建仁寺と言えば風神雷神図屏風!豆知識と見所を紹介【俵屋宗達の名作を知ろう】

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今回は、建仁寺の風神雷神図屏風(ふうじんららいじんずびょうぶ)について紹介してみたいと思います。

「建仁寺と言えば、風神雷神図!」っていうほど建仁寺の代名詞的な存在ですが、その絵について詳しく知っている方は少ないように思います。

そんな私も実はそこまで詳しくないのですが、現地に行ったり色々調べてみたりしてみたので、その結果を記事としてまとめておくことにします。建仁寺に観光に行かれる方の参考になれば!

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稀代の絵師、俵屋宗達(たわらやそうたつ)

有名な風神雷神図屏風は、江戸時代初期(1630年前後)に俵屋宗達という画家の手によって描かれました。

鎌倉時代以降、禅宗(臨済宗・曹洞宗など)が流行るようになると水墨画を始めとした絵画の需要が高まり、有名な絵師が誕生するようになります。室町時代に活躍した雪舟(せっしゅう)なんかが有名ですね。

【雪舟の水墨画。・・・美しい】

禅宗の教えは師から弟子に直接受け継がれるものであり、師が認めなければ弟子は正式な後継者と認められませんでした。

こうした師から弟子への教えの伝承の中で、水墨画のニーズが高まったものと思われます。(言葉だけでなく絵を使って弟子に教えを伝承した)

真言宗の開祖である空海が、言葉では伝え難い仏教世界を曼荼羅(まんだら)という絵で表現したのと似ていますね。水墨画は仏教に向き合う精神の在り方を表現しているような気がします。

【仏法の世界観を表現した曼荼羅】

俵屋宗達の生きていた江戸時代になると、絵の世界でもいくつかの派閥が登場します。特に有名なのは、狩野派(かのうは)と呼ばれる一派。狩野一族の血縁を中心とした派閥で、当時の最高権力組織である江戸幕府と結び付き、当時最大の絵師勢力を築きます。

一方の俵屋宗達はと言えば、派閥を作ったり派閥に加入することはなく、一匹オオカミ的絵師でした。また、有名な茶会に参加したり、重要な仕事を依頼されたりと、絵師として相当な実力者だったことがわかっています。

俵屋宗達の作風の最大の特徴はなんと言ってもその奇抜さでした。水墨画って風景画が中心で、風景の中に動物や木・花なんかを描くスタイルが一般的でした。例えば、狩野派で有名さ作品で虎の絵があります。

風景があって、その中に虎がいる・・・当時の一般的な画風です。

俵屋宗達「・・・風景?そんなもん全部金箔で塗りつくしとけばいいやろ^^」

そして、これが俵屋宗達の風神雷神図屏風。風景画は全面金箔の超シンプル構図!!

こんな感じで、当時としてはちょっと変わった作風が俵屋宗達の特徴でした。俵屋宗達自身は派閥を作ることはありませんでしたが、宗達死後、宗達の独特な作風に刺激を受けた人々が次々と登場し、琳派(りんぱ)と呼ばれるようになります。

ちなみに琳派の筆頭は、尾形光琳(おがたこうりん)という人物。琳派の人々は宗達の作風を受け継ぎ、独特な絵を次々と生み出していきます。

例えば・・・尾形光琳の代表作はこんな作品!

【燕子花(かきつばた)図屏風】

俵屋宗達の風神雷神図屏風と同じで風景画は一切なし。そして、背景の金・草の緑・花の青というわずか三色、しかも燕子花のみを描いた独特な絵です。狩野派の虎の絵と比べるとその違いは素人でもわかります。

奇抜な作品で後世の人々の心を射抜いた宗達は、「日本版ピカソ」みたいなイメージがしっくりくるんじゃないかと勝手に思っています。

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風神雷神図屏風のここを見る!

さて、そんな奇抜な絵の1つである風神雷神図屏風ですが、いくつか特徴があって・・・

あえての風景画なし!
雲のモヤモヤ感が超リアル!「たらしこみ」技法
なぜか立体的に見える構図の不思議

という3つの特徴があります。風景がない話は既にしたので残りの2つについて紹介します。

まずは、風神と雷神が乗っている雲のお話。この雲には、これ以前には見られなかった「たらしこみ」という技法が使われています。

「たらしこみ」とは、最初の色を塗った後、その色が乾かぬうちに別の色を塗り込んで、2色を滲ませる技法のこと。2色の絵の具を、水を使って滲ませるイメージ。

滲ませることで雲の濃淡を自然に表現でき、その形や色なんかもとてもリアルなものになっています。

また、雷神と風神の配置も色々と考えられており、無風景な一面の金箔の中に巧みに奥行きを生み出しています。

対角線を引くと、真ん中の三角形部分に大きなスペースがあるのがわかります。両脇に風神・雷神を配置し、真ん中にスペースを開けることで絵に奥行きが生まれ、風神雷神が奥から手前(三角形のスペース)へ躍動しているように見えます。

「あえて、何も描かない」

そんな発想で俵屋宗達は絵に立体感を生み出しました。風景をあえて描かなかった理由はここにもあるのだと思います。それに加え、雲のリアル感も絵にさらなる奥行きを与えています。

絵が立体的に見える仕組みについては、私もよくわかっていないのですが、写真の世界では「対角線構図」と言って、対角線上に物を配置して写真を撮るとその対角線方向に奥行きが生まれるというのがあります。おそらくはこれと似た仕組みなんだろうと思う。

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風神雷神図屏風の風神と雷神の話

もう1つ、風神雷神図屏風の主役である雷神と風神の話をしましょう。

風神・雷神はその名のとおり、風と雷を神格化したもの。日本神話である「古事記」にも登場するし、世界各国で神格化された神々です。特に雷神は、雷の恐ろしさから神格化されたケースが多く、ヒンズー教のインドラやギリシャ神話のゼウスなんかはとても有名です。

日本に風神・雷神が作品として本格的に登場するのは鎌倉時代。例えば、京都にある三十三間堂。千体の千手観音像が人々を圧巻する有名な寺院ですが、その千手観音の守護神としてお堂の両脇に風神像と雷神像が立っています。

【三十三間堂の雷神像】

(写真:みんカラ

もう1つ有名なのは、雷神となった菅原道真が雷を京に落としているこの絵!

俵屋宗達は、絵巻などに残る雷神・風神を参考にしながら風神雷神図屏風を書いたのだと言われています。特に菅原道真の雷神の姿なんかは、風神雷神図屏風の雷神とそっくりですね。

風神雷神図屏風は全くのオリジナルというわけではなく、過去の作品を参考しながら描かれた作品だったのです。

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風神雷神図屏風はなぜ描かれたのか?

ところで、風神雷神図屏風はどのような理由で描かれたのでしょうか?

実はこの辺の話はよくわかっていません。風神雷神図屏風が凄い絵だと評価されたのは俵屋宗達の死後であり、そもそも俵屋宗達の生涯のこともよくわかっていないのです。

一方、わかっていることもあって、風神雷神図屏風は妙光寺というお寺の依頼で作られた屏風で、後に建仁寺に移されて現在まで至っています。

ただ、「なぜ屏風絵に風神・雷神を採用したんだろう?」とかそんな話になると全くの闇の中。風神・雷神ってあまりメジャーではない気がするんだけど、なぜ俵屋宗達はあえて風神・雷神を選んだのだろう・・・。

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風神雷神図屏風まとめ

風神雷神図屏風についてまとめると

作者の俵屋宗達は、奇抜な作品を得意とした一匹オオカミ。(風神雷神をテーマにしたこと自体がそもそも奇抜だと思う)
風神雷神は、過去の風神・雷神の作品をモチーフにしている。
風景画がなく、極めて質素な屏風絵だけど、その構図や雲の書き方には巧みな技法が使われている。
シンプルな絵なのに、奥行きがあって妙な立体感のある不思議な絵

こんなところでしょうか。作者である俵屋宗達の経歴がほとんど不明なのも、謎の名作家って感じで雰囲気が出てます。建仁寺には、風神雷神図屏風のレプリカが置いてあり、かなり間近で絵を見ることができます。以下のような可愛いグッズもたくさんあるので、お気に入りを探してみるのも良いと思います。(スマホケース、風呂敷、衣服、センスが多いです)

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この記事を書いた人
もぐたろう

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