簡単にわかりやすく!広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を徹底解説してみた【京都最古の仏像!】

この記事は約6分で読めます。

今回は、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)について徹底的に解説してみようと思います。

 

広隆寺へ行かれる前にぜひご一読してみてください!

 

スポンサーリンク

 広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像とは?

広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像。

 

この長ったらしい名前、どーゆー意味なんでしょう?

 

実は、弥勒菩薩半跏思惟像は「弥勒」という「菩薩」「半跏思惟」している「像」という意味なんです。

 

「菩薩」とは、悟りを開くために修行している者で悟りを開く一歩手前まできた凄い人。そんな中でも、弥勒菩薩は未来に悟りを開くことが約束された特に凄い菩薩なんです。

 

悟りを開く(成仏する)ことは全ての仏教徒の悲願。それを約束された弥勒菩薩は、「私たちも弥勒様のところに行ければ、悟りを開けるのでは!」と多くの人々の信仰の対象となりました。

 

さらに、弥勒菩薩は悟りを開いた後、現世に生きる我々を救いに来てくれる・・・と考えられていて、救世主として信仰されることも。

 

仏教では現世は困苦に満ちた世界とされ、そこから解放されるには悟りを開いて仏になる(成仏する)必要があるとされています。しかし、悟りを開くのは簡単ではありません。紀元前500年ごろにブッダが釈迦如来となって以降、誰も悟りを開けていないんです。

 

そこで弥勒菩薩の登場です。悟りを開けず現世で苦しむ我々を助けに来てくれる弥勒菩薩はまさに救世主なんです!!

 

ただ、1つだけ重大な問題もあって、弥勒菩薩が成仏して私たちを救いに来てくれるのは56億年後と言われています。途方も無い時間です(汗

 

 

弥勒菩薩については、以下の記事で詳しい紹介していますので、この記事を合わせてぜひご覧ください!

簡単にわかりやすく!誰でもわかる弥勒菩薩【仏教における救世主的存在】
今回は、仏教上に登場する弥勒菩薩(みろくぼさつ)について紹介したいと思います。 弥勒菩薩と言えば、日本では京都市の広隆寺にある弥勒菩薩半跏思...

 

 

次に「半跏思惟」ですが、「半跏」は足を組むこと。「思惟」は思索に耽ることを意味します。

 

 

全部まとめると広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、「弥勒菩薩が足を組んで思索に耽けている像」という意味になります。

 

漢字ばかりで非常に読みにくいですけど、ちゃんと意味があるんです!

 

スポンサーリンク

広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の歴史

次は広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の歴史について。

 

 

弥勒菩薩半跏思惟像は、その造形美ばかりに注目が集まりがちですが、歴史的にもとても貴重な菩薩像になっています。

 

弥勒菩薩半跏思惟像は600年頃に造られたと考えられています。日本に仏教が伝来したのは500年代後半ですので、弥勒菩薩半跏思惟像は日本でも最古の部類に入る仏像です。

 

奈良時代以前に造られた仏像って、実はあまり現存していないんですよ。なぜかというと、源平合戦の時に大寺院だった東大寺と興福寺を焼け野原にしてしまったから。

平重衡の南都焼き討ちを簡単にわかりやすく紹介!
今回は、源平合戦に起こった戦いの一つである南都焼き討ちについて紹介しようと思います。 南都焼き討ちは、平家に歯向かう奈良の寺院勢力(主に東大...

 

なので飛鳥時代とか奈良時代に造られた仏像ってそれだけで希少価値があるのですが、その中でも屈指で保存状態が良いのが弥勒菩薩半跏思惟像なんです。

 

今から1400年前の仏像が綺麗に残っているって凄いですよね。ただ、昔は金箔でピッカピカだったらしい今は金箔は全て剥がれ落ちてしまっています。

 

 

弥勒菩薩半跏思惟像を見ることで、仏教伝来初期の日本における仏教信仰の在り方の片鱗が見られるかもしれないってことですね!

 

あと、日本へ仏教が伝来した歴史も知ると中々面白いです。興味のある方はどうぞ。

なぜ日本に仏教が伝来したのか!?その秘話に迫る
前回は雄略天皇の話をしました。雄略天皇は、武力を背景に倭国を統一しつつありました。 時代は進み、500年~600年の話へ移ります。この時代の...

 

崇仏争論とは?蘇我稲目と物部尾輿の対立をわかりやすく【欽明天皇の時代】
前回は、仏教が日本に伝来した話をしました。 日本に伝来した仏教ですが、実はすんなりと受け入れられることはありませんでした。仏教推進派と仏教反...

 

スポンサーリンク

広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像のアルカイックスマイル

日本に仏教が伝来した後、日本仏教は和風文化や日本古来の八百万の神との関わりの中で、独自の発展を遂げてきました。それに合わせて仏像の様式も様々に変わっていきます。

 

しかし、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、仏教が日本独自の進化を遂げる以前の姿を見せてくれます。仏教伝来初期の仏像を見れるのは京都内ではおそらく広隆寺だけなんじゃないかな?と思います。

 

そして、仏教伝来初期の仏像の大きな特徴の1つがアルカイックスマイルと呼ばれる弥勒菩薩像の独特な表情なんです。仏教は、朝鮮半島から伝来したので朝鮮の仏像様式が強く反映されています。

 

アルカイックスマイルとは、顔の表情を抑えながら口元だけを微笑ませた笑顔のこと。落ち着いた面持ちの中に、強い生命感や幸福感が表現されていると言われています。

 

 

弥勒菩薩がなぜ微笑んでいるのかと言うと、今となっては誰もわからないのですが、一般的には「将来、如来となって人々を救う時のことを考えて微笑んでいるのだ」と言われています。

 

 

また、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像はその思索に耽ける様子から、ロダンの考える人にちなんで「東洋の詩人」と呼ばれることも。

 

 

弥勒菩薩という菩薩のキャラクターやその造形美からミステリアスなオーラに包まれているのが弥勒菩薩半跏思惟像と言えそうです。

スポンサーリンク

広隆寺のもう1つの弥勒菩薩、泣き弥勒

広隆寺には実は有名な弥勒菩薩像が2体あります。今まで説明してきた弥勒菩薩半跏思惟像は冠を被っているので別名「宝冠弥勒」そしてもう一体は、その泣いているような表情から「泣き弥勒」と呼ばれています。下の写真が泣き弥勒の菩薩像。

 

 

泣き弥勒の表情は宝冠弥勒(弥勒菩薩半跏思惟像)とは違って、悩んでいる風にも見えます。

 

「どうすれば人々を救えるのだろう」

 

「如来となるまでに時間がかかりすぎる。少しでも早く成仏できないものか・・・」

 

 

そんな風に悩んでいるように私には見えます。

 

スポンサーリンク

広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像まとめ

以上、弥勒菩薩半跏思惟像についてまとめてみました。実は他にもお話はあるんですよね。

 

「弥勒菩薩半跏思惟像は国宝第1号!」とか「弥勒菩薩半跏思惟像は日本製か挑戦製か問題!」とか。

 

でも広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を楽しむための秘訣は、

  1. 弥勒菩薩のキャラクターを知る。
  2. 日本最古の仏教信仰のあり方を感じる。

 

この2点だと思います。2番目については、アルカイックスマイルが最大の特徴ですし、広隆寺の仏像と他の寺院の仏像との様式の違い実際に生で見てみるととても面白いです。

 

ぜひ広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を思う存分堪能してみてください!

【大事なお知らせ】YouTube始めました!!

2024年2月、YouTubeチャンネル「まなれきドットコムちゃんねる」を開設しました。

まだ動画は少ないですが、学生や大人の学び直しに役立つ動画をたくさん増やしていくので、ぜひ下のアイコンからチャンネル登録、よろしくお願いいたします。

この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

もぐたろうをフォローする
京都府
シェアする
もぐたろうをフォローする

コメント

  1. きゅろ より:

    もぐたろうさん♪
    はじめまして (◎^▽^◎)きゅろと申します。
    私は、少し前から、スピリチュアル系のブログを書いているのですが、
    神社・お寺の違いについて調べている最中に
    運よく、もぐたろうさんのブログを発見しました。

    本当に、よく調べられていて
    面白かったし、
    当時の物部氏・蘇我氏の様子が手に取るようにわかりました。

    今後とも、ぜひぜひ、詳細の記事を楽しみにしております~

    • もぐたろう mogutaro より:

      きゅろさま初めまして!
      私もブログで仏教や神道に触れる機会があるからか、きゅろさんのブログはとても興味深いものでした。(とは言っても、私自身、実はあまり霊とかそういった類を信じるタチではないです・・・(汗))
      私がブログ運営者だからなのか、きゅろさんのブログを読んでいると簡潔に書かれているのに念入りに色々と調べられているなぁと感じました。私の場合、記事が冗長になってしまうのことが多いので羨ましいです(汗

      最近は、更新が停滞気味ですが、これからも多くの人に日本の歴史を知ってもらえるよう素人ながら記事を書いていこうと思います!きゅろさんのブログも今後、参考にすることがあるような気がします(笑)

  2. […] た。正直、ビジュアルには興味なく、見えなくてもいいと思っていたのだが、次回は早くから並んで最前列に行きたいと思ってしまった。広隆寺の弥勒菩薩のような優しい顔をしていた。 […]