日本人なら知っておけ!桓武天皇の偉業【なぜ平安京へ遷都したのか】

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前回の記事は、道鏡が前代未聞の臣下からの天皇即位を試みたが失敗に終わったお話でした。

仏と神はどっちが上?道鏡「天皇になりたい」称徳「だが断る」
前回(誰でもわかる面白い藤原仲麻呂の乱【孝謙上皇と淳仁天皇】)は、孝謙上皇VS藤原仲麻呂の政治闘争に孝謙上皇が勝利したというお話をし...

道鏡の天皇即位は失敗に終わりましたが、結局、誰が次期天皇となるかは決まらず、根本的な問題の解決には至りませんでした。

そんな中、称徳天皇が逝去します。770年、道鏡による宇佐八幡宮神託事件の翌年でした。

称徳天皇の逝去により、否が応でも皇位継承問題に決着を付けなければいけなくなったのです。

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官僚たちの苦悩 -消え去った天武天皇の子孫-

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(クリックで別ウィンドウで表示されます。)

称徳天皇の死後、次の天皇を決定する作業は非常に難航したようです。

当時は、壬申の乱の勝者である天武天皇の血を引く者が天皇となることが一般的でした。勝者なのだから当然といえば当然の発想でしょう。

壬申の乱について詳しくは以下をどうぞ

現代日本の原点となった壬申の乱。なぜ壬申の乱は起こったのか
前回は、日本が白村江の戦いでフルボッコにされた話をしました。 敗戦後、唐・新羅の侵略に怯える日々が始まりました...

しかし、奈良時代は政変の絶えない時代でした。数多くの政変により天武天皇直系の王子たちが次々と命を落としていきます。

例えば・・・

1.大津皇子
詳しくは以下の記事をどうぞ

夫の遺志を引き継いだ持統天皇、学校では絶対に教わらないサイドストーリー
上図は、百人一首に載っている持統天皇の一句です。持統天皇の歌は、万葉集にも見られ、天皇であるとともに文化人であったことが伺えます。 ...

2.長屋王
詳しくは以下の記事をどうぞ

聖武天皇はなぜ東大寺の大仏を造ったのか-長屋王の悲劇-2/4
前回、聖武天皇が文武・元明・元正の3天皇の必死の努力により724年ようやく天皇として即位した・・・というお話をしました。 ...

3.氷上志計志麻呂

4.淳仁天皇
淳任天皇は、一応天皇にはなったものの、孝謙上皇との対立により一代で天皇家の血筋は絶えてしまいます。
3と4については前回の記事で紹介しています。

仏と神はどっちが上?道鏡「天皇になりたい」称徳「だが断る」
前回(誰でもわかる面白い藤原仲麻呂の乱【孝謙上皇と淳仁天皇】)は、孝謙上皇VS藤原仲麻呂の政治闘争に孝謙上皇が勝利したというお話をし...

・・・と多くの人たちが犠牲になっています。

官僚たちは苦悩します。

称徳天皇逝去後、皇位の空白期間が長引くのはまずい。早く次期天皇を決めなければ・・・。しかし、今まで皇位継承をめぐる問題で幾度も国が乱れてきた。時間がない一方で慎重に決めねばならない。どうしたものか・・・

(´・ω・`)

他戸(おさべ)親王を天皇にしよう! -藤原氏の活躍-

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官僚たちが辿り着いた結論は、他戸親王を天皇にしよう!というものでした。

他戸親王は、男系ではないものの井上内親王から女系として天武天皇の血を受け継ぎ、また、井上内親王の旦那(後の光仁天皇)は、天智天皇の血を引くため皇族としての血筋も申し分ありません。

しかし、他戸皇子はまだ幼かった。そこで、天皇となったのが光仁天皇。他戸親王の父です。

そして、光仁天皇即位に尽力した人物が藤原百川(ももかわ)、藤原永手(ながて)、藤原良継(よしつぐ)という藤原氏たちでした。

陰謀の予感がする称徳天皇の遺言

百川、永手、良継らは、称徳天皇の遺言であるとして、光仁天皇即位を提案します。

しかし、これって実は変なんです。称徳天皇が亡くなったのが770年の8月、そして光仁天皇が即位したのは770年10月であり、2か月間、空白の期間があります。

遺言が残っているのなら、すぐに光仁天皇を即位させればいいのです。

称徳天皇の遺言は本当にあったのか、それともなかったのか。藤原氏による陰謀めいたものを感じずにはいられません。

いずれにせよ、藤原氏の活躍により称徳天皇が生きていた頃からの一大問題であった次期天皇をどうするか?という点にひとまずの終止符が打たれたのです。

しかし、天武天皇直系が大原則であったこの時代に、天武のライバルであった天智天皇直系の光仁天皇が即位したことは、その後の日本の在り方を大きく変え、桓武天皇の即位へとつながっていきます

光仁天皇は老齢でした。即位とともに他戸親王が皇太子となり、次期天皇候補となります。光仁天皇は他戸親王が天皇になるまでのつなぎ役と考えられていたのです。

桓武天皇の陰謀 -他戸親王を排除-

光仁天皇即位の2年後、772年。事件は起こります。

上の系図をもう一度見てください。光仁天皇即位により、他戸親王だけではなく他戸親王とは母違いの兄弟である早良親王や山部親王(後の桓武天皇)も天皇になれる可能性が浮上してきました。

しかし、早良親王と桓武天皇は身分の低い高野新笠という女性の子であり、さらに天武天皇の血を全く引いていません。

桓武天皇即位の可能性はあるものの限りなく0に近い状況でした。しかし、「0」から「0ではなくなった」というだけでも桓武天皇にとっては一世一代の大チャンス

そこで、考え出されたのが他戸親王の排除の策略です。

772年、他戸親王の母である井上親王が夫(光仁天皇)を呪詛したとして皇后(天皇の正妻)の地位から引きずり降ろされます。

そして、井上内親王の子である他戸親王がその責任を取らされ、皇太子の身分を失ってしまいます。光仁天皇は、他戸親王の天皇即位までつなぎ役でしかなかたっため、次期天皇問題は再び白紙に戻ってしまいました。

もちろんこれは嘘です。突然の出来事でしたが、そこには巧妙な桓武天皇の裏工作がありました。

藤原氏と結びつく桓武天皇

いつからかわかりませんが、光仁天皇即位に多大な貢献をした藤原百川、永手の娘が桓武天皇の寵愛を受けるようになっていきました。

経緯は不明ですが、桓武天皇と藤原氏は結びつきを強めていったのです。

そして有力官僚を味方につけた桓武天皇は、他戸親王の排除に向け裏工作を進めていたのでした。

桓武「俺が天皇になったらお前ら(藤原氏)を優遇してやるからな!
藤原氏「マジで!?もちろん、俺ら桓武天皇の味方だから!

※藤原氏が持ち掛けた可能性もあります。上記はあくまでイメージ!

井上内親王と他戸親王は幽閉され、山部親王(桓武天皇)は皇太子となります。

桓武天皇だけでこのようなスゴ技は使えません。藤原氏を中心に朝廷内部で事前に裏工作していたからこそできた芸当なのです。

桓武天皇即位と氷上川継(ひがみのかわつぐ)の変

772年に皇太子となった山部親王は、その9年後の781年、遂に桓武天皇として即位します。

およそ100年ぶりに天武天皇の血統以外から天皇が生まれました。あまり話題になりませんが、これは海外でいう王室が変わるのと等しいほどの革命的な出来事です。

※天武天皇の血が途絶えたものの、さらに昔にさかのぼってみると天智天皇の血を引き継いでいることから、桓武天皇即位により皇室は途絶えていないというのが日本での一般的な考え方のようです。

この革命的な即位に際して、おそらく少なからぬ批判が朝廷内にあったものと思います。なぜなら、他戸親王を排除し、自らが即位するというのは皇位簒奪行為と考えることもできるからです。

そんな中、天武天皇の血を守ろうと一人の男が立ち上がります。それが氷上川継という人物です。

天武の血が敗北するとき

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図を再掲しました。氷上川継は、天武天皇の血を引く最後の人物。

天武天皇の血統を絶ち、実力行使により自ら天皇となった桓武天皇には朝廷内で多くの不満がありましたが、その不満の求心力となっていたのが氷上川継なのです。

そして、桓武天皇が即位した781年の翌年782年のある日、氷上川継が皇位簒奪のための謀反を企てていることが発覚。

氷上川継は流罪となり伊豆へ流されます。氷上川継側に加わった者は意外と多く、それらの加担者も皆、政界から排除されます。

こうして、氷上川継の変を経て、桓武天皇の反対勢力は一掃され、桓武天皇はその地位を盤石にするとともに天武天皇の血統は断絶することとなります

氷上川継の変は、桓武天皇が反対勢力を一掃するためのでっちあげだとする説もあり、本当に氷上川継が謀反を企てたのかは謎に包まれています。

壬申の乱では天智天皇は敗北しましたが、それから100年後、息子同士の争いは天智天皇側の勝利に終わったということもできます。

遷都へ -天武の血との決別-

桓武天皇は、天武の血と決別し新王朝の設立をアピールするため遷都することを決定します。

皇位簒奪に等しい行為をしたと言われてもおかしくない桓武天皇が、天武の子孫たちが造り上げた平城京で政治を行うことは感情的にも政治的にもかなりの不都合があったはずです。

こうして造られる都が、長岡京、平安京となってきます。

次回は、遂にあの有名な平安京が出来上がるまでのお話をします。

次の記事

桓武天皇が平安京に遷都した理由とは?超丁寧に解説してみる。
前回は、桓武天皇即位のお話をしました。 桓武天皇の即位は、天武天皇の血統を断絶させたまさに革命とも言える出来事でした。...

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