝鮮(李氏朝鮮りしちょうせん)は、日清戦争の結果、清の影響から離れて日本の影響下に入りつつありました。ところが三国干渉によって、その日本が3か国の圧力にあっさり屈してしまいます。

これを見た朝鮮の宮廷では「日本よりロシアのほうが強い」という見方が広がり、ロシアに頼ろうとする動きが強まりました。日本の朝鮮における影響力は一気に揺らいだのです。

こうした流れに焦った日本は、1895年10月、朝鮮王妃である閔妃びんひ(明成皇后)を殺害するという事件を起こします(閔妃暗殺事件びんひあんさつじけん)。この事件は朝鮮の人々の反日感情を強め、日本と朝鮮の関係をいっそう複雑なものにしました。

■ 中国への影響:列強による「中国分割」の本格化

三国干渉のあと、いちばん「おいしい思い」をしたのは、じつはロシアでした。日本に遼東半島を手放させたロシアは、わずか3年後の1898年、その遼東半島南端の旅順・大連を清から租借そしゃく(借り受けること)してしまったのです。

「日本に返させた土地を、自分がちゃっかり手に入れる」――これが三国干渉の裏にあったロシアの本音でした。さらにドイツも山東半島の膠州湾こうしゅうわんを、フランスやイギリスも各地を租借し、清は列強によって切り取られていきます。これを中国分割ちゅうごくぶんかつといいます。

ゆうき
ゆうき

えっ、日本に返させた土地をロシアが自分でもらっちゃったの?それはずるすぎる…!

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだよ!「正義の干渉」みたいな顔をしておきながら、結局はロシア自身が遼東半島を狙っていたわけだね。これで日本人の怒りが爆発したのも当然だよね。

ロシアが旅順・大連の租借を発表した1898年、日本の新聞各紙はいっせいに「三国干渉の正体がわかった」と報じた。「清を救うためと称しながら、結局は自分が欲しかっただけだったのか」——この怒りの声が日本中に広がり、「臥薪嘗胆がしんしょうたん」の炎をさらに燃え上がらせた。ロシアの「ズルさ」が明確になったことで、日本国民の反ロシア感情は一気に頂点に達したのである。

■ 日本の軍備拡張と日露戦争への伏線

三国干渉によって日本国民のあいだに「ロシア憎し」の感情が一気に広がりました。政府は「臥薪嘗胆」をスローガンに掲げ、ロシアに対抗できる軍事力をつくるため、大規模な軍備拡張に乗り出します。

日清戦争で清から得た巨額の賠償金は、その多くが軍備の増強につぎ込まれました。陸軍・海軍ともに大きく強化され、さらに1902年にはロシアという共通の敵に対抗するため、イギリスと日英同盟を結びます。

そして三国干渉から約10年後の1904年、日本はついにロシアと戦火を交えます。これが日露戦争です。三国干渉という「屈辱」が、日本を日露戦争へと突き動かす大きな原動力になったのです。

もぐたろう
もぐたろう

三国干渉は「1895年の屈辱」だけで終わらなかったんだ。むしろこの悔しさが日本を10年後の日露戦争勝利へと駆り立てた。歴史って、ひとつの出来事が次の出来事を生んでいくんだね。

テストに出るポイント

ここからは定期テスト・共通テスト・大学受験で押さえておきたいポイントをまとめます。試験直前の見直しにも使ってください。

テストに出やすいポイント
  • 三国干渉(1895年):ロシア・ドイツ・フランスが日本に遼東半島の返還を要求した外交事件
  • 遼東半島:下関条約で日本が清から獲得した地域。三国干渉で清に返還した
  • 3か国の目的:ロシア=不凍港(旅順・大連)/ドイツ=アジア進出の足場/フランス=露仏同盟による追随
  • 臥薪嘗胆(がしんしょうたん):三国干渉後の日本のスローガン。ロシアへの雪辱を誓い軍備拡張へ
  • 陸奥宗光(むつむねみつ):当時の外務大臣。回顧録『蹇蹇録』を著した

📌 暗記のコツ:3か国は「ロ・ド・フラ(ロシア・ドイツ・フランス)」とまとめて覚える。イギリス・アメリカは不参加だった点が論述・正誤問題で頻出。「下関条約で得る → 三国干渉で返す → 臥薪嘗胆 → 日露戦争」の流れをセットで暗記すると失点しません。

年号出来事ポイント
1895年4月下関条約日本が遼東半島・台湾・澎湖諸島を獲得
1895年4〜5月三国干渉ロシア・ドイツ・フランスが遼東半島の返還を要求
1895年5月遼東半島の返還日本が要求を受諾し清へ返還。「臥薪嘗胆」が広まる
1898年ロシアの旅順・大連租借返させた当のロシアが遼東半島を独占
1904年日露戦争の開戦三国干渉の屈辱が遠因となる

ゆうき
ゆうき

三国干渉でいちばんテストに出やすいのってどこ?

もぐたろう
もぐたろう

ズバリ「3か国=ロシア・ドイツ・フランス」「遼東半島の返還」「臥薪嘗胆」の3点セットが最頻出だよ!とくに「イギリスは参加していない」というひっかけには気をつけてね。


三国干渉・明治外交をもっと深く知りたい人へ

もぐたろう
もぐたろう

三国干渉や明治の外交史をもっと深く知りたい人に、おすすめの本を紹介するよ!

①三国干渉と明治外交の全体像を手軽につかみたいなら|新書でサクッと読める一冊

陸奥宗光―「日本外交の祖」の生涯

佐々木 雄一 著|中央公論新社(中公新書)


②陸奥宗光の人物像と外交戦略をじっくり深掘りしたいなら|外交官出身の著者が描く決定版評伝

よくある質問

三国干渉とは、1895年に日清戦争後の下関条約で日本が清から獲得した遼東半島を、ロシア・ドイツ・フランスの3か国が「清に返還するように」と日本に要求した外交事件です。日本は3か国に対抗する力がなく、やむなく要求を受け入れて遼東半島を返還しました。

ロシアは南下政策を進めており、凍らない港(不凍港)を東アジアで手に入れたいと考えていました。遼東半島には旅順・大連という良港があり、これを日本に取られるとロシアの南下計画が妨げられます。そこで日本に遼東半島を手放させようとしたのです。実際、ロシアは1898年に旅順・大連を清から租借し、自分の手中に収めました。

ドイツはアジア進出の足がかりを得たいと考え、ロシアの目をヨーロッパからアジアへ向けさせる狙いもあって干渉に加わりました。フランスは1894年にロシアと露仏同盟を結んでいたため、同盟国ロシアに協調する形で参加しました。つまりドイツとフランスは、それぞれ自国の事情からロシアの誘いに乗ったのです。

イギリスはロシアの南下政策を最も警戒していた国で、ロシアと共同歩調をとる理由がありませんでした。むしろロシアの進出を抑えるうえで、日本と良好な関係を保つほうがイギリスの国益に合っていたのです。この立場はのちの日英同盟(1902年)につながっていきます。なお、アメリカも当時はアジアへの本格進出前で、三国干渉には加わりませんでした。

臥薪嘗胆は古代中国の故事に由来する四字熟語で、「目的を達成するために苦しい思いに耐え忍ぶこと」を意味します。三国干渉で屈辱を味わった日本では「いつかロシアにやり返すために、今は耐えよう」という意味の合言葉として広まり、軍備拡張を後押しするスローガンになりました。

三国干渉によって日本国民のロシアへの敵意が高まり、「臥薪嘗胆」をスローガンに軍備拡張が進められました。さらにロシアが遼東半島の旅順・大連を租借したことで両国の対立は決定的になります。こうした流れの末、約10年後の1904年に日露戦争が起こりました。三国干渉は日露戦争の遠因(伏線)といえる出来事です。

まとめ:三国干渉とは何だったのか

三国干渉のポイントまとめ
  • 三国干渉(1895年):ロシア・ドイツ・フランスが日本に遼東半島の返還を要求した外交事件
  • 背景:日清戦争後の下関条約で日本が得た遼東半島を列強が狙っていた
  • 各国の目的:ロシア(不凍港)・ドイツ(アジア進出)・フランス(露仏同盟の義務)
  • 日本の対応:やむなく受け入れ、「臥薪嘗胆」を合言葉に軍備拡張へ
  • その後:ロシアが旅順・大連を租借し対立が激化。日露戦争(1904年)の遠因となった

もぐたろう
もぐたろう

以上、三国干渉のまとめでした!「日本が負けた屈辱」で終わらず、日露戦争へとつながっていく流れがポイントだよ。下の記事で日清戦争・下関条約・日露戦争もあわせて読んでみてね!

三国干渉 関連年表
  • 1894年8月
    日清戦争が始まる
  • 1895年4月
    下関条約が締結される(日本が遼東半島・台湾・澎湖諸島を獲得)
  • 1895年4月〜5月
    三国干渉:ロシア・ドイツ・フランスが遼東半島の返還を要求
  • 1895年5月
    日本が三国の要求を受け入れ、遼東半島を清に返還
  • 1895年〜
    日本で「臥薪嘗胆」スローガンが広まり、軍備拡張が加速
  • 1895年10月
    閔妃暗殺事件が起こる(朝鮮情勢の動揺)
  • 1898年
    ロシアが旅順・大連を清から租借(手放させた土地を独占)
  • 1902年
    日英同盟締結(ロシアへの共同対抗)
  • 1904年〜1905年
    日露戦争。日本が勝利し、「臥薪嘗胆」が実を結ぶ

📅 最終確認:2026年5月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「三国干渉」(2026年5月確認)
コトバンク「三国干渉」「臥薪嘗胆」「陸奥宗光」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』(2022年版)

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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