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開拓使官有物払下げ事件を簡単にわかりやすく解説【明治十四年政変の引き金を引いた事件です】

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もぐたろう
もぐたろう

今回は、1881年に起こった開拓使官有物かいたくしかんゆうぶつ払下げ事件について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!

この記事を読んでわかること
  • 開拓使官有物払下げ事件ってなに?
  • なぜ開拓使官有物払下げ事件は起こったの?
  • 開拓使官有物払下げ事件の経過を知りたい
  • 開拓使官有物払下げ事件によって日本はどう変わったの?
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開拓使官有物払下げ事件とは?

開拓使官有物払下げ事件とは、「国の開拓使かいたくしという組織が持っている所有物(官有物)が、関西貿易社かんさいぼうえきしゃという会社に著しく安い値段で売られていた不正疑惑事件」のことを言います。1881年に起こりました。

あまりにも安い値段で売られていたため、多くの国民から疑惑の目が向けられ、世間から強い批判を浴びます。

こんな値段で官有物から売り払われるなんて絶対におかしい!

きっと、開拓使と関西貿易社は癒着していて、不正が行われたに違いない。

官有物ってことは、俺たちの血税で買ったものなんだぞ。それをタダ当然で売るなんて、あまりにも馬鹿げている!!

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開拓長官の黒田清隆

疑惑の目を向けられた当時の開拓使のトップは、黒田清隆くろだきよたか。この記事の主役となる人物です。

黒田清隆

開拓使はその名のとおり、「北方地域(北海道・樺太からふと)を開拓するため」の組織で1869年に設置されました。

開拓使の目的は大きく2つ。

  • ロシアの南下に対抗するため
  • 殖産興業しょくさんこうぎょうのため

日本は江戸時代後半から、ロシアの脅威に悩まされ続けてきました。例えば、以下の記事で紹介しているゴローニン事件とか↓

そこで、「ロシアに奪われる前に、なんとしても北海道・樺太を開拓して日本のものにしよう!」と考えたわけです。

※ただし、樺太は1875年に千島・樺太交換条約が結ばれて、ロシアの領土となりました。

また、北海道は石炭・硫黄いおう・森林等の天然資源が豊富だったという意味でも魅力的な土地でした。北海道を開拓することによって日本の産業を発展させ、国力を高めようとする意図もあったのです。

黒田清隆が開拓使のトップになったのは1871年。

黒田清隆
黒田清隆

まずは10ヵ年の計画を立てて、北海道発展の基礎を作るぞ!!

こうして1871年〜1881年にかけて、北海道では大規模な開拓事業が次々と行われました。

北海道に多くの官営工場を設立され、1876年には札幌農学校や開拓使麦酒醸造所などの施設も設立されました。

※札幌農学校は北海道大学、開拓使麦酒醸造所はサッポロビールとして、今もなお残り続けています。

開拓使官有物払下げ事件で「不当に安く売られたのでは?」と怪しまれたのは、この時に設立された官営工場などでした。

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開拓使官有物が払い下げられた理由

黒田清隆の北海道開拓のこころざしは、1881年に大きくへし折られることになります。

なぜなら、10ヵ年計画の終期である1881年をもって、開拓事業の廃止が決定し、開拓使そのものも解体されることになったからです。

政府の財政は1877年の西南戦争以降急激に悪化しており、コストカットに迫られた政府は、赤字続きの北海道開拓事業にメスを入れたのです。

もちろん、黒田清隆はこの決定に不満を持ちます。

10ヵ年計画はあくまで北海道発展の基礎づくりであり、決して完成ではありません。ここで開拓事業を廃止すると、苦節10年が水の泡になってしまいます。

黒田清隆
黒田清隆

北海道は、ロシアから日本を守るための重要な拠点だぞ。

政府の財源の都合で簡単に開拓事業を廃止するなど、あってはならぬことだ!

私は、北海道の開拓事業を廃止になどさせない。政府の財源が足りないのなら、民間企業の力を借りて開拓事業を継続するまでだ。

こうして黒田は、これまで設立した工場など(官有物)を信用できる民間企業に売り渡して、民間主導によって開拓事業を継続しようと考えました。

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払い下げ先は北海社

しかし、開拓事業を安心して任せられる民間企業を探すのは、簡単なことではありません。

そもそも、北海道の開拓事業は赤字垂れ流しの事業です。なので、官営工場を譲り受けた民間企業は、北海道が発展して利益を回収できるまでの長い間、巨額の赤字を背負わされることになります。

そんな赤字を背負ってまで、官有物を譲り受けようとする企業なんてあるの?

結論を言うと、手を挙げた会社はありました。その会社の名は郵便汽船三菱会社ゆうびんきせんみつびしがいしゃ。三菱財閥の前身となる会社です。

郵便汽船三菱会社は、以前から北海道の海運・問屋などの市場を狙っており、官有物を貰い受けることで市場独占を加速させようと考えたのです。

しかも郵便汽船三菱会社は、日本有数の巨大企業。利益回収時期までの大赤字に耐え切れる資本力もあります。

しかし、黒田清隆は郵便汽船三菱会社への売り払いを拒否します。

黒田清隆
黒田清隆

私は、私利私欲がなく純粋に北海道の発展に身を捧げる者に開拓事業を任せたい。

西南戦争で大儲けしていた三菱など信用できん!

薩長土肥の派閥争い!

三菱を拒否した背景には、政府内の派閥争いも関係しています。

政府内では、出身藩による派閥(藩閥はんばつ)がありました。派閥は大きく薩摩・長州・土佐・肥前ひぜんの4つの派閥に分かれ、合わせて「薩長土肥さっちょうどひ」と呼ばれています。

黒田が薩摩藩閥に属していた一方、三菱は肥前藩閥の大隈重信おおくましげのぶとベッタリな関係だったことも、払い下げ拒否の一因となっています。

最終的に黒田は、開拓使の役人だった安田定則やすださだのりに、官有物を売り払うことを決定します。

黒田清隆
黒田清隆

純粋な民間企業よりも、役人出身で開拓事業の理念も知っている安田に任せるのが良かろう。

安田本人も、開拓使事業を継続する強い意志を持っているし、安心して任せられる男だ。

この時、安田定則は、官有物を貰い受けるため北海社ほっかいしゃと言う会社を立ち上げました。

しかし、北海社は信用はあっても、赤字に耐えうる資本力を持ち合わせていません。そこで北海社を支援してくれたのが、関西貿易社です。

関西貿易社は1881年5月、五代友厚ごだいともあつという人物を中心に設立された会社です。

五代友厚は黒田と同じ薩摩藩出身だったので、その繋がりによって支援に名乗りをあげたのです。

北海社と関西貿易社は役割分担を行い、北海社が開拓事業を担い、関西貿易社が経営・資金面から北海社の開拓事業の支援することとなました。合わせて、官有物の払い下げも関西貿易社が引き受けることとなります。

1881年7月22日、黒田清隆は政府内での合意を終わらせ、関西貿易社への官有物払い下げがほぼ確定となりました。

ただし、政府内の手続のなかで、三菱とズブズブの関係だった大隈重信は関西貿易社への払い下げに反対を表明しています。

※この大隈重信の反対が、開拓使官有物払い下げ事件を大きく動かすことになります

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開拓使官有物払い下げ事件

7月26~28日にかけて複数の新聞社が、開拓使官有物の関西貿易社への払い下げを政治スキャンダルとして報じました。

多額の血税を投じた北海道の官有物が、関西貿易社という会社へタダ同然の価格で売り払われようとしている!こんなことがあっていいのか!

開拓使トップの黒田清隆と関西貿易社の五代友厚は、薩摩藩閥のズブズブの関係であり、この2人は国家権力を私利私欲のために利用しているのだ!

こんな政治腐敗を我々国民は許していいのだろうか!!

当時は、政治への民意反映を訴える自由民権運動が活発で、西南戦争後の激しいインフレで人々の生活が苦しくなっていたのもあって、この新聞社の報道をきっかけに民衆達の不満が爆発しました。

俺たちが苦しい生活を訴えても何もしてくれないくせに、上級国民はぬくぬくしながら簡単に金を稼げるなんていい身分だな!

こんな腐った官有物の売り払い、一刻も早く中止すべきだ!

こうして事件が始まるわけですが、これだけだと平凡な政治スキャンダルであり、決して学校の教科書に載るような事件にはなり得ません。

こんな平凡な政治スキャンダルが、なぜ大事件として歴史の教科書に載っているのかというと、この政治スキャンダルをきっかけに大隈重信VS伊藤博文の政争が激化して、結果的に歴史が大きく動いたせいです。

というわけで、大隈VS伊藤の政治争いの様子を確認していきます。

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開拓使官有物払い下げ事件をめぐる争い

開拓使官有物払い下げ事件の発覚で、政府は民衆から強い批判を浴びることになりますが、実は政府内からもこの事件を強く批判する人物がいました。

その人物こそが、政府内で当初から反対を表明していた大隈重信です。

大隈重信
大隈重信

そうだそうだ!民衆の言うとおり、こんな売り払いは中止にすべきだ!!

払い下げを断固拒否し続けた大隈重信は、次第に政府の不正に立ち向かうヒーローとして民衆から支持を受けるようになり、一躍人気者となりました。

この大隈重信の立ち振る舞いに、違和感を感じた人物がいます。それが政府の最高実力者だった伊藤博文いとうひろぶみです。

当時、伊藤博文は国会のあり方をめぐって大隈重信と対立をしていたため、こんな疑念をいただいたのです。

伊藤博文
伊藤博文

官有物払い下げの件を新聞社にリークしたのは、大隈なのではないだろうか。

大隈は三菱の岩崎弥太郎いわさきやたろうと繋がっているから、当初からこの払い下げに反対している。おまけに、大隈は自由民権運動を支持する福沢諭吉ふくざわゆきちとも繋がっている。大隈の考える国会案は福沢諭吉の案と酷似しているのが良い証拠だ。

つまり、大隈は裏で岩崎弥太郎・福沢諭吉と繋がっていて、今回の官有物払い下げを新聞社に報道させることで、世論を味方にして私を攻撃しているのではないか?

関西貿易者への官有物払い下げが中止になれば、再び三菱にチャンスが生まれるし、大隈がヒーローとなり、強い世論で押し切れば大隈・福沢の考える国会案が採用されるかもしれない。

こうなれば、岩崎・大隈・福沢の3トリオは皆、win-win-winの関係になるわけだが、開拓使官有物払い下げ事件はあまりにも都合の良すぎる事件ではないか。

伊藤博文がどこまでこの疑念を信じたかはわかりません。ただ1つ言えるのは、伊藤はこの政治スキャンダル(開拓使官有物払い下げ事件)を利用して大隈を政界から追放しようと考えた・・・と言うことです。

1881年10月、伊藤は大隈の政界追放と開拓使官有物の払い下げ中止を決定します。さらに、民衆の不満を抑え込むため、国会開設を宣言しました。(明治十四年の政変

大隈と伊藤の詳細な政治駆け引きについては、以下の記事を参考にしてみてください↓

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開拓使官有物払い下げ事件の真相は闇の中

開拓使官有物払い下げ事件の悪の元凶として、民衆から大批判を浴びることになった黒田清隆は、新聞社の報道にブチギレます。

黒田清隆
黒田清隆

何が政治腐敗だ。ふざけるな!

俺はただ、政府が財政難を理由に開拓事業を中止するというから、この開拓事業を民間企業へ引き継がせただけだ。純粋に北海道の発展や国防を考えての事なのに、なぜここまで非難される必要があるのか。

それに赤字垂れ流しの工場などを売り払ったんだぞ。売値が安くなるのは当然だろうが!!

こんな陰謀じみた政治スキャンダルで北海道の命運が閉ざされるのなら、俺はもうこんな仕事やめてやる!!

※結局、黒田清隆は事件の責任をとって開拓長官を辞任。その後は閑職を当てられ、実質的な左遷となりました・・・。

開拓使官有物払い下げ事件には、「払い下げの受け手になったのは実は北海社で、新聞報道は誤報だった」という説もあり、実は事件の真相は今でもよくわかっていません。

※もし誤報だとすれば、黒田と五代の癒着を批判するための意図的な誤報であったことも考えられます。(意図的な誤報だった場合、それを支持した黒幕がどこかにいるということになる)

事件に大隈重信がどこまで関与していたかもわかりませんし、もう1人の悪の元凶として批判を浴びた五代友厚も、この事件について何も語っていません。

※教科書では通説である「開拓使官有物払い下げ事件は黒田清隆と五代友厚の癒着」という形でまとめられています。

1884年以降になると、北海道を含む全国各地の官営工場が三菱・三井・古河などの大企業に安値で次々と売り払われ、「結局、開拓使官有物払い下げ事件の騒ぎはなんだったの?」状態となっています。

なぜ、開拓使官有物払い下げ事件だけが大きくピックアップされたのか・・・?と考えると、やはり陰謀じみた何かを感じてしまいます。

事実としてはっきりと言えるのは、開拓使官有物払い下げ事件が明治十四年の政変のきっかけになったということです。

そして、明治十四年の政変で政敵を排除した伊藤博文は、国会開設や憲法制定などの大事業に着手できるようになり、開拓使官有物払い下げ事件をきっかけに歴史が大きく動くことになりました

合わせて明治十四年の政変の記事を合わせて読んでいただくと理解が深まるので、合わせて読んでみることをお勧めします↓↓

この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

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