自由民権と立憲国家(1877〜1889年)|自由民権運動・明治14年の政変・大日本帝国憲法
民権
明治時代まとめ / STEP 2
STEP 2 / 1877〜1889年
自由民権と立憲国家
民権運動の高揚から明治14年の政変・松方デフレ・大日本帝国憲法制定まで、立憲君主制が形成された12年間
1877
自由民権運動開始
1881
明治14年の政変
1889
帝国憲法発布
1877
自由民権運動
1881
明治14年の政変
1882
松方財政
1884
秩父事件
1889
帝国憲法発布
Phase I — 自由民権運動の展開
1877〜1881年
1877〜1880
民権運動
自由民権運動 — 国会開設・憲法制定を求める民衆の声
西南戦争後、板垣退助を中心とする民権派は国会開設・憲法制定を求める自由民権運動を展開しました。土佐立志社に始まる運動は全国へ広がり、1880年には大阪で国会期成同盟が結成され、政府へ国会開設請願書を提出。農村にも「私擬憲法」を起草する動きが広がりました。
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自由民権運動とは?
板垣退助が推進した民主主義運動。その展開と弾圧・意義を詳しく解説。
1881
政変
明治14年の政変 — 大隈重信追放と国会開設の詔
1881年、開拓使官有物払下げ事件(薩長政府がほぼ無償で開拓使の財産を民間に払い下げようとした疑獄)が民権派の批判を浴び、伊藤博文はこの機に大隈重信を政府から追放しました(明治14年の政変)。同年、政府は「国会開設の詔」を発布し、1890年の帝国議会開設を約束しました。
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明治14年の政変とは?
大隈重信追放と国会開設詔書。明治政治史の転換点を解説。
Phase II — 松方財政と民権運動の弾圧
1881〜1887年
1881〜1885
財政改革
松方財政 — デフレ政策と農民の没落
1881年から大蔵卿・松方正義が断行した緊縮財政(松方デフレ)は、紙幣を回収して金本位制的な通貨の安定を図りましたが、米価・繭価の急落を招き、農村に深刻な不況をもたらしました。農民は土地を失い小作農に転落する者が続出し、のちの寄生地主制の形成を促しました。
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松方財政とは?
松方デフレの実態と農村の変容。近代財政制度の確立過程を解説。
1884
武力蜂起
秩父事件 — 困民党による武装蜂起
1884年、松方デフレによる農村の困窮が極限に達した埼玉県秩父で、「困民党」と呼ばれる農民組織が武装蜂起しました(秩父事件)。2万人を超える農民が借金の延納・重税軽減を求めて郡役所・警察署を占拠しましたが、政府軍・警察に鎮圧されました。
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秩父事件とは?
松方デフレで追い詰められた農民の蜂起。自由民権運動との連関を解説。
Phase III — 立憲国家の完成
1885〜1889年
1885
内閣制
内閣制度の創設 — 伊藤博文、初代内閣総理大臣に就任
1885年、太政官制を廃して内閣制度が創設され、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任しました。翌1886年には帝国大学令・師範学校令など教育制度が整備され、1888年には枢密院が設置されて憲法草案の審議が開始されます。国家機構が急速に整備されていきました。
内閣制度準備中
枢密院準備中