今回は、日本で広く信仰されている阿弥陀如来(あみだにょらい)について紹介しようと思います。
阿弥陀如来は日本で広く信仰されているため、寺院観光に行くと阿弥陀如来像を見ること機会もとても多いはず。この記事を通して阿弥陀如来のことを少しでも多くの人に知ってもらえたらなと思います。
阿弥陀如来と大乗仏教
阿弥陀如来の「如来」は仏様という意味の言葉。なので阿弥陀如来とは「阿弥陀という名の仏様」ということになります。
仏教って悟りを開いて仏になったブッダの教えを信仰する宗教です。仏となったブッダのことを釈迦如来と言いますが、すると阿弥陀如来と釈迦如来で仏様が複数いることになります。
なぜブッダの教えを信仰するのが仏教なのに、ブッダ以外の仏様が登場するのでしょう?何も知らなかった自分にとってこれはかなり意味不明でしたが、この問いの答えは仏教の歴史を知ると自ずとわかってきます。
ブッダが亡くなった後、多くの人々がブッダの教えを理解・実践してブッダのように悟りを開いて仏様になろうとしました。しかし、数百年が経過しても一向に悟りの境地に辿り着く者が現れません。
どんなに教理を勉強して厳しい修行を行っても悟りを開けないとなると、次第に人々は疑問を持つようになりました。「ブッダの教えをいくら実践しても悟りを開けない。実はブッダの教え以外の方法でも仏になれる方法があるんじゃね?仮にそうなら、ブッダが悟りを開く以前にも仏となった人っているんじゃね?」
こうしてブッダが悟りを開くよりもさらに昔に悟りを開いたと思われる人物が仏教上に登場しました。その1人が阿弥陀如来なのです。
ちなみに、「ブッダ以前に仏になった人物がいるのなら、未来にも仏になる者がいるはずだよね?」という発想も生まれ、こうして信仰されるようになったのが弥勒菩薩になります。
ブッダ以外の仏の登場によって、仏教は実に多様で寛容な思想に発展し、こうして生まれたのが大乗仏教(だいじょうぶっきょう)。時代的には紀元前後のお話になります。大乗仏教以前の仏教は、原始仏教と呼ばれ、同じ仏教でも大乗仏教とは区別されています。
大乗仏教の最大の特徴は、「ブッダは全ての人々が悟りを開くことを望んで教えを説かれた。今のように難解な教理を理解したり、厳しい修行をこなしたものだけが悟りを開けるという考え方はそもそもおかしい。ブッダの教えを正しく理解すれば、万人に悟りを開く道が開かれているはずだ!」という思想を持っている点です。
具体的な思想の内容は、般若心経というお経に簡潔にまとめられていますが、ここでは省略。
大乗仏教は、中国や朝鮮にも広まり、そのまま日本にも伝来しました。日本の仏教は大乗仏教なんです。
紀元前後に生まれた大乗仏教と共に信仰されるようになったのが阿弥陀如来なのです。
ちなみに、阿弥陀如来については、「阿弥陀経」や「無量寿経」というお経にその存在や思想について書かれています。
阿弥陀如来はどんな仏?
大乗仏教から生まれた阿弥陀如来信仰。では阿弥陀如来とは具体的にどんな存在なんでしょうか?
阿弥陀如来も、悟りを開くまでは修行僧の1人でした。修行僧は「菩薩」と呼ばれ、悟りを開く前の阿弥陀如来は法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)と呼ばれています。
法蔵菩薩は紆余曲折を経て、一切皆苦の世から人々を救うため「私が仏になれたら絶対こうするよ!」っていう48個の誓いを立て、この48個の誓いを実現すべく悟りを開き、自ら困苦から解放された世界(浄土)を築き上げました。
こうして法蔵菩薩は阿弥陀如来となり、阿弥陀如来が住む世界は極楽浄土(ごくらくじょうど)と呼ばれました。阿弥陀如来は、法蔵菩薩時代に誓った48個の誓いを達成すべく極楽浄土で常に人々を救うために尽力しています。
【極楽浄土の様子】
語弊があるのを覚悟で簡単にまとめちゃうと、人々を救いたいと一心に願い、救いの心を最大限まで極めることで悟りを開いたのが阿弥陀如来です。阿弥陀如来の存在は、大乗仏教では「人々を救いたい!と思う利他的な心が超重要!」ということを教えてくれています。
同じ仏教でも、ひたすら自分を追い込み厳しい修行をすることで悟りを開く・・・という原始仏教的な思想とは大きく異なっています。
阿弥陀如来と末法思想
日本では仏教伝来以降、阿弥陀如来信仰は行われていましたが、本格的な信仰が始まったのは平安時代末期から。平安時代末期、空前の阿弥陀如来信仰ブームが到来します。なぜかというと1052年に末法が到来するという末法思想が広まったため。
末法思想とは、「ブッダが亡くなってから、一定の期間が経過すると私たちはブッダの教えを理解できなくなり、悟りも開けなくなってしまう・・・」という仏教における思想の1つ。詳細は以下の記事をどうぞ。
日本では末法到来は1052年と考えられていました。海賊襲来・武士の反乱・所領争いの激化、などなど社会情勢が不安定化した時期と末法の時期が重なったのもあって、末法思想は人々の間に広く信じられるようになります。
末法の到来は人々から救いの希望を奪うものであり、人々はその到来に恐怖します。そんな中、ある一部の人たちはこんなことを考えました。「私たちがブッダの教えを正しく理解できなくなったとしても、極楽浄土で私たちを救おうとしてくれている阿弥陀如来の手を借りれば私たちでも浄土へ行けるのでは?・・・というか、もうそれしか方法がないんじゃねーか!?」と。
阿弥陀如来への信仰は1000年ごろから広がり始め、1175年、遂にブッダではなく阿弥陀如来を最高の仏とする新宗派の「浄土宗」が開宗されます。開祖は法然(ほうねん)という天台宗の僧侶。
阿弥陀如来と浄土宗
浄土宗がどんな宗教なのかと言うと、法然が1198年に書いた「選択本願念仏集」という本に書かれています。
先ほど紹介した阿弥陀如来の48つの誓い(本願)は四十八願(しじゅうはちがん)と呼ばれますが、法然は四十八願のうち特に18番目の本願を重要視しました。
48個の本願のうち18番目だけを選択して重視する、これが「選択本願」というやつ。
そしてそんな18番目の阿弥陀如来の本願がどんなものかと言うと・・・
わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません 。
こんな感じの内容。
阿弥陀如来はこの誓いを絶対に守ってくれるはずだから、18番目の本願のとおりに阿弥陀如来のいる世界(極楽浄土)を信じ、念仏を唱えればきっと阿弥陀如来が私たちを極楽浄土に導いてくれる・・・法然はこんな考え方をしました。
多くの人が一度は聞いたことがあるであろう南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)という念仏。
南無阿弥陀仏というのは現代語訳すると「阿弥陀仏様、どうか私を救ってください」という意味で、これこそがまさに四十八願の18番目の本願。法然が最も重要と考えた念仏です。
法然は、南無阿弥陀仏とひたすら念仏を唱え阿弥陀如来の十八番(オハコ)によって救ってもらうことを考えて、浄土宗という新たな宗派を作り出したわけです。
阿弥陀如来まとめ
阿弥陀如来は紀元前後の大乗仏教の成立と共に信仰されるようになりましたが、日本の阿弥陀如来信仰は、浄土宗やその後の浄土真宗の登場により独自の進化を遂げました。
浄土宗・浄土真宗は今現在も日本で多く信仰されている宗派の1つだし、世界で一番阿弥陀如来信仰が盛んなのもおそらく日本なんじゃないかと勝手に思います。日本人にとって阿弥陀如来はもはや必要不可欠な仏様となっているのです。
寺院観光に行けば、阿弥陀如来像を見る機会は多くあると思いますが、ぜひ阿弥陀如来信仰の裏にある歴史みたいなものをその際に感じていただけたらな・・・と思います!
コメント