誰でもわかる万延貨幣改鋳!簡単にわかりやすく徹底解説【小判と金銀比価のお話】

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今回は、幕末に起こった経済問題の1つ万延貨幣改鋳まんえんかへいかいちゅうについてわかりやすく解説します。

万延貨幣改鋳は、アメリカをはじめとして各国と修好通商条約(安政の五カ国条約)が結ばれて、外国との貿易が始まった時に起こった貨幣にまつわる問題です。手元の教科書ではこんな風に書かれています。

万延貨幣改鋳の概要

日本と外国との金銀比価きんぎんひかが違ったため、多量の金が海外に流出した。幕府は金貨の品質を大幅に引き下げる改鋳(万延貨幣改鋳)をおこなって、これを防いだ。

この記事では、以下の2点を中心に万延貨幣改鋳について解説していきます!

  • 具体的に、何が問題になったの?
  • 結局、万延貨幣改鋳って何をしたの?
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鎖国していたせいでグローバル化に対応できず・・・

当時(1860年ごろ)、金貨と銀貨の交換比率は多くの国で1:15ぐらいでした。

つまり、金貨1グラム(g)を手に入れるためには銀貨15gを用意する必要がありました。

一方、日本ではこの比率が1:5となっていました。

金貨1gを手に入れるためには銀貨はたった5gあればOK。外国で金を手に入れるより、ザッと1/3の値段で買えちゃうわけです。

なぜ、このような差が生まれたかと言うと日本がずーっと鎖国をしていたからです。鎖国していた日本は、国際的な交換基準(1:15)をそれほど気にする必要がなかったので、国内の事情に合わせて金銀の交換比率を定めていました。その結果、世界基準と大きくかけ離れた基準(1:5)となってしまったのです。

とはいえ、国内だけの話なら1:5でも特に問題はありませんでした。問題になるのは、金銀比価の違う海外と貿易をする時です。

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【朗報】お金を無限に増やす裏技見つかる

金銀比価の違いの何が問題になったかというと、金銀比価の違いを利用して、裏技的な方法で大儲けする人が現れたことにあります。

各国と修好通商条約を結んだ後、幕府と各国の間で、外国のお金と日本のお金の取引ルールが決められました。

アメリカを具体例に見ていきます。

まず、アメリカで使われている銀貨1枚を、日本で使われている一分銀3枚と交換できるルールが作られました。

これはアメリカ銀貨と日本銀貨の大きさや銀の含有量を調べた上で、同じぐらいの銀の量になるよう取り決められた交換レートです。

さらに日本の金貨(小判)は以下のような形で銀貨と交換できました。

アメリカの場合

小判1枚=アメリカ銀貨4枚

日本の場合

小判1枚=日本の銀貨(一分銀)4枚

これらの仕組みを利用することで、実は簡単にお金を増やせる錬金術が完成します。

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失われる日本の金

実際にお金を無限に増やす錬金術の一例を紹介してみたいと思います。

まずは上で登場した当時の3つのルールの再確認。

  • アメリカ銀貨1枚 = 一分銀3枚
  • 小判1枚 = 一分銀4枚
  • 小判1枚 = アメリカ銀貨4枚

アメリカ人が100枚のアメリカ銀貨を持っていたとします。わかりやすいようにアメリカ銀貨1枚を1ドルだと想定します。

つまり、アメリカ銀貨100枚=100ドルです。

この想定でお金をガッポガッポ儲ける方法は以下の手順になります。

簡単に金持ちになる方法
  • STEP1
    まずはアメリカ銀貨100枚を一分銀300枚に両替します。
  • STEP2
    一分銀300枚を小判75枚に両替します。(300/4=75)
  • STEP3
    小判75枚をアメリカに持ち帰ってアメリカ銀貨に両替すると、アメリカ銀貨300枚になります。(75✖️4=300)
  • STEP4
    あら不思議。最初100枚だったアメリカ銀貨は両替を繰り返すだけで300枚に増えてしまいました。

    100ドルが三倍の300ドルになりました。そしてこの300ドル分の銀貨をさらに小判と両替すれば、300ドル→900ドル。

    これを繰り返せば、900ドル→2700ドル→8100ドル・・・と錬金術のようにお金を増やすことができます。

これだけ見ると無限にお金を増やせそうに思えますが、実はそうではありません。ポイントはSTEP3の「小判75枚をアメリカに持ち帰って」の部分。

この無限ループを成功させるには小判をアメリカに持ち帰る必要があります。そして、小判を延々とアメリカに持ち帰るとどうなると思いますか?

・・・小判をアメリカに次々と持ち帰ると日本から金が消え去ります。金は無限に湧き出るものではありません。つまり、この無限ループは「日本から金が枯渇するまで」使える裏技なのでした。

これでは日本の貴重な金をタダ同然でアメリカに渡しているようなものです。江戸幕府もこの裏技の存在にすぐ気付くようになり、これを阻止するため、いろんなことを試みました。

そして、数ある試みの中の1つが万延貨幣改鋳でした。

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江戸幕府「小判の金の量減らして小さくするわ」

この問題を解決するには大きく2つの方法が考えられました。

方法1:一分銀の価値を下げる

上の例で「小判1枚=一分銀4枚」と言う部分がありますが、実はここを・・・

小判1枚 = 一分銀12枚

とすると、この問題は解決します。(このレートで上の裏技を試してみるとわかります。)

一分銀4枚で買えたものが一分銀が12枚もないと買えない・・・ってことは銀貨の価値が下がったことになります。

銀貨の価値を下げる方法は2つあります。

銀貨を大量発行

今までの3倍の量を銀貨を発行する。一分銀4枚で買えたものが3倍の一分銀12枚に急に値上がりしても、人々も同じように3倍の銀貨を持つようになれば影響なし。平穏に無事にこの問題を解決できる。

しかし、この方法はダメでした。日本は、金はザクザク採れても銀はあまり持っていないため、物理的に不可能でした。

銀貨をショボくする

一分銀の銀の含有量を1/3に減らす。これで実質的に方法1と同じことができます。

この方法もダメでした。銀貨に含まれている銀の量を元に「アメリカ銀貨1枚=一分銀3枚」というルールを決めたのに、日本だけが一方的に一分銀の銀の量を減らすことにアメリカが猛抗議してきたからです。

ハリス
ハリス

一分銀の銀の含有量を減らすのに、両替が「アメリカ銀貨1枚=一分銀3枚」のままじゃ、アメリカはこれまでより少ない銀を買わされることになる。

これではアメリカに不公平だから絶対に許すことはできない。

方法2:金貨の価値を上げる

方法1とは真逆の発想で、

小判0.33枚 = 一分銀4枚

としても、金の価値を上げることでも方法1と同じことができます。江戸幕府が採用したのはこの方法でした。

幕府は

旧小判1枚 ≒ 新小判3枚

となるような金の含有量の少ない新小判を発行して、小判1枚=一分銀3枚の設定はそのままにしました。

これで、金の大量流出問題は解決されます。そして、この時に新しい小判を作ったことを万延貨幣改鋳と言います。万延の年号の時に「貨幣を改めて鋳造する」から万延貨幣改鋳です。

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【悲報】庶民、物が高くて何も買えない

ただ、万延貨幣改鋳は人々の生活に大きな大きな副作用を残すことになります。物価が上がって、庶民たちは物を簡単に買うことができなくなり、生活が苦しくなってしまったんです。仕組みはこうです。

庶民の生活が苦しくなるまで
  • STEP1
    旧小判1枚を新小判3枚に両替する。

    一分銀との交換レートはどちらも

    旧小判1枚 = 一分銀3枚

    新小判1枚 = 一分銀3枚

    のままだったので、旧小判→新小判と両替するだけで3倍の儲けになる。

    旧小判1枚→新小判3枚→一分銀9枚

  • STEP2
    多くの人が金持ちになったのでみんな金を使う
  • STEP3
    みんなお金を持つと、値段を高くしても物が売れるので商品が値上がり(物価が上昇)のする。
  • STEP4
    ただし、STEP1〜STEP3の流れについていけない庶民の人々にとっては、お金は増えないのに物価だけが上がり、生活が苦しくなる

「お金が大量に流通して、物価が上がる」ことを経済用語で「インフレーション」と言いますが、この現象はインフレーションそのものでした。

ちなみにインフレーション自体は悪いことではありません。ゆっくり行われる場合は良いこともあります。しかし、急激なインフレーション(物価上昇)はダメです。対応できない人々が、困苦に陥ることになります。

さらに万延貨幣改鋳の影響を抜きにしてシンプルに生糸などの価格も上昇し、人々の生活に追い討ちをかけました。生糸などの価格上昇を抑えるため、五品江戸廻送令という命令を出しますが、効果はなく、物価の上昇を抑えることはできませんでした。

怒った人
怒った人

生活が苦しくなったのは、全部外国人のせいだ。

あいつらマジで許さんからな・・・!

こう思う人たちも増え、次第に攘夷じょうい(外国を倒すべしという思想)を考える人も増えていきました。

実際に、1860年ごろから日本に滞在する外国人が襲撃される事件も増えていきます。

外国人襲撃事件の例
  • 1860年:アメリカの通訳をしていたオランダ人、ヒュースケン襲われる。
  • 1860年:イギリスの仮の公使館が襲われる。(東禅寺事件とうぜんじじけん
  • 1862年:生麦村でイギリス人が斬られる(生麦事件
  • 1862年:イギリス公使館が襲撃され全焼(イギリス公使館焼打ち事件

万延貨幣改鋳によって貿易上の問題は解決されましたが、庶民の生活を苦しめることとなり、「外国人憎し!」という人々の気持ちを助長することとなりました。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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