今回は、1902年にイギリスと日本との間で結ばれた日英同盟について以下の点を中心にわかりやすく丁寧に解説していきます。
日英同盟が結ばれるまでの時代の流れ
最初に日英同盟が結ばれた当時の国際情勢を日本を中心とした時系列でまとめておきます。
- 1894年日清戦争が起こる
朝鮮をめぐる日本と清国の戦い。
ロシアと敵対していたイギリスは、こう考えて日本と接近します。
イギリスロシアも朝鮮を狙っているし、日本が朝鮮を支配してくれる方が都合いいよな。
こうして、日本とイギリスの間で日英通商航海条約が結ばれました。
日本は、戦争中に列強国が邪魔してくることを恐れましたが、イギリスが協力的な態度を示してくれたことで、心置きなく日清戦争に臨むことができた・・・とも言われています。
- 1898年頃
ずーっとイギリスが支配していた清国に、ロシアやドイツの勢力が入り込んでくる。
もちろん、イギリスは良く思わない。
- 1900年〜1901年
清国政府が侵略を続ける列強国に宣戦布告。
清国に近いロシア・日本を中心とした軍隊により鎮圧。日本は軍の派遣をためらっていましたが、イギリスからの強い要請を受けて、出兵を決断。(イギリスは、ロシアに主導権を握られるのを恐れ、日本に期待していた)
しかし、事件が終わった後も満洲の占領を狙うロシアが軍を撤退させず、緊張が走る。
- 1902年日英同盟←この記事はココ日本
朝鮮(大韓帝国)を支配したいけど、隣接している満洲がロシアのものになると支障が生じるなぁ・・・。
イギリスロシアの勢力をこれ以上拡大させてはならない。誰か、ロシアの勢力拡大を阻止してくれないかなぁ・・・。
と、共通の敵を持つ日本とイギリスの利害が一致して、対ロシア戦争を想定した軍事同盟が結ばれる(これが日英同盟)
・・・と、実は日清戦争ぐらいの頃から、日本とイギリスとの距離は少しずつ縮まっていました。
義和団事件・北清事変を通じてロシアが満州を占領しようしたのをきっかけに、ついにロシアと対立していた日英は軍事同盟を結ぶに至った・・・という流れです。
イギリスと日本、それぞれの立場
次に、日英同盟が結ばれた当時のイギリスと日本の立場を簡単に紹介しておきます。
イギリスの立場
イギリスは18世紀後半、世界で最も早く産業革命に成功して世界最強の経済力を誇る国に成長しました。
おまけに軍事力(特に海軍)もめっちゃ強いし、植民地を大量に持っているし、19世紀最強の国と言っても過言ではありません。
そんな感じなので、イギリスは日英同盟を結ぶまで他の国と同盟を結んだことがありませんでした。
ところが、20世紀(1900年代)に近くなるとロシアやドイツが力を持つようになり、イギリスは光栄ある孤立の限界を感じます。イギリスだけでは東アジアにまで手が回らなくなり、その隙を突くかのようにロシアが東アジアに進出してきました
このような国際情勢を踏まえ、イギリスは光栄ある孤立の方針を転換し、
この2つの条件を満たす日本との同盟を考えるようになったわけです。
「光栄ある孤立」はイギリスの強さの象徴でしたが、日英同盟はイギリスの弱体化(相対的に他の国が強くなった)の象徴とも言えるかもしれません。
日本の立場
当時の日本の最大の関心は、朝鮮(大韓帝国)です。
朝鮮は日本の目と鼻の先にある最も近い国。朝鮮を他の国に奪われると、日本は他国の脅威から丸裸になってしまいます。ちなみに、1894年に日清戦争が起こった原因も、朝鮮をめぐる日本と清国の対立にあります。
しかも当時、朝鮮を強烈に狙っている列強国がありました。その国こそがロシアです。なので、日本はロシアが朝鮮に隣接する満洲(清国北部)を支配することに強い警戒感を抱くことになります。
しかし、日本にはロシアに対抗する軍事力はありません。そこで朝鮮をロシアに奪われない方法として2つの案が日本政府の中で浮上します。
日露協商論と日英同盟、2つの選択肢
1つは、「逆にロシアの満洲支配を認めてしまおう!」という案です。
どーゆーことかと言うと、こーゆーことです↓
日本がロシアの満洲を認める代わりに、ロシアに対して『絶対朝鮮にはちょっかいだすなよ!』と交渉しよう!
力で及ばないので外交でなんとか朝鮮を守ろう・・・というわけです。
「ロシアが満洲、日本は朝鮮を支配するってことでロシアと交渉しようぜ!」というこの案は、日露協商論と呼ばれます。
日露協商論は戦争をせずに朝鮮を守れる妙案ですが、「日本を格下に見るロシアが交渉に応じてくれるか?」「仮に交渉が成立したとしても、日本との約束など破ってしまうのではないか?」と不安材料が多くありました。
もう1つの案は、「同じくロシアと敵対するイギリスと組んでロシアに対抗しようぜ!」という案です。この案が成就した結果こそが日英同盟になります。
ただし、日英同盟には「世界最強のイギリスと日本が、上下関係のない協力関係など結べるのか?イギリスに良いように利用されるだけでは?」という不安の声もありました。
日露協商論と日英同盟の2つの案についてまとめておきます。
日英同盟へ
日本は、ロシア・イギリスの両国と同時並行で交渉を進め、感触の良かったイギリスと組むことを選びます。
こうして結ばれたのが1902年の日英同盟です。
日英同盟の内容を簡単にまとめたのが以下↓
それぞれについて簡単に解説します。
1は、他国が清国や韓国へ侵略してきて日本・イギリスが持つ権益が脅かされた時には、それ相応の処置をとることを互いに認めるってことです。
つまり、「ロシアが清国・韓国を侵略しようとしたら、日本・イギリスはそれ相応の対応をするよ」ってことです。
2と3は軍事同盟の内容であり、セットで考えます。この2つが言っていることは、「ロシアは日本と戦争するなら、一対一(タイマン)でかかってこいよ。仲間を連れてきたらイギリスも暴れてやるからな」というロシアへの牽制です。
ちなみに、想定している戦争とは、満洲や朝鮮をめぐる日本とロシアの戦争ことです。
日英同盟の2と3の内容でロシアが他国と同盟を組むことを防ぎつつ、イギリスは表向きは中立を保ちつつも、裏で日本を支援する・・・という作戦です。
日英同盟で大進化を遂げた日本
世界最強とも言われるイギリスと軍事同盟を結んだことで、日本の国際的な評価は格段に上がりました。
「光栄の孤立を貫いてどの国とも同盟を結んでこなかったイギリスと組むなんてやるじゃん」ってわけです。
明治維新以降、列強国に負けない国を目指していた日本ですが、日英同盟によって遂に列強国の仲間入りを果たすことになります。列強国による世界をめぐる勢力争いの中に、日本は本格的に参戦することになったんです。
日露戦争へ・・・
日英同盟によってロシアとの戦争が現実味を帯びてきますが、戦争は日本にとって最悪の想定です。できるのなら、強国のロシアと戦争などしたくなりません。
そのため、日英同盟が結ばれた後も、日本はロシアと日露協商論の実現に向けて交渉を進めます。
しかし、ロシアはこれを頑なに拒否します。
雑魚の日本の言うことをいちいち聞く必要もないしなぁー。
そしてロシアは、最終的に日本にこう言い放ちます。
うーん。朝鮮半島の南半分だけなら、日本の支配を認めてやっても良いよ。
北半分は、日本もロシアも支配しない中立ね!(裏ではロシアが支配するけどなwww)
もちろん、日本も「朝鮮半島の北半分は中立!」というのがロシアの詭弁であることはわかっています。これ以上のロシアとの交渉が無意味と悟った日本は、武力によって朝鮮を守ることを決意。
こうして、1904年、日本はロシアとの間でタイマン勝負(日露戦争)を行うことになるのです。
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