武士の台頭|保元・平治の乱・平清盛・平家政権まとめ

第5章 / 1155〜1180年

武士の台頭

保元・平治の乱で武士が政治の前面へ。平清盛が太政大臣に就き、武士初の政権が誕生した歴史的転換の25年。

1156
保元の乱
1167
清盛・太政大臣
1180
以仁王の挙兵
1156
保元の乱
1159
平治の乱
1167
清盛・太政大臣
1177
鹿ケ谷の陰謀
1180
以仁王の挙兵
Phase I — 武士が政治を動かした二つの乱
1156〜1160年
1156
合戦
保元の乱 — 武士が皇位継承を決める

崇徳上皇vs後白河天皇の対立に平清盛・源義朝ら武士が動員され、後白河側が勝利。戦後、崇徳上皇が讃岐に配流された歴史的な事件。「武者の世」の幕開けとなりました。

1159
政変
平治の乱 — 清盛が義朝を破り独走体制へ

院近臣・信頼が源義朝を使って清盛邸を急襲した政変。清盛が迅速に反撃して義朝を討ち、二条天皇を奪還。以後、清盛が朝廷の実権を握り始めます。義朝の子・頼朝は伊豆に流されます。

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平治の乱を詳しく
平清盛vs源義朝の一騎打ちとも言える政変。清盛が圧勝した理由と、伊豆に流された頼朝のその後を解説。
Phase II — 平清盛の栄華
1160〜1177年
1167
昇進
平清盛・太政大臣就任 — 武士初の最高位

1167年に武士として初めて太政大臣に就任した清盛。娘・徳子を高倉天皇に嫁がせ、孫・安徳天皇を誕生させて外戚としても権力を確立。かつての藤原氏と同じ手法で頂点に立ちました。

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平清盛の生涯
武士として初めて太政大臣になった平清盛。日宋貿易・徳子の入内・福原遷都まで、清盛の栄華と焦りを解説。
清盛・太政大臣の経緯 平重盛 福原遷都(1180)準備中
1168頃
経済
日宋貿易と大輪田泊 — 清盛の経済戦略

清盛は宋との貿易を積極的に推進し、摂津の大輪田泊(現・神戸港)を整備。宋銭の輸入で貨幣経済が発展し、武士政権の経済的基盤を作りました。

1177
陰謀
鹿ケ谷の陰謀 — 反平家勢力の謀略

後白河法皇の近臣・俊寛らが平家打倒を謀った事件。清盛に発覚して首謀者が流罪になり、法皇との関係が決定的に悪化。1179年には清盛が法皇を幽閉する強硬手段に出ます。

Phase III — 治承・寿永の乱の前夜
1179〜1180年
1180
挙兵
以仁王の挙兵 — 打倒平家の号令

後白河法皇の皇子・以仁王が平家追討の令旨を諸国の源氏に発し、源頼政とともに挙兵。直後に敗死しましたが、令旨を受けた頼朝・義仲・義経らが次々挙兵し、源平合戦が始まります。

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以仁王の挙兵
平家打倒の号令はなぜ以仁王が出したのか。令旨の内容と挙兵の顛末、そして各地の源氏への影響を解説。
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