今回は、1950年に起きた朝鮮戦争について、わかりやすく丁寧に解説していくね!
朝鮮戦争とは
朝鮮戦争とは、南北に分裂していた朝鮮半島を統一しようと、韓国と北朝鮮が争った戦争のことを言います。
※韓国の正式名称は大韓民国、北朝鮮の正式名称は朝鮮民主主義人民共和国と言います。この記事では韓国・北朝鮮という表記で統一します。
朝鮮戦争は、単なる韓国VS北朝鮮の戦争ではありませんでした。
当時、世界ではアメリカVSソ連の冷戦が続いていましたが、韓国のバックにはアメリカが、北朝鮮のバックにはソ連がついていました。
・・・つまり、朝鮮戦争は表向きは韓国VS北朝鮮の戦争でしたが、一方では朝鮮半島をめぐるアメリカVSソ連の冷戦の1つ・・・という側面も持っていたのです。
さらに朝鮮戦争は、朝鮮半島に近い日本にも大きな影響を与えました。
GHQ占領下にあった日本は、アメリカの重要な後方拠点となり、軍需品の大量生産を通じて好景気がもたらされたほか、日本の政治や軍事面にも大きな影響を与えました。(詳細は後述)
朝鮮戦争が起きた時代背景
もともと朝鮮半島は、太平洋戦争が終戦するまでの間、日本の植民地でした。
※日本は1910年に朝鮮半島を植民地化しています。(韓国併合)
1945年に日本が太平洋戦争に敗北すると、朝鮮半島は、戦勝国となったアメリカ・ソ連の占領下に置かれることになりました。
朝鮮半島を占領下に置いたアメリカとソ連は、「今後、朝鮮半島をどのように統一・独立させていくか?」について話し合いを行うようになります。
1943年に開かれたカイロ会談で、アメリカとソ連は『朝鮮半島は適切な時期に独立させる』と決めていたんだ。その実現に向けて話し合いが行われたってわけです!
・・・が、この話し合いは決裂します。
というのも、第二次世界大戦が終わった後、ソ連とアメリカは冷戦下で対立するようになったため、意見の一致が困難になっていたからです。
韓国と北朝鮮
ソ連とアメリカの話し合いが決裂すると、アメリカは朝鮮独立問題を国際連合(国連)の主導によって解決しようと方針転換します。
俺は朝鮮独立の問題から手を引く。後のことはすべて国際連合に委ねることにするわ。
国連は、朝鮮に対して「南北朝鮮の両方で総選挙をして、選挙に勝ったやつが新政権を樹立すればいーんじゃねーの?」と提案。
南朝鮮はこの提案にOKしますが、北朝鮮はこれを拒否します。
北朝鮮では、ソ連の支援を受けて朝鮮労働党の金日成という人物が台頭していて、自らの手で社会主義政権の樹立を狙っていたからです。
南朝鮮「わかったよ。北朝鮮が拒否するなら、俺たちだけで選挙をして新政権を樹立してやんよ!」
1948年に総選挙が行われ、その結果、南朝鮮では李承晩をトップとする新政権を樹立。
李承晩政権は、同年8月15日、南朝鮮に大韓民国を建国し、悲願の独立を果たしました。
一方の北朝鮮も大韓民国に対抗する形で、9月9日、朝鮮民主主義人民共和国を建国し、金日成がその代表となりました。
こうして1948年、朝鮮半島は独立を果たし、いよいよ朝鮮戦争の主役となる韓国と北朝鮮が登場することになります。
目標は朝鮮統一!
アメリカ・ソ連による占領から解放された朝鮮半島ですが、1つ大きな問題を抱えることになります。
それは・・・
朝鮮半島の治める正統な国家は、韓国と北朝鮮のどちらなのか?
という問題です。
韓国も北朝鮮も、「朝鮮半島が南北に分断されてしまったのはソ連とアメリカの都合にすぎず、歴史的に見れば朝鮮半島は1つの国によって治められるべき!!」と考えていたのです。
朝鮮半島の正統な国家は俺だ!
北朝鮮なんて非公式な違法国家に過ぎない!!
はっ?違法なのはお前だろ?
朝鮮半島を統一できるのは俺だけだ!
朝鮮半島の統一をめぐって韓国と北朝鮮は対立を激化させ、朝鮮半島に不穏な空気が漂いはじめます。
朝鮮戦争、始まる
朝鮮統一に向けて最初に動いたのは北朝鮮でした。
北朝鮮の金日成は、武力で韓国を制圧し、力づくで朝鮮半島を統一しようと考えたのです。
北朝鮮は、同じ社会主義国であるソ連・中国に支援の約束させると、1950年6月25日、北緯38度線を一挙にして南下し、韓国への奇襲攻撃を開始しました。
こうして起きたのが朝鮮戦争です。
朝鮮戦争の経過
序盤戦は、北朝鮮の圧倒的優勢で展開していきます。
韓国は北朝鮮の奇襲攻撃を察知できなかったため防衛体制が整っておらず、
さらに、独立したばかりの韓国には北朝鮮に対抗できるまともな軍事力がありませんでした。
北朝鮮は、ソ連の支援を受けながら韓国侵攻に備えて事前に軍事力を強化していました。
一方の韓国は、日本の植民地時代に使われていた日本軍の旧装備しか持っておらず、アメリカも本格的な軍隊を韓国に置いていなかったため、北朝鮮の侵攻に対抗する術を持っていなかったんだ。
北朝鮮軍は、貧弱な韓国軍を次々と蹴散らし、怒涛の快進撃を見せます。
1950年6月28日、戦争が始まってわずか3日で韓国の首都ソウルが陥落。
さらに8月になると、韓国は領土の大半を北朝鮮に奪われ、朝鮮半島の先っちょにある釜山にまで追い詰められました。
この北朝鮮の猛攻は、韓国はもちろんアメリカにも大きな衝撃を与えました。
・・・えっ、北朝鮮が韓国に侵攻!?
しかも3日でソウルが陥落だと・・・。ヤバい、このままだと朝鮮半島が社会主義化してソ連によって支配されてしまう!!
当時、アメリカは韓国の情勢について強い関心を持っていませんでした。
なぜなら、アメリカにとって防衛上重要だったのは、あくまで太平洋に面する国々(日本・フィリピンなど)だったからです。
そんな事情もあり、アメリカは朝鮮戦争の勃発を予期することができず、北朝鮮に先手を打たれる形となったのです。
7月7日、国際連合の安全保障理事会は、北朝鮮の行為を侵略行為とみなし、韓国に国連軍を派遣することを決定。
アメリカ軍を主力とする連合軍が、朝鮮戦争に参戦することとなりました。
アメリカは、日本に駐留していたアメリカ軍を朝鮮半島に送り込み、窮地に追い込まれている韓国の救援に向かいます。
国連軍の総司令官になったのは、GHQの総司令官として日本の占領統治に尽力していたあのダグラス=マッカーサーでした。
仁川上陸作戦
アメリカは、日本を後方拠点とながら釜山を死守して、体制の立て直しを図ります。
そして1950年9月、体制を立て直す一発逆転の策として、仁川上陸作戦なる計画が実行に移されました。
釜山で北朝鮮軍の猛攻を凌ぎながら、ひそかに海を通って仁川に上陸し、ソウルを奪還後、韓国に入り込んだ北朝鮮軍を南北から一網打尽にする・・・というのが仁川上陸作戦の内容です。
仁川上陸作戦は、敵陣のど真ん中めがけて奇襲を仕掛けるという一か八かの奇策であり、決まれば一撃必中の逆転の策でもありました。
ちなみに、仁川上陸作戦を立案したのはマッカーサーでした。
アメリカ軍の中には、仁川上陸作戦を無謀な作戦と非難する声もありましたが、マッカーサーは仁川上陸作戦を断行。
1950年9月15日、いよいよアメリカ海軍が仁川への上陸を開始します。
・・・結果は、大成功に終わりました。
アメリカの奇襲を予測できなかった北朝鮮軍は次々と撃破され、アメリカ軍はソウルを奪還。
そして、マッカーサーの計画どおり、韓国に入り込んだ北朝鮮軍を南北(釜山ーソウル)から挟み撃ちにして掃討すると、戦局は一気に逆転し、韓国が押し返す展開となりました。
朝鮮戦争、終戦へ・・・
仁川上陸作戦によって北朝鮮軍を北緯38度より北へ追い返すと、韓国の大反撃がスタート。
1950年11月には、完全に形勢が逆転し、韓国が北朝鮮の領土の大半を制圧しました。
・・・が、北朝鮮もすぐに体制を立て直します。中国からの援軍(※)を得て、再び反撃に転じたのです。
※中国も、ソ連と同じく直接アメリカと対峙することを恐れたため、援軍はあくまで有志による義勇軍という形で北朝鮮に送り込まれました。
北朝鮮の反撃後、両者一進一退の攻防が続くようになり、1951年に入ると、北緯38度付近で戦局はこう着状態となりました。
戦局がこう着状態に入ると、1951年7月から停戦に向けた外交交渉がスタートしました・・・が、アメリカ・ソ連はお互いに有利な条件で停戦しようと譲りませんでした。
そのため交渉は長期化。
交渉開始から2年を経た1953年7月にようやく停戦の目処がつき、7月27日、北緯38度付近の板門店という場所で、韓国・北朝鮮・アメリカ・ソ連の4者による停戦協定が成立しました。
停戦協定が成立した背景には、アメリカとソ連のトップの交代がありました。
1953年1月、アメリカの大統領がトルーマンからアイゼンハワーに交代し、
一方のソ連は、1953年3月にスターリンが亡くなりました。
この両国のトップ交代のおかげで、停戦交渉が大きく前進することになったのです。
アメリカとソ連の合意がなければ停戦に至らないというのは、朝鮮戦争がソ連VSアメリカの代理戦争であったことを如実に物語っているね。
ちなみに、この時に定められた北朝鮮と韓国の停戦ラインは、今の両国の国境になっています。
韓国と北朝鮮は停戦した後、戦争終了を宣言する協定・条約を結ぶことはありませんでした。
そのため、国際手続上は今もなお韓国と北朝鮮は戦争状態であり、現状はあくまで一時停戦中に過ぎない状態になっています。
朝鮮戦争が日本に与えた影響
朝鮮戦争は、朝鮮半島のみならず、日本にも経済・政治・軍事の3つの点で大きな影響を与えました。
経済
朝鮮戦争中、日本はアメリカの後方支援の役割を担っていました。
日本は、アメリカ軍の武器・弾薬の製造や、兵器の修理などを行うことになり、日本に多くの仕事がもたらされ、戦後落ち込んでいた日本経済のカンフル剤となりました。(特需景気)
1950年以降、日本経済は大復興を成し遂げ、1956年には日本経済の急成長を象徴する『もはや戦後ではない』というフレーズが生まれました。
日本の経済成長の背景には、朝鮮戦争によって生み出された特需景気の影響もあったんだ。
政治
朝鮮戦争の面でも大きな影響を日本に与えました。
当時、日本はGHQの占領下に置かれていて、GHQは、日本政府に対して戦争関係者などの公職追放を指示していました。
・・・しかし、朝鮮戦争が始まると、アメリカは公職追放で空いたポストに社会主義者が入り込んで日本がソ連に接近することを恐れるようになります。
そこでGHQは方針転換を行い、公職追放の対象者が大幅に緩和されることになり、逆に社会主義者の公職追放・弾圧が行われるようになりました。(レッド=パージ)
公職追放の緩和によって政界に復帰した人物には、のちに首相となる鳩山一郎、岸信介、石橋湛山の名前もあり、その後の政界に大きな影響を与えました。
さらに朝鮮戦争の勃発は、アメリカに「日本を早く独立させてソ連・中国に対抗できる国に成長させないと、東アジアが社会主義に飲み込まれる!」という危機感を抱かせることになり、その結果、1951年9月にサンフランシスコ平和条約が結ばれて、日本は独立を果たすことになりました。
軍事
GHQは、日本が再び戦争を起こせないよう日本の軍隊を解体しましたが、朝鮮戦争の勃発により大きな問題に直面します。
それは、
朝鮮戦争に日本にいるアメリカ軍を送り込んだせいで、日本を防衛する軍隊がいない
という問題です。
また戦争を起こされたら嫌だから日本の軍隊を解体しちゃったけど、やっぱり自分の身ぐらい自分で守ってくれないと困るわ。
ちょっとさ、日本も軍隊的なものを作ってくんね?
こうして1950年10月、日本に新たな軍事組織である警察予備隊が結成されました。
警察予備隊は、その後、何度かの組織編成を繰り返し、1954年に今の自衛隊へと発展していったよ。
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