ハンムラビ法典とは?「目には目を」の本当の意味・内容・特徴をわかりやすく解説【世界史】

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ハンムラビ法典の石碑と目には目をの解説

もぐたろう
もぐたろう

今回はハンムラビ法典について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!「目には目を」の本当の意味、知っているようで実は誤解している人がとても多いんだ。一緒に確認してみよう!

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校世界史
📖 山川出版社『詳説世界史』準拠
🎯 共通テスト・大学受験対応

この記事を読んでわかること
  • ハンムラビ法典とは何か(現存最大規模の成文法・制定の背景)
  • 「目には目を」の本当の意味(同害報復=復讐法という誤解を解消)
  • 法典の内容・構成(刑法・民法・商法・家族法の全282条)
  • 身分制度と刑罰の差(自由民・ムシュケヌム・奴隷の3階層)
  • テストで問われるポイント(共通テスト・定期試験対策)

紀元前1750年頃にメソポタミア文明の地で制定されたハンムラビ法典は、世界史の授業で必ず登場する重要なテーマです。今回は「目には目を」の真の意味から法典の内容・身分制度まで、わかりやすく解説します。

「目には目を、歯には歯を」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
多くの方が「やられたらやり返せ」という復讐を奨励する法律だと思っています。
しかし実は、この言葉は過剰な報復を禁じる「報復の上限」を定めた法律だったのです。



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ハンムラビ法典とは?世界最古レベルの成文法をわかりやすく解説

3行でわかるハンムラビ法典
  • 紀元前1750年頃、バビロン第1王朝のハンムラビ王が制定した全282条の法典
  • 「目には目を」は復讐法ではなく、過剰な報復を禁じた「同害報復(タリオ)」の原則
  • 現存する最大規模の成文法として、身分制・弱者保護・商取引規定など多岐にわたる
ハンムラビ法典碑の上部・シャマシュ神からハンムラビ王が法を授かる浮彫
ハンムラビ法典碑の頂部に刻まれた浮彫。シャマシュ神(太陽神)からハンムラビ王が法を授かる場面が描かれています(ルーブル美術館所蔵)

ハンムラビ法典とは、紀元前1750年頃に古代メソポタミア(現在のイラク周辺)を統治したバビロン第1王朝のハンムラビ王が制定した、全282条からなる法典です。

アッカド語楔形文字くさびがたもじで記され、高さ約2.25m・玄武岩げんぶがん製の石柱(石碑)に刻まれています(旧来の文献では「黒色閃緑岩」と記述されているものもありますが、現在は玄武岩と鑑定されています)。1901〜1902年にフランス調査隊が現在のイランスサ)で発見し、現在はフランス・パリのルーブル美術館に所蔵されています。

あゆみ
あゆみ

ハンムラビ法典って「世界最古の法典」ってよく聞くけど、本当に一番古いの?

もぐたろう
もぐたろう

実は「世界最古の成文法」という表現は正確ではないんだ!それよりも古い「ウル=ナンム法典」(紀元前2100年頃・シュメール)が存在するとされているよ。ハンムラビ法典の正確な位置づけは「現存する最大規模の成文法のひとつ」なんだ。

法典は前書き・本文(全282条)・後書きの3部構成となっています。前書きと後書きにはハンムラビ王の統治理念が書かれており、「強者が弱者を虐げないように」「正義が孤児と寡婦かふとに授けられるように」という言葉が刻まれています。単なる刑罰規定ではなく、社会全体の秩序と公正を目指した統治の宣言でもあったのです。

📝 碑文の物理情報:高さ約2.25m・玄武岩製(旧来の一部文献では閃緑岩とも記述)。アッカド語楔形文字。1901〜1902年にフランス調査隊がイラン(スサ)で発見。現在はパリ・ルーブル美術館所蔵(古代オリエント展示室)。

ゆうき
ゆうき

アッカド語って何?楔形文字っていうのも初めて聞いた……

もぐたろう
もぐたろう

アッカド語は古代メソポタミアで使われていたセム系の言語で、今でいう「共通語」みたいなものだよ。楔形文字は粘土板や石に「くさび形」の文字を刻む古代文字。今のアルファベットとは全然違う形をしているんだ!



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ハンムラビ王ってどんな人物?バビロニア統一と法典制定の背景

古代メソポタミアのアッシリア・バビロニア周辺地図
古代メソポタミア(チグリス川・ユーフラテス川流域)の地図。ハンムラビ王はバビロンを中心にこの地域を統一したとされています

ハンムラビ王は、紀元前1792年頃バビロン第1王朝第6代王として即位したとされる人物です。バビロン第1王朝はアムル人(セム語系の遊牧民)が建国した王朝で、ハンムラビ王は約42年間にわたる在位中にメソポタミア全域をほぼ統一したと伝えられています。

ただし「統一」といっても、現代のような中央集権国家とは異なります。当時のメソポタミアには多くの都市国家が並立しており、ハンムラビ王はそれらを外交・軍事・経済政策を駆使して支配下に収めていったとされています。

ゆうき
ゆうき

なんでハンムラビ王はわざわざ法典を石柱に彫ったの?口頭で決めておけばよかったんじゃないの?

もぐたろう
もぐたろう

バビロニアを統一したばかりで、各地の慣習がバラバラだったんだ。神殿の広場に石柱として立てることで「誰でも見ればわかるルール」を公開して、支配の正当性と法の公平性を示したんだよ。今でいう憲法を公布するようなイメージだね!

ハンムラビ王
ハンムラビ王

強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように……バビロニアを統一して、みんなが安心して生きられる社会を作りたかったんだ。

法典制定の目的は複数あったとされています。第一に、統一後のバビロニアで法的基準を統一すること。第二に、太陽神シャマシュから王が法を授かったという形式をとることで、王権と法律に神聖な権威を与えること。そして第三に、被支配者に対して公正な統治を約束するという政治的メッセージを発信することです。

法典の碑文頂部には、シャマシュ神の前に立つハンムラビ王の浮彫が刻まれています。これは「この法典は人間が作ったものではなく、神が授けたものだ」という権威を視覚的に示すものでした。古代文明において、宗教と政治が不可分に結びついていた時代の特徴がよく表れています。

バビロン第1王朝ってなに?

紀元前1894年頃にアムル人(セム語系の遊牧民系集団)が現在のイラクにあるバビロンを中心に建国した王朝です。シュメール人の都市文明を引き継ぎながら独自の文化を発展させ、ハンムラビ王の時代に最盛期を迎えたとされています。その後、紀元前1595年頃にヒッタイトの侵入によって滅亡したとされています。



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「目には目を」の本当の意味〜同害報復(タリオ)とは何か

❌ よくある誤解:「目には目を」=やられたらやり返してよい、という復讐を奨励する法律

✅ 実際の意味:過剰な報復を禁じた「報復の上限規定」。目をやられたら目まで——それ以上の報復はNG!

ハンムラビ法典碑頂部のレリーフ・シャマシュ神とハンムラビ王
ハンムラビ法典碑の頂部レリーフ。太陽神シャマシュ(左)からハンムラビ王(右)が法律を授かる場面(黒色玄武岩・ルーブル美術館所蔵/Sailko, CC BY-SA 3.0)

「目には目を、歯には歯を(Eye for an eye)」というフレーズは、ハンムラビ法典の中に登場する考え方に由来するとされています。この原則を同害報復どうがいほうふくタリオ)と呼びます。

タリオという言葉は「同等のもの」を意味するラテン語「talio」に由来するとされています。その本質は「被害を受けた分だけ、それと同等の報復を上限とする」という考え方です。

あゆみ
あゆみ

じゃあ「目には目を」って、現代の損害賠償制度みたいなものってことかしら?

もぐたろう
もぐたろう

そのイメージに近いよ!「やられた分だけ、それ以上でもそれ以下でもなく補償を受ける」という考え方。今でいう損害賠償制度のようなものなんだ。大事なのは「上限を定めた」という点!

同害報復(タリオ)ってなに?

同害報復どうがいほうふく(タリオ)とは、「被害者が受けた被害と同等の害を、加害者への報復の上限とする」という考え方です。ラテン語の「talio(同等のもの)」に由来するとされています。

この考え方が画期的だったのは、「それ以上の報復を禁じた」点にあります。例えば「目をつぶされた」場合に、相手の両目をつぶしたり、命を奪うといった過剰報復が当時は横行していたとされています。タリオはその歯止めとなる「上限規定」だったのです。

法典には具体的な条文として、「もし自由民が別の自由民の目を傷つけたならば、彼の目も傷つけられるべきである」「もし彼が別の自由民の骨を折ったならば、彼の骨も折られるべきである」といった規定が含まれているとされています。

この「目には目を」が「復讐を奨励する法律」と誤解されやすい理由は、後世の旧約聖書(出エジプト記など)でも同じ表現が使われ、文脈が変わって解釈されていったためだとも言われています。しかし本来のハンムラビ法典における意味は、あくまでも「過剰報復の禁止・報復の上限設定」でした。

ゆうき
ゆうき

「同害報復」って試験に出る?タリオって言葉も覚えないといけないの?

もぐたろう
もぐたろう

「同害報復」という言葉と、その意味(過剰報復を禁じた上限規定)は頻出だよ!「タリオ」はカタカナが出たら補足として知っておくと安心。「目には目を=同害報復=上限規定」の3点セットで覚えておこう!



ハンムラビ法典の内容・具体的な条文例

ハンムラビ法典は前書き・本文(全282条)・後書きの3部構成です。本文は現代の法律体系に近い分野ごとに整理されており、刑法・民法・商法・家族法・職業規定など多岐にわたる内容を含んでいます。

分野①:刑法(窃盗・殺人・傷害の刑罰規定。同害報復の原則を適用)

分野②:民法・商法(契約・金銭貸借・商取引の規定。利息の上限なども定める)

分野③:家族法(婚姻・離婚・相続・養子縁組の規定。女性の権利も含む)

分野④:職業規定(医師・建築業者・農業従事者などへの責任・報酬の規定)

ゆうき
ゆうき

医師とか建築業者の規定まであるの?紀元前なのにすごく細かいんだね……

もぐたろう
もぐたろう

たとえば「建物を建てて、その建物が倒れて施主が死んだら、建築業者も死刑」という規定があるんだ。今でいう製造物責任法みたいなものだよね!医師についても「手術に失敗したら手を切り落とす」なんて規定もあったとされているよ。

法典に含まれるとされている具体的な条文例を見てみましょう。

■ 窃盗・財産に関する規定
「もし人が他人の家に押し入って盗みを働いたならば、その者は殺され、壁に埋められるべきである」といった厳しい刑罰規定が含まれるとされています。財産を守ることが社会秩序の基盤と考えられていたことがうかがえます。

■ 商取引・金銭貸借に関する規定
利息の上限や、契約の証人規定なども含まれるとされています。バビロニアが商業都市として発展していたため、取引の公正さを担保する規定が重要視されていたと考えられます。

■ 家族法・婚姻に関する規定
離婚・相続・養子縁組について細かな規定が含まれているとされています。注目すべきは、妻にも一定の財産権や離婚請求権が認められていた可能性を示す条文が含まれていることです。これは当時の社会としては先進的な側面を持っていたとも言われています。

あゆみ
あゆみ

紀元前に女性の財産権や離婚請求権が認められていたっていうのは驚きね。それって本当に先進的だったのかしら?

もぐたろう
もぐたろう

もちろん現代の基準で「完全に平等」とは言えないけど、紀元前の社会としては注目すべき点があると言われているよ。たとえば「夫が妻を正当な理由なく離婚したら持参金を返す」という規定も含まれているとされているんだ。ただし身分による違いは大きいので、次の章で詳しく見てみよう。



ハンムラビ法典が定めた身分制度〜刑罰は身分で変わった

ハンムラビ法典の条文が刻まれた石柱の一部
ハンムラビ法典の条文が刻まれた石柱(イスタンブール考古学博物館所蔵のレプリカ)。楔形文字による全282条が刻まれています

ハンムラビ法典の大きな特徴のひとつが、身分によって刑罰の内容が異なるという点です。法典は当時の社会の3つの身分階層を前提として書かれており、同じ行為でも加害者と被害者の身分の組み合わせによって、適用される刑罰が変わりました。

📝 用語メモ(3つの身分)アウィルム(自由民上層:貴族・商人など)・ムシュケヌム(自由民下層:王室への従属者・平民)・ワルドゥム(奴隷)の3階層で刑罰が異なりました。

あゆみ
あゆみ

同じ罪を犯しても、身分によって刑罰が違うの?それって不公平じゃない?

もぐたろう
もぐたろう

現代の感覚では不公平に感じるよね。でも当時の社会では、身分によって扱いが異なるのは当然のことだと考えられていたんだ。インドのカースト制度のように、身分で扱いが変わる仕組みは世界のあちこちにあったんだ。むしろ「身分に応じた基準が文字で公開された」こと自体に、画期的な意義があったんだよ。

具体例を見てみましょう。たとえば「目を傷つけた」ケースでは、加害者がアウィルム(自由民上層)で被害者もアウィルムの場合は「目には目を(同害報復)」が適用されたとされています。しかし加害者がアウィルムで被害者がムシュケヌム(自由民下層)の場合は、銀(金銭)による賠償で済んだとする研究もあります。

奴隷(ワルドゥム)については、所有物として扱われる側面が強く、奴隷に対してどのような行為が行われたかは、その奴隷を「所有する主人への損害」として計算される面もあったとされています。

ハンムラビ王
ハンムラビ王

身分によって刑罰が違うのは確かだが……それでも「口約束ではなく文字で公開する」ことで、恣意的な裁きを防いだんだ。誰も「法を知らない」とは言えない仕組みにしたんだよ。

法典に込められた弱者保護の精神

身分差のある刑罰体系を持ちながら、法典には弱者保護の条文も含まれているとされています。後書きに刻まれた「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児こじ寡婦かふ(夫を亡くした女性)とに授けられるように」という言葉はその精神を象徴しています。

また、夫が亡くなった後の妻(寡婦)の財産や生活を保障する条文、借金の返済が困難になった債務者への救済規定なども含まれているとされています。身分制社会の中でも、一定の社会的弱者を守ろうとする意識は注目すべき点のひとつです。

次の章では、ハンムラビ法典の後世への影響——旧約聖書との関係や現代法への系譜について解説します。ギルガメシュ叙事詩などとともに、メソポタミア文明が後世の文明に与えた影響の大きさがわかってくるはずです。



ハンムラビ法典はなぜ重要?後世への影響と現代との関係

ハンムラビ法典が世界史上で重要とされる理由は、単に「古い」からではありません。法を文字で公開することで、権力者の恣意的な判断を制限したという点こそが、後世の法体系に大きな影響を与えたと考えられています。

紀元前1750年頃に制定されたこの法典は、その後1,000年以上にわたってメソポタミアの法的慣行に影響を与えたとされています。さらにその精神は、旧約聖書や後のローマ法を経て、現代の法律の根幹にまでつながっているとも言われています。

ゆうき
ゆうき

ハンムラビ法典って旧約聖書とも関係があるって聞いたことがあるんだけど、本当なの?

もぐたろう
もぐたろう

関係があると考えられているよ!旧約聖書の出エジプト記・レビ記・申命記には「目には目を」という表現が登場するんだけど、ハンムラビ法典より約400〜500年後に書かれたもの。法的な考え方がメソポタミアからイスラエルへ伝わったとも言われているんだ。

旧約聖書の「目には目を」との関係

旧約聖書には「目には目を、歯には歯を」という表現が複数の箇所(出エジプト記21章・レビ記24章・申命記19章)に登場します。ハンムラビ法典との直接的な影響関係については諸説ありますが、同じ時代のメソポタミア文明の法的考え方がヘブライの律法(モーセ五書)に影響を与えた可能性を指摘する研究者は少なくありません。

なお、新約聖書(マタイ伝)ではイエスが「目には目を」という考え方を批判的に引用し、「右の頬を打たれたら左も向けなさい」と説いています。これが「目には目を=復讐法」という誤解が広まった一因とも言われています。ハンムラビ法典の原意(過剰報復の禁止)とは文脈が異なる点に注意が必要です。

現代の法律の視点から見ても、ハンムラビ法典には注目すべき先駆的な考え方が含まれているとされています。

現代との共通点①:「推定無罪」の萌芽 ― 法典第2条には、告訴された者を川に投げ込み溺死すれば有罪・浮かび上がれば無罪とする「水審判(神明裁判)」の規定があるとされています。非科学的な方法ではありますが、「証拠なしには罰せられない」という考え方の萌芽とも解釈されています

現代との共通点②:「法の下の平等」の原点 ― 身分によって刑罰が異なるという点では現代的な「法の下の平等」とは異なりますが、「誰に対しても同じ法典が適用される」という成文法の公開という点では、現代の法治主義の原型のひとつと評価されています

現代との共通点③:「損害賠償制度」の先駆 ― 身体的損害に対して金銭で補償するという考え方(身分によって異なりますが)は、現代の民事損害賠償制度に通じる発想を含んでいると言われています

あゆみ
あゆみ

紀元前の法典が現代の法律の考え方につながっているなんて、なんか感動的ね。4,000年近くも前の話なのに。

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだよ!「法を文字にして公開する」という考え方自体が、現代の民主主義・法治国家の出発点のひとつだと言われているんだ。イスラエルの歴史を見ると、旧約聖書の律法がどのように発展したかもわかって面白いよ!

🔗 現代とのつながり:成文法の公開(法治主義の原点)→ ローマ法十二表法(紀元前450年頃)→ ユスティニアヌス法典(6世紀)→ ナポレオン法典(1804年)→ 近代民法の成立、という流れで「法の文書化・公開」の系譜が受け継がれたとされています。また古代エジプト文明でも同時期に独自の法体系が発展しており、古代オリエント全体での法意識の高まりがうかがえます。

このように、ハンムラビ法典は単なる「バビロニアの法律」にとどまらず、人類の法的思考の原点のひとつとして、世界史上の重要な意義を持っているのです。



ハンムラビ法典の理解を深めるおすすめ本

もぐたろう
もぐたろう

ハンムラビ法典についてもっと深く知りたい人に、おすすめの本を1冊紹介するよ!古代オリエント史の第一人者・中田一郎先生による決定版だから、信頼度は抜群だよ。

①ハンムラビ法典を原典から詳しく学びたいなら|専門家による決定版入門書

ハンムラビ法典

中田 一郎 著|講談社



テストに出るポイント

ここからは定期テスト・共通テスト・大学受験で押さえておきたいポイントをまとめます。試験直前の見直しにも使ってください。

テストに出やすいポイント
  • ハンムラビ法典の制定(紀元前1750年頃・バビロン第1王朝):バビロン第1王朝第6代のハンムラビ王が制定。アムル人の王朝。メソポタミア統一の象徴
  • 3つの身分(アウィルム・ムシュケヌム・ワルドゥム):自由民上層(アウィルム)・自由民下層(ムシュケヌム)・奴隷(ワルドゥム)の3階層。同じ罪でも身分によって刑罰が異なる
  • 「目には目を」=同害報復(タリオ)の原則:「やられたらやり返せ」という復讐法ではなく、過剰な報復を禁じた「報復の上限規定」。被害と同等の害を上限とする
  • 「世界最古の成文法」は誤解に注意:ハンムラビ法典より古い「ウル=ナンム法典」(紀元前2100年頃・シュメール)が存在する。正確には「現存する最大規模の成文法」
  • 石柱の発見場所(スサ・現イラン)と所蔵場所(ルーブル美術館):1901〜1902年にフランス調査隊がイランのスサで発見。現在はフランス・パリのルーブル美術館に所蔵されている
  • 使用言語:アッカド語(楔形文字):シュメール語に代わってメソポタミアで広く使われた言語。楔形文字で玄武岩の石柱に刻まれた

📌 暗記のコツ:「ハンムラビ=バビロン第1王朝・アッカド語・全282条・タリオ(同害報復)」の4点セットで覚えよう。混同注意:「世界最古の成文法」と書いてある選択肢は×(正確には「現存最大規模」)。ウル=ナンム法典(前2100年頃)の方が古い。

ゆうき
ゆうき

共通テストだと「目には目を」と身分制とウル=ナンム法典、どれが一番よく出る?

もぐたろう
もぐたろう

どれも頻出だよ!特に「目には目を=同害報復(タリオ)=過剰報復の禁止」という3段階のセットと、「世界最古ではなく現存最大規模」という誤解の訂正がよく問われるんだ。ウル=ナンム法典の名前と時代(前2100年頃)もセットで覚えておくと万全だよ!



よくある質問(FAQ)

ハンムラビ法典は、紀元前1750年頃にメソポタミアのバビロン第1王朝第6代・ハンムラビ王が制定した全282条の法典です。アッカド語の楔形文字で、高さ約2.25mの玄武岩の石碑に刻まれています。刑法・民法・商法・家族法・職業規定など多岐にわたる内容を持ち、現存する最大規模の成文法として知られています。現在はフランス・パリのルーブル美術館に所蔵されています。

「目には目を、歯には歯を」は、「やられたらやり返せ」という復讐を奨励する言葉ではありません。被害者が受けた被害と同等の害を加害者への報復の「上限」とする、同害報復(タリオ)の原則を示す言葉です。つまり「目をやられた場合、報復は相手の目まで。それ以上の過剰報復はNG」という意味で、今でいう損害賠償制度に近い考え方です。

厳密には「世界最古の成文法」ではありません。ハンムラビ法典(紀元前1750年頃)より約350年古い「ウル=ナンム法典」(紀元前2100年頃・シュメール)の存在が知られています。ハンムラビ法典の正確な位置付けは「現存する最大規模の成文法」です。ただし、その詳細な内容・規模・保存状態において他を大きく上回ることから、世界史上で特に重要な法典として扱われています。

ハンムラビ法典の石碑は、フランス・パリのルーブル美術館に所蔵されています。1901〜1902年に、フランスの調査隊が現在のイラン南西部に位置するスサ(古代エラム王国の都)の遺跡で発見しました。スサはもともとバビロンとは別の地域であり、バビロン第1王朝が滅亡した後に戦利品としてスサに運ばれたと考えられています。

当時のメソポタミア社会では、自由民(アウィルム・ムシュケヌム)と奴隷(ワルドゥム)という身分制度が社会の根幹をなしており、身分によって扱いが異なることは当然と考えられていたとされています。ハンムラビ法典はその社会慣行を法典として明文化したものです。現代の「法の下の平等」とは異なりますが、「身分に応じた基準を文字で公開した」という点に当時としての画期的な意義があったと評価されています。

最大の違いは、身分による刑罰の差(現代は法の下の平等)と身体刑・死刑の多用(現代では廃止・制限傾向)の2点です。また「神の権威」に基づいて法が正当化されている点も現代の世俗法とは異なります。一方で「成文法の公開」「契約の明文化」「弱者保護の条文」など、現代法の原点となる要素も含まれています。約3,800年前に「法を文字にして広場に公開する」という発想自体が、現代の法治国家の思想につながっているとも言えます。



まとめ〜ハンムラビ法典の重要ポイント

今回はハンムラビ法典について、その内容・「目には目を」の本当の意味・身分制度・後世への影響まで解説しました。

「目には目を」は復讐を奨励する法律ではなく、過剰報復を禁じた「報復の上限規定」だった——この視点は、試験対策としてはもちろん、現代の法律の根っこがどこから来ているかを考えるうえでも大切な知識です。

紀元前1750年頃に制定されたこの法典は、旧約聖書を通じて人類の法的思考に影響を与え、4,000年近くの時を超えて現代にまでつながっています。メソポタミアという地で生まれた「法を文字にして公開する」という発想が、いかに画期的だったかを感じてもらえれば嬉しいです。

ハンムラビ法典の年表
  • 紀元前3500年頃
    シュメール人がメソポタミアに都市文明を形成。楔形文字が生まれる
  • 紀元前2100年頃
    世界最古の成文法「ウル=ナンム法典」制定(シュメール)
  • 紀元前1894年頃
    アムル人がバビロン第1王朝を建国
  • 紀元前1792年頃
    ハンムラビ王即位(バビロン第1王朝第6代)。メソポタミア統一へ向けて動き出す
  • 紀元前1750年頃
    ハンムラビ法典を制定。全282条を玄武岩の石碑に刻み神殿前に公開。メソポタミア統一完成
  • 紀元前1595年頃
    ヒッタイトの侵入でバビロン第1王朝滅亡。石碑はエラム人によってスサへ持ち去られたとされる
  • 1901〜1902年
    フランス調査隊がイラン(スサ)でハンムラビ法典碑を発見。3つに割れた状態で出土
  • 現在
    パリ・ルーブル美術館の古代オリエント展示室で所蔵・公開。修学旅行や観光で実物を見ることができる

もぐたろう
もぐたろう

以上、ハンムラビ法典のまとめでした!「目には目を」の本当の意味、理解できたかな?下の記事でメソポタミア文明全体の流れや古代文明のまとめもあわせて読んでみてください!

📅 最終確認:2026年7月
📖 本記事は山川出版社『詳説世界史』に基づいています。中学歴史・高校世界史どちらにも対応しています。

参考文献

Wikipedia日本語版「ハンムラビ法典」(2026年7月確認)
コトバンク「ハンムラビ法典」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
コトバンク「同害報復」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説世界史』

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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