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面白いほどわかる甲午農民戦争!わかりやすく徹底解説【なぜ日本は出兵した?原因から日清戦争勃発までの流れ】

この記事は約8分で読めます。

今回は1894年に起こった甲午農民戦こうごのうみんせんそう(別名:東学党の乱とうがくとうのらん)についてわかりやすく解説していきます。

甲午農民戦争とは・・・

1894年、朝鮮で東学の信徒を中心に減税を排日を要求する農民の反乱(甲午農民戦争、東学党の乱)が起こると清国は朝鮮政府の要請を受けて出兵するとともに、天津条約に従ってこれを日本に通知し、日本もこれに対抗して出兵した。

この記事では甲午農民戦争について以下の点を中心に解説を進めていきます。

  • 「東学」って何?
  • 甲午農民戦争が起こった理由は?時代背景は?
  • なぜ甲午農民戦争に清国と朝鮮が介入したの?
  • 甲午農民戦争から日清戦争突入への流れは?
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東学=朝鮮で起こった新興宗教

最初に、甲午農民戦争でキーワードとなる「東学」について紹介しておきます。

東学は簡単に言ってしまうと、朝鮮の農民たちの間で流行り出した新興宗教のこと。1860年代に始まって、少しずつ布教していきました。

当時、朝鮮の農民の多くは貧困に苦しんでいました。多くの者が餓死で亡くなり、残った人たちも「明日は我が身」と貧困と飢えの恐怖に怯える日々を過ごすことになります。

朝鮮の農民が貧困に陥った理由は大きく2つあります。

  • 1 朝鮮政府の重税や役人の不正な税金搾取が横行した
  • 2 開国によって日本や列強国に経済を荒らされてしまった

2番の経緯については、1875年に朝鮮開国のきっかけとなった江華島事件の記事が参考になるかと思いますので載せておきます↓

そんな朝鮮農民たちに希望の光を与えたのが東学です。東学は語弊を覚悟で簡単に言ってしまうと「西洋思想(主にキリスト教)を否定し、呪文と護符によってみんなが救われる宗教」でした。

哲学チックな難しい教理はなくとてもシンプルな宗教だったので、貧困の中で希望を見出せなかった農民たちの間で爆発的に広がりました。

*私自身は、東学についてはあまり詳しくないので細かい部分で教理や思想について相違があるかもしれません。

イメージは、末法の到来に人々が怯えていた鎌倉時代に起こる「『南無阿弥陀仏』と念仏を唱えれば誰でも極楽浄土へ行ける」と説いた浄土宗に近いような気がします。

以下の記事は浄土宗を開いた法然のお話↓

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甲午農民戦争が起こった理由

甲午農民戦争は、この東学信者によって引き起こされた反乱運動でした。

反乱のきっかけは役人による税の横領。(上の農民貧困理由の1番目ですね!)

これにブチギレた農民たちが反乱を起こしますが、これは単なる暴動を超えて大規模反乱へと発展します。なぜなら、無計画な暴動ではなく、東学党の幹部たちが反乱を指導することで、反乱は組織化され、朝鮮政府を圧倒するほどの圧倒的強さを誇るようになったからです。

ちなみに、東学信者の集団のことを東学党と呼びます。

反乱が各地へ拡大し朝鮮の首都だった漢城にまで迫ってくると、東学党のターゲットは当初の目的だった朝鮮政府だけでなく、貧困の元凶を作った日本人や西洋人にまで及ぶようになります。

しかも、朝鮮政府は強すぎる東学党の反乱を抑えることができません。そこで、朝鮮政府は清国に援軍要請をします。

朝鮮「清国助けて!東学党が強すぎて朝鮮の兵力だけじゃ抑えられないの!!」

朝鮮が清国に援軍要請した背景には、1884年に起こった甲申事変というクーデター事件があります。

朝鮮政府は清国軍の助けを借りて、このクーデターを鎮圧。この事件以降、朝鮮政府は清国への依存を深めていきました。

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狙われる朝鮮 〜日本VS清国VSロシア〜

日本は清国軍が朝鮮に送り込まれることを強く警戒します。清国が援軍を送った勢いで朝鮮を支配することを恐れたからです。

明治政府は、1894年5月下旬に「清国が朝鮮に軍隊を派遣するらしい」との情報をキャッチすると、すぐに軍隊の派遣に向けて準備を開始します。

この派遣の目的は、「清国が軍を送り込んだ勢いで朝鮮の支配権を握ろうとした時に、武力によってこれ阻止する(戦争をする)ため」でした。もちろんこんなことを公式に発表できないので、実際は「朝鮮に駐在する日本人を守るため」というもっともらしい口実で日本軍が送り込まれることになります。

この時点で日本は清国との戦争を想定していたわけです。

こうして甲午農民戦争をきっかけに清国と日本がバチバチと火花を散らす中、北方のロシアもまた、この動乱の隙を狙って朝鮮を奪ってやろう・・・と考えていました。

雪に閉ざされたロシアは、冬でも船が往来できるような港(不凍港)を手に入れるため、南下政策をとっているところでした。

そして、そのターゲットの1つが朝鮮だったのです。

ただし、ロシアは甲午農民戦争に対して積極的な介入はしません。日本と清国の争いを静観し、虎視淡々とチャンスを狙います。

日本・清国・ロシアの関係は以下の風刺画がわかりやすいです。

左:日本
右:清国
中央:ロシア
日本と清国が釣ろうとしている魚(朝鮮)をロシアが狙っている様子

ここにロシアと対立しているイギリスも関与し、朝鮮半島の国際事情は混迷を極めました。

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甲午農民戦争から日清戦争へ・・・

6月上旬、清国軍と日本軍が朝鮮へと進攻します。

清国は朝鮮政府の要請を受けて、日本は「朝鮮に住む日本人を甲午農民戦争から守る」という名目で・・・。

朝鮮政府は日本軍襲来に驚きを隠せません。

朝鮮政府「おい、なんで頼んでもいないのに日本軍がいるんだよ。このままだと朝鮮は清国VS日本の戦場になるんじゃねーの・・・(汗」

内紛どころでなくなった朝鮮では、反乱軍と朝鮮政府が和解。甲午農民戦争は終結することになります。朝鮮は甲午農民戦争を早期に終わらせ、日清両国が朝鮮に出兵する大義名分を失わせようとしたのです。

こうして、日清両軍が朝鮮にやってきた意味が失われると、朝鮮政府は両軍の撤退を要求します。

この事態を受け、日清両国は以下のような対応をとります。

清国

OK!日本も一緒に撤退しようぜ!(あまり事を大きくしたくないしな・・・)

日本

国内世論や議会が清国との戦争に大きな期待を寄せているため、今さら軍を引くことはできない。(期待を裏切れば国内世論と議会が荒れてしまい、内政に大きな影響が生じる。)

どんな手段を使ってでも、甲午農民戦争以外の戦争の口実を見つけてやる!

と、ここでも日清の意見は真っ向から対立。日清の間で交渉が行われますがこれも決裂してしまいます。

さらには、日清の戦争を積極的には望まないロシア・イギリスも日清の交渉に介入してきますが、内政安定のため戦争をしなければならないと考える日本政府はこれも頑なに拒絶。1894年7月、強引に清国軍のいる牙山あさんという地域に進軍します。

なぜここでロシアとイギリスが登場するの?

ロシアとイギリスは敵対関係にあったので「日清の仲介を主導することで、今後の日本と清国との外交を有利に進めたい」との思惑から、両者ともに競って日清の仲介に名乗りを上げました。(結局、どっちも失敗しますが)

ちなみにこの時、「ロシアからの脅威に対抗する」という点で一致した日本とイギリスの間で日英通商航海条約にちえいつうしょうこうかいじょうやくが結ばれたりもしています。

この条約締結によって、イギリスが日本に対して押し付けていた不平等条約の内容の1つだった治外法権(領事裁判権)の撤廃を認めさせることに成功しています。

8月1日になると、日清ともに宣戦布告。こうして甲午農民戦争をきっかけとして、日清戦争が起こることになります。日本のゴリ押し戦法が実を結んだ形です。

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甲午農民戦争のその後

最初の方でお話ししたように東学党は「キリスト教を筆頭に西洋文明を否定する」新興宗教でした。

その矛先は、ヨーロッパのみならず、文明開化によって西洋化した日本にも向けられます。

日清戦争が始まると、再び東学党の動きが活発化し、1894年10月頃、第2の甲午農民戦争とも言える反対運動が起こるようになります。

この時にターゲットになったのは、日本軍と日本に迫られて親日派になった朝鮮政府。

これは完全に個人的な感想ですが、この時の反対運動は、単に「日本や朝鮮政府に対する反対」だけではなく、「朝鮮征服を企む日本から朝鮮を守らなければならない」という使命感・正義感みたいなものもあったのかな・・・とも思ったり。

こうして、日本と清国が戦争をする中、東学党は日本軍に激しく抵抗しますが、近代化を進めた日本軍に敗北。

こうして甲午農民戦争を引き起こした東学党を中心とする反乱軍は解散。1895年には反乱軍のトップだった全琫準ぜんほうじゅんという人物が捕らえられた後、朝鮮政府によって処刑され、甲午農民戦争は完全に鎮圧されることとなりました。

全琫準は「緑豆将軍」の愛称で呼ばれており、農民たちからの人望も厚い人格者だったとも言われているようです。農民らの暴動を統率し、朝鮮政府を圧倒するほどの大反乱にまで発展させた首謀者・・・という点では、やはり非凡な人物だったのだろうと思います。

捕らえられ全琫準の様子(真ん中の座っている人物)

最後に、甲午農民戦争についてまとめておきます。

甲午農民戦争まとめ
  • 甲午農民戦争は、新興宗教勢力だった東学党を中心に朝鮮政府への反対運動がきっかけで起こった。
  • 甲午農民戦争を理由に、清国と日本が朝鮮に軍を送りこむと甲午農民戦争は終結へ。
  • しかし、甲午農民戦争が終わっても、清国と日本の対立が続き日清戦争へ突入



明治時代
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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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