義経ゆかりのお寺!鞍馬寺の歴史を徹底解説!【観光前に知っておきたい豆知識】

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今回は源義経ゆかりのお寺、鞍馬寺(くらまでら)の歴史について話をしてみようと思います。

 

 

鞍馬寺と言えば天狗とか義経が有名ですが、お寺の歴史は意外と古くて、それ以外に結構いろんなお話があったりします。

 

鞍馬寺の歴史を知ると、鞍馬寺観光をより有意義にできるはずです。この記事をぜひ参考にしていただければ!

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鞍馬寺の始まり

鞍馬寺は770年に鑑真の弟子だった鑑禎(がんちょう)という人物によって創建されたのが始まりとされています。

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770年と言えば日本の首都は平城京。実は、この時点で鞍馬寺の歴史が相当古いことがわかります。

 

 

というのも、京都の多くのお寺は794年に日本の首都が平安京に移ってから建てられたものだからです。794年以前に建立され、今も現存するお寺は決して多くありません。他にパッと思い浮かぶのは、清水寺と広隆寺ぐらいでしょうか。

 

 

奈良にいた鑑禎はある日、「北に聖地があるで〜」との夢のお告げを聞くと、翌日、突如として白馬が現れ、鞍馬寺へと案内してくれたと言います。鞍馬寺では鬼が現れて鑑禎を邪魔しますが、毘沙門天(びしゃもんてん)が鬼を退治してくれたため、災いを免れることができました。

 

 

鑑禎は聖地とのお告げがあった鞍馬寺に小庵(しょうあん)を構え、毘沙門天像を祀りました。これが鞍馬寺の始まりだと言われています。

 

 

荒唐無稽な話ですが、お寺の創建伝説はだいたいこんな感じ。同じく古い歴史を持つ清水寺の話もなかなか面白いですよ。

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学生から大人まで誰もが楽しく歴史を学べる「まなれき」の場です

 

 

その後、都が平安京に移ると藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)という人物が、小庵を拡充して、いよいよ鞍馬寺はお寺の機能を持つようになりました。藤原伊勢人は、観音菩薩を特に好んで信仰していたので、鞍馬寺には毘沙門天と並んで観音菩薩も祀られるようになります。

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毘沙門天信仰の発祥の地、鞍馬寺

その後、鞍馬寺は民衆たちに広く親しまれ、平安京の中でも大人気のお寺になります。

 

 

鞍馬寺を訪れる人々が目当てにしていたのは鞍馬寺の毘沙門天。

 

 

毘沙門天は仏教における四天王の一人。仏様の守護神であり、四天王は東西南北の四方を分担して守っていました。その四天王の中で最強クラスの強さを誇ったのが毘沙門天。毘沙門天は東西南北のうち、「鬼門」と呼ばれる北側を担当します。

 

 

平城京から見ても平安京から見ても、鞍馬寺は北に位置します。鞍馬寺創建の話で、「毘沙門天が鬼を退治した」という話がありましたが、これは鞍馬山が鬼門に位置することにも由来がありそうです。

 

 

ちなみに、戦国時代に無双の強さを誇った上杉謙信の異名が毘沙門天なのも、毘沙門天が四天王最強だったことに由来します。

 

 

毘沙門天は武勇の象徴として有名な一方で、金運の神でもありました。(毘沙門天は古代インドの富と財産の象徴の神がモチーフになっていることに関係がありますが、ここでは詳細は話は省略します。)

 

 

当初は、平安京の鬼門(北)を守る守護神として信仰されていた毘沙門天でしたが、次第に金運の神としての側面がピックアップされるようになり、人々から広く信仰されることになります。

 

 

人々が毘沙門天に願ったのはもちろん

金持ちになりたい!!!!

 

という願いだったはずです。

 

今昔物語(こんじゃくものがたり)という本に貧乏学生が金持ちになった逸話が残されていることからも、人々の金持ち願望は実際にあったのだろうと思います。

 

平安時代中期(1000年ごろ)、清少納言が書いた「枕草子」にも鞍馬寺が登場します。

 

近うて遠きもの。
宮のべの祭。
思はぬ同胞、親族の仲。
鞍馬のつづらおりという道
師走の晦(つごもり)の日、睦月の朔(ついたち)の日のほど

*枕草子第166段

 

近そうで遠いものとして鞍馬寺の九十九折(つづらおり)と言う険しい道を挙げています。鞍馬寺といえば、木の根がウネウネしたこんな道が有名です。

(出典:wikipedia「鞍馬寺」

 

険しい道を登って訪れた鞍馬寺で、清少納言は何を願ったのでしょうか。やはりお金の話だったんでしょうかね・・・。

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鞍馬寺にまつわる豆知識

少し話が逸れますが、鞍馬寺の木々の根はなぜ地表にむき出しになっているのでしょうか。

 

 

その理由は鞍馬山の地盤が固く、根を深くまで張り巡らすことができないからだと言われています。さらに、地盤が固いのは鞍馬山が鉱山で鉄資源が豊富だったから。

 

 

鑑禎は夢のお告げで鞍馬山へ向かいました。いきなりなんの縁もない山の名前が挙がるわけがないので、おそらく都が平城京だった頃から鞍馬山は鉱物採掘の山としてある程度知名度のある山だったのだろうと思います。

 

 

鞍馬寺近くに、貴船神社という神社があります。夏には川床での食事を目当てに多くの人が集まる神社です。この貴船神社、山の中にあるのに「船」という文字が当てられているのは、昔々に鞍馬山で採掘した資源を運ぶために川舟を利用していたからだとも言われています。

 

 

うーん、鞍馬寺の歴史は実に奥が深い。

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鞍馬寺の天狗伝説

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そんな鞍馬寺とみんなのヒーロー源義経との関係から、室町時代頃から様々な逸話が生まれます。

 

 

そこで生まれたの天狗と義経の話。

 

 

古来より鞍馬山周辺の山々には天狗が住んでいると伝えられていました。天狗は元々は魔物であり、人々から忌み嫌われる存在でした。先ほど話したように鞍馬山は鬼門の方角だと考えられており、天狗もまた、鬼門を脅かす魔物とか妖怪の一種だったのです。

 

 

ところが時代が進むにつれ、どうも天狗のイメージは変わってきます。その象徴的なのが義経と天狗のエピソード。

 

 

鞍馬寺に預けられた義経は、父の仇の平家を打ち取るため、鞍馬の山奥で日々天狗と修行を続けていた・・・なんて話が残っています。。さらには、鞍馬山の天狗が義経に平家を倒すための兵法を授けたと言う話まであるほど。

 

 

なぜ魔物のくせに義経にこんな親切なの?本当に天狗って悪いやつなのか?

 

そんな疑問が湧いてきますね。

 

 

どうも、天狗は次第に魔物・妖怪から神として崇められるようなったらしいのです。鞍馬寺では、天狗は毘沙門天の化身と考えられるようになり、人々を災いから守る神として祀られるようになりました。

 

 

ちなみに、天狗がいまみたいな姿になったのも室町時代以降らしいです。

(写真:かっちゃんの日々を楽しく!

 

神なのに怖い顔をしているのは、魔物の頃の名残なんでしょうかね。

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鞍馬弘教の始まり

鞍馬寺は創建当初は真言宗のお寺となり、その後は天台宗系の寺院として長く存続しましたが、昭和時代になると天台宗から独立し、鞍馬弘教(くらまこうきょう)という新宗教を立ち上げ、現代に至っています。

 

 

鞍馬弘教では、本尊(お寺が祀るメインとなる仏像)のことを尊天と呼び、

・毘沙門天
・千手観音菩薩
・護法魔王尊

 

の3尊を尊天としています。本尊(尊天)が複数あるお寺はとても珍しいです。

 

 

毘沙門天と千手観音は既に登場しましたが、護法魔王尊は初耳ですね。

 

 

鞍馬弘教では護法魔王尊は、650万年前に金星から地球にやってきた異星人。歳を取ることはなく永遠の16歳というマジカル神秘キャラ。

 

 

鞍馬弘教では、密教のような神秘的なパワーを重要視していて、

毘沙門天は太陽のパワー
千手観音は月のパワー
そして護法魔王尊は大地のパワー

 

を司っており、尊天のいる鞍馬寺は未知のパワーに溢れた超パワースポットだと考えられています。

 

 

色々と謎設定な護法魔王尊ですが、その実物がこちら。

 

これを見て思うのは、

 

「いやいやw16歳じゃないだろww」

 

ってことと、

 

「なんか天狗に似てね?」

 

ってこと。

 

 

そうなんです。これは推測でしかないんですけど、護法魔王尊はおそらく天狗をモチーフにしていると思われます。天狗は本来、山に住む魔物でしたが、神格化されるとそのまま「山の神」として祀られるようになります。これも、護法魔王尊が大地のパワーを司るのと符合します。

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鞍馬寺の歴史まとめ

以上、鞍馬寺の歴史について簡単にまとめてみました。もっと細かい話も色々あったんですが、今回は鞍馬寺の本尊(尊天)である毘沙門天・千手観音・護法魔王尊(天狗)を中心に、その歴史を紹介してみました。

 

 

鞍馬寺は1000年以上の歴史を持ち、しかも、長い間多くの人々に親しまれてきました。(特に金運を司る毘沙門天!)

 

 

しかも鞍馬寺は山にあるので、平地と違って開発が進んでおらず、今もなお昔のような巨木が立ち並び木々の根が神秘的な雰囲気が残っています。(義経が天狗と修行した頃とほとんど同じかも?)

 

 

鞍馬弘教も新興宗教ということで、新しい宗教と考えがちですが、尊天はしっかりと過去の鞍馬寺の本尊を受け継いでおり、鞍馬寺の長い歴史の上に成り立っている宗教となっています。

 

 

建築物こそ数度の火災で創建時のものはありませんが、しっかりと歴史を感じることのできるお寺、それが鞍馬寺だと思います。

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この記事を書いた人
もぐたろう

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