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面白いほどわかる版籍奉還!徹底解説します【大政奉還の発展形。成功か失敗かは微妙・・・】

この記事は約9分で読めます。

今回は1869年に実施された版籍奉還はんせきほうかんについてわかりやすく丁寧に解説していきます。

最初に教科書風の概要を載せておきます↓

版籍奉還とは・・・

1869年1月、木戸孝允きどたかよし大久保利通おおくぼとしみちらが画策して、薩摩・長州・土佐・肥前の4藩主に朝廷への版籍奉還を出願させると、多くの藩がこれにならった。

新政府は6月に、これら以外の全藩主にも版籍奉還を命じる一方、旧大名には石高にかえて年貢収入の10分の1に当たる家禄を与え、旧領地を知藩事ちはんじ(地方長官)に任命して、藩政に当たらせることにした。

この記事では版籍奉還について以下の点を中心に解説を進めていきます。

  • そもそも「版籍奉還」って何?
  • 版籍奉還が実施された経過や時代背景
  • 版籍奉還によって何が変わったのか?
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そもそも版籍奉還ってどんな意味?

最初に、版籍奉還という言葉の意味について確認しておきます。版籍奉還は「版」「籍」「奉還」の3つの単語に分解することができます。

そして、この3つの単語の意味は以下のとおり。

はん

版図(領地のこと)。ここでは各藩の領地を指している。

せき

人々を管理する戸籍。ここでは各藩に住む人々のこと。

奉還ほうかん

天皇へ返上すること

そして、この3つを組み合わせると・・・

「版籍奉還」=「各藩の領地と領民を天皇へ返上すること」

という意味になります。

1867年には、これと似た大政奉還というのが実施されています。

「大政」というのは、「江戸幕府(徳川将軍)の持っていた政治の大権」という意味なので

「大政奉還」=「江戸幕府の大権を天皇に返上する」

というものでした。

とっても簡単に言ってしまうと、1869年に実施された版籍奉還は、1867年に江戸幕府に対して行われた大政奉還の藩バージョンということになります。

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版籍奉還までの流れ

版籍奉還までの流れ
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国家統一に向けて

江戸時代の民衆統治の仕組みは、簡単に表現すると以下のようなものでした。

江戸時代の民衆統治の仕組み

1 天皇(朝廷)

↓【政治の大権を委任】

2 江戸幕府

↓【御恩と奉公の関係(封建制)】

3 各藩

↓【藩主の命令】

4 民衆

幕末になると、黒船来航をきっかけに欧米諸国が日本に入り込んできます。

朝廷や江戸幕府はこの非常事態に対応するため、国を1つにまとめようとしますが上手くいきません。江戸幕府が各藩を統率することができなかったからです。(上図の江戸幕府→各藩のところで失敗した。)

すると、「もう幕府無くして、天皇の名の下に一致団結した方がよくね?」という倒幕運動が活発になり、妥協した江戸幕府は大政奉還を行います。「2 江戸幕府」が「1 天皇」に吸収され、民衆統治の構図は以下のように変化しました。

大政奉還後の民衆統治の仕組み

1 天皇(公卿・藩士たちによる新政府)

↓【各藩に指示】

3 各藩(江戸幕府の没収地は新政府直轄領の「県」または「府」)

↓【藩主の命令】(県・府では府県知事)

4 民衆

重税や物価上昇に苦しんでいた人々は、「これからはこの苦しみから解放される・・・」と新政府の掲げた五箇条の御誓文に大いに期待します。

ところが、この期待は大きく裏切られます。庶民たちの税はさらに重くなり、士族は武家特有の特権を剥奪されようとしていたからです。これに人々は怒り、各地で頻繁に暴動が起きるようなりました。

木戸孝允
木戸孝允

新政府に不満を持つ諸藩と民衆が結びつくと大変なことになる。

版籍奉還により、藩を藩主のものから天皇のものとすることで、藩の力を削ぎつつも新政府に取り込んでしまうべきであろう。

こうして、国内の不安定な情勢に対応するために行われたのが版籍奉還でした。

版籍奉還は突如として考えだされたものではなく、江戸幕府が大政奉還を受け入れた時点で、「幕府が大政を奉還するなら、いずれ諸藩も同じ運命を辿るだろう」とこれを予想していた人も多くいました。

ちなみにこの時、人々の不満を抑える案として、外敵に民衆の目をそらすため、朝鮮を征服すべきという征韓論せいかんろんも登場しました。しかしこの時点では採用されず、1873年頃から再び議論が盛んとなります。

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版籍奉還の方法

版籍奉還と言っても、これを実行することは簡単ではありません。

そもそも、何かメリットがなければ藩主たちが版籍奉還に応じることはありません。だからと言って藩主の意向を無視して強引に行ってしまうと、反乱が起きるかもしれない。しかも版籍奉還が行われた1869年は戊辰戦争の真っ最中なので、慎重にならざるを得ません。

そこで、新政府の木戸孝允・大久保利通らはこう考えました。

木戸孝允
木戸孝允

まずは新政府の主要メンバーが多くいる薩摩・長州・土佐・肥前の4藩が率先して版籍奉還を行う。

雄藩らが版籍奉還するのを見れば、それに追従する藩も増えるだろう

こうして、新政府のメンバーたちは薩長土肥の4藩主を説得し、1869年1月、新政府に対して以下のような版籍奉還の意思表明をしました。

版籍奉還の意思表明(超訳)

天子様(天皇)へ領地・領民を返上します。

その代わり、新政府の判断に基づいて諸藩に領地・領民を再配分してください。必要に応じて諸藩の領地領民を奪い、そして領地領民を与える。特に新政府に多大な貢献をした列藩について、しかるべき決定をしていただきたいのです。

つまり、薩長土肥の藩主たちは「新政府に貢献した俺たちなら今よりも良い処遇を与えられるかもしれない」という強いメリットを感じ、版籍奉還に応じたという流れです。

新政府も「今後、新政府で議論の上、必要な決定をする」と、これを受け入れます。

これを知った各藩では、

版籍奉還に応じておけば、新政府の方で良き決定をしてくれるに違いない!

と多くの藩が薩長土肥に続きます。

ここまでは木戸孝允らの計画通りです。

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版籍奉還の内容

ただし、この時点で1つ注意しなければならないのは各藩が版籍奉還を願い出ても、新政府は一言も「領地領民を与える」とは言っていない点です。

あくまで「議論の上、必要な決定を下す」という曖昧な表現で終わっています。

1869年5月、五稜郭ごりょうかくの戦いに新政府が勝利して戊辰戦争が終わるとその翌月(6月)、遂に新政府は各藩に対して以下の決定を下します。

新政府の下した決定
  • 1 返上してもらった領地は全て新政府直轄領とする。
  • 2 その代わり、藩主たちを直轄領の管理を担う地方長官に任命する。(これを知藩事ちはんじと言う)
  • 3 領地を返上しに代わりに知藩事には、領地の年貢の1/10を家禄(お給料)として支給する。
  • 4 各藩の藩士は藩主からではなく、新政府から家禄を支給する。(藩主と藩士の主従関係は崩壊へ)
  • 5 藩主という身分は廃止する。公卿と合わせて、これからは華族かぞくという身分にする。

さらに申し出ていない藩に対しても、版籍奉還をするよう命令を下しました。

版籍奉還の内容は、薩長土肥らの意思表明を完全に無視したものになっています。多くの藩は期待を大きく裏切られました。しかし、その割には強い反対を受けることはありませんでした。

藩主たちは知藩事として地位を保証され、しかも公卿と同等の華族に選ばれたからです。 

「藩」という名前はそのままに、知藩事としてこれまでと変わらない藩領を任された藩主の中には、何がどうなったか理解していない藩主もいたとも言われています。これでは反対のしようもありません。

版籍奉還後の民衆統治の仕組み

1 天皇(公卿・藩士たちによる新政府)

↓【知藩事を任命】(県・府は知事)

2 地方長官(知藩事と府県知事)

↓【新政府の命令に基づき民衆統治】

4 民衆

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藩と府と県

版籍奉還により、新政府直轄領として3つの領地が完成しました。

それが「藩」「府」「県」です。

「府」と「県」

「府」と「県」は、新政府が直轄領とした旧幕府の領地のこと。重要な場所は「府」とし、それ以外は「県」と呼ばれた。

名実ともに、新政府の直轄領。

「藩」

版籍奉還によって新政府直轄領となった藩領。江戸時代と変わらない「藩」と読んだ。

名目上では新政府直轄領だけど、藩主がそのまま知藩事として残ったため、実際のところは、軍制や徴税などの重要な権限は知藩事が持っていた。(これも版籍奉還に大きな反対が起こらなかった理由の1つ)

だから、新政府は藩から税金を取ることができず、府県ばかりから徴税することとなり、府県には重税が課されることになった。

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版籍奉還から廃藩置県へ

平穏無事に終わった版籍奉還ですが、藩主の権益を保護した上での版籍奉還のに木戸孝允は強い不満を持ちます。

木戸孝允
木戸孝允

藩の反乱を恐るあまり、藩主の力がそのまま残ってしまった。

名は新政府の領地となったが、実態は依然として知藩事となった藩主が支配している。これでは、旧来の藩主の影響力を排除できない。

いずれ全ての「藩」を「県」「府」のように名実ともに新政府の直轄領としなければならない・・・・!(これが廃藩置県となります)

こうして全ての藩を廃止して「県」「府」とし、名実ともに国土の全てを新政府直轄領にしようとしたのが1871年に行われた廃藩置県となります。

版籍奉還は、木戸孝允の言うとおり反乱を恐るあまりに藩主の力を守りすぎてしまった点では失敗と言えるかもしれません。藩主の力が残ったままだったせいで、「藩を天皇に返上する」と言うのも形だけになってしまいました。

しかし、後に行われる廃藩置県に向けた大きな布石だった・・・と考えれば、成功のような気もします。

いずれにせよ、版籍奉還の結果は明治政府が望んだパーフェクトな結果ではありません。明治政府が望んだものは版籍奉還の先にある廃藩置県にありました。

なので、廃藩置県について知ると、版籍奉還についての理解も深まるはずです。



明治時代
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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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