学徒出陣とは?わかりやすく解説【文系学生だけが対象だった理由も】

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学徒出陣とは?わかりやすく解説【文系学生だけが対象だった理由も】

もぐたろう
もぐたろう

今回は、学徒出陣がくとしゅつじんについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ!

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
🎯 定期テスト・大学受験(共通テスト・国公立二次)に対応

この記事を読んでわかること
  • 学徒出陣とは何か・なぜ文系学生だけが対象だったのか
  • 学徒動員と学徒出陣の違い
  • 出陣学徒壮行会(1943年10月21日)の様子
  • 戦地に赴いた学徒兵のその後・生き残った人たち
  • 「きけわだつみのこえ」とはどんな本か

実は、学徒出陣の対象になったのは「すべての学生」ではありませんでした。

「学徒出陣」と聞くと、戦時中の大学生が全員戦場に送られたイメージを持つ人が多いかもしれません。しかし実際には、徴兵されたのは文系の学生だけで、理系の学生は徴兵猶予が継続されていました。

つまり、同じ大学で隣の席に座っていた友人でも、「文系か理系か」というだけで、戦地に行くか・大学に残るかの運命が分かれたのです。

この記事では、学徒出陣の背景・対象者の選別理由・出陣学徒壮行会の様子・そして学徒兵たちのその後までを、わかりやすく解説していきます。

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学徒出陣とは?

3行でわかる学徒出陣
  • 1943年(昭和18年)、戦況悪化により文系学生の徴兵猶予が廃止された
  • 13万人の学生が学業を中断して軍に入隊し、戦地へ送り出された
  • 多くの学徒兵が特攻隊に編入され、戦死・シベリア抑留などの悲劇を経験した

出陣学徒壮行早慶戦(1943年・学徒出陣前の最後の早慶戦)
出陣学徒壮行早慶戦(1943年)|出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

学徒出陣とは、太平洋戦争の戦況が悪化した1943年(昭和18年)に、それまで徴兵猶予ちょうへいゆうよを受けていた文系の大学生・専門学校生の猶予を廃止し、軍隊に入隊させた出来事のことです。

それまで日本では、大学や専門学校に通う学生には徴兵猶予ちょうへいゆうよという制度がありました。これは「学業中の学生は兵役を先延ばしにできる」という仕組みです。

しかし、1943年になると日本軍は各地で敗退を重ね、兵力が大幅に不足していました。そこで政府は1943年10月在学徴集延期臨時特例ざいがくちょうしゅうえんきりんじとくれいを公布し、文系学生の徴兵猶予を廃止したのです。

もぐたろう
もぐたろう

つまり、「大学に通っている間は兵隊にならなくてもいいよ」という特権が、戦争の激化によって取り消されたんだ。しかも対象になったのは文系だけ。理系は引き続き猶予されていたんだよ。

この猶予廃止により、当時20歳以上の文系学生は次々と軍に召集されました。その数はおよそ13万人にのぼると言われています。

こうして、多くの若者が大学の教室から戦場へと送り出されていきました。これが「学徒出陣」と呼ばれる出来事です。

学徒動員と学徒出陣の違い

「学徒出陣」と似た言葉に学徒動員がくとどういんがあります。この2つは混同されやすいのですが、内容はまったく異なります

学徒動員:学生を工場や農場での労働に動員すること(戦場には行かない)

学徒出陣:学生の徴兵猶予を廃止し、軍隊に入隊させて戦地に送ること(命がかかる)

学徒動員は、日中戦争が長期化した1938年(昭和13年)ごろから始まりました。戦争が続く中で、工場の労働力が不足したため、中学生や女学生も含めた学生が軍需工場や農作業に駆り出されたのです。

一方の学徒出陣は、それよりもはるかに過酷でした。学生が兵士として軍に入隊し、実際に銃を持って戦場に赴くことを意味します。

ゆうき
ゆうき

「学徒動員」と「学徒出陣」って名前が似てるからテストで間違えそう…。どう区別すればいいの?

もぐたろう
もぐたろう

ポイントは「戦場に行くかどうか」だよ。動員=工場で働く、出陣=戦場で戦う。この違いを押さえておけばテストでも迷わないよ!

まとめると、学徒動員は「銃後の労働力」として学生を使い、学徒出陣は「前線の兵力」として学生を送り出したのです。同じ「学徒」という言葉がついていますが、命のリスクがまったく違うことを覚えておきましょう。

比較項目学徒動員学徒出陣
開始時期1938年(昭和13年)ごろ1943年(昭和18年)
対象中学生・女学生を含む幅広い学生20歳以上の文系大学生・専門学校生
内容工場・農場での勤労奉仕軍に入隊し戦地へ派遣
命のリスク低い(空襲の危険はあった)非常に高い(戦死・特攻の可能性)

なぜ文系学生だけが対象だったのか

学徒出陣の最大の特徴は、文系学生だけが徴兵猶予を廃止されたという点です。理系の学生は引き続き猶予が認められ、大学に残ることができました。

なぜこのような差が生まれたのでしょうか。

その理由は、軍が理系の学生を「兵器開発や軍事技術に不可欠な人材」と判断したからです。当時、日本はアメリカやイギリスに対して技術力で大きく劣っていました。飛行機・船舶・通信機器などの開発や改良には理系の知識が必要不可欠だったのです。

もぐたろう
もぐたろう

つまり軍は、「理系の学生は兵器を作るために必要だから残す。文系の学生は戦場で戦う兵力にする」という判断をしたんだよ。

一方で文系の学生は、「法律・文学・経済を学んでいても、戦場で直接役に立つ専門知識ではない」とみなされました。こうして、学問の分野によって命の選別が行われたのです。

徴兵猶予ちょうへいゆうよ制度とは?
日本の徴兵令では、原則として20歳になった男子は兵役の義務がありました。しかし大学や専門学校に在学している間は、その義務を卒業まで先延ばしにできる仕組みがありました。これが「徴兵猶予」です。1943年の学徒出陣では、この猶予が文系に限り廃止されました。

当時の文系学生たちの間には、「なぜ自分たちだけが戦場に行かなければならないのか」という不公平感が広がっていたとされています。

同じ大学のキャンパスで学んでいた仲間が、文系か理系かという違いだけで、一方は戦場へ、もう一方は大学に残る。この残酷な線引きこそが、学徒出陣の本質でした。

出陣学徒壮行会——1943年10月21日

■ 壮行会の規模と様子

出陣学徒壮行会における青山学院の分列行進(1943年10月21日)
出陣学徒壮行会における青山学院の分列行進(1943年10月21日)|出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

1943年10月21日、東京の明治神宮外苑競技場めいじじんぐうがいえんきょうぎじょうで、出陣学徒壮行会が開催されました。

この日は冷たい雨が降る中、東京周辺の77校から集まった約2万5000人の学生が、銃を担いでグラウンドを行進しました。観客席には理工系学生や女学生ら約5万人が学校ごとに集められ、全体では約7万人が明治神宮外苑競技場に集まりました。

壮行会では、当時の首相・東條英機とうじょうひできが訓示を述べ、学生たちを激励しました。学生代表として東京帝国大学とうきょうていこくだいがくの学生が答辞を読み上げ、「征って参ります」と宣言したとされています。

あゆみ
あゆみ

雨の中を行進する学生たち…。見送る家族はどんな気持ちだったのかしら。

もぐたろう
もぐたろう

当時の映像や後年の証言を見ると、観客席を埋めた女学生たちが涙を流しながら学徒を送り出した様子が伝わってくるんだ。表向きは「お国のため」と送り出しても、後年の証言では「もうこの人たちは帰ってこないんじゃないか、そんな気がしていた」と語る女性もいて、内心の不安は隠しようがなかったんだね。

■ 学徒たちは何を思っていたのか

壮行会が終わると、学生たちには約2か月間の猶予が与えられ、12月には入営(軍隊に入ること)することになりました。

この約60日間、学生たちは家族と最後の時間を過ごし、日記や手紙に思いを書き残しました。公の場では「お国のために戦う」と語りながらも、私的な手紙や日記には本音が綴られていたのです。

「我々は自由についてどんなに夢見ていることか。自由の有難さは奪われてみてはじめてわかる」
——『きけ わだつみのこえ』所収の学徒兵の手記より

当時の学生たちの多くは、心の中では戦争に対する疑問や、学問を続けたいという切実な願いを抱えていました。しかし、戦時中の日本では「非国民」と呼ばれることを恐れ、声に出して反対することはほとんどできなかったのです。

もぐたろう
もぐたろう

もし自分が1943年の大学生だったら、同じように行進したんだろうか…。今の君たちと同じくらいの年齢の若者が、学問を捨てて戦場に向かったんだ。そのことを忘れないでほしいな。

僕ならどうするだろう・・・。想像もできないよ・・・

学徒兵のその後——戦地・特攻・戦後

■ 特攻隊と学徒兵

特攻攻撃(1944年10月25日)
米空母に向かう神風特攻隊(1944年)|出典:米国立公文書館(パブリックドメイン)

入営した学徒兵たちは、短期間の訓練を経て各地の戦場へ送り出されました。中でも悲劇的だったのが、多くの学徒兵が特攻隊に編入されたことです。

特攻隊とっこうたいとは、爆弾を積んだ飛行機で敵の艦船に体当たりする「必ず死ぬ」ことが前提の作戦です。1944年後半からフィリピン・沖縄などで本格的に実施され、特攻による戦死者は約4000人にのぼりました。

このうち、学徒出陣で入隊した学生出身の兵士が少なからぬ割合を占めていたとされています。特に海軍の航空特攻では、飛行訓練を受けた学徒兵が多く投入されました。

ゆうき
ゆうき

学徒兵は全員が戦死したの?戦争が終わった後、生き残った人はどうなったの?

もぐたろう
もぐたろう

もちろん全員が亡くなったわけではないよ。生き残った人の中には、戦後に政治家や学者として活躍した人もいるんだ。ただし、戦後もすぐには大学に戻れなかった人が多くて、苦労は続いたんだよ。

■ シベリア抑留とBC級戦犯

戦場で命を落とした学徒兵がいる一方で、1945年8月の玉音放送(終戦の発表)を戦地で迎えた学徒兵たちにも、過酷な運命が待っていました。

旧ソ連との戦場にいた学徒兵の一部は、終戦後にシベリア抑留シベリアよくりゅうに遭いました。極寒のシベリアの収容所で強制労働を強いられ、帰国できたのは何年も後のことです。中には命を落とした人もいました。

また、東南アジアの戦場にいた一部の学徒兵は、戦後の東京裁判やBC級戦犯裁判で裁かれるケースもありました。将校として配属された学徒兵が、部隊の行為について責任を問われたのです。

■ 生き残った学徒兵——戦後の活躍

戦争を生き延びた学徒兵の中には、戦後の日本社会で大きな役割を果たした人物がいます。

たとえば、第81代内閣総理大臣の村山富市むらやまとみいちは学徒出陣の経験者です。また、第74代首相の竹下登たけしたのぼるも学徒出陣で陸軍に入営しました。

こうした人々の多くは、戦争の悲惨さを身をもって体験したからこそ、戦後の平和と復興に強い信念を持って取り組んだと言われています。

あゆみ
あゆみ

戦争を経験した世代が戦後の日本を作ったのね…。学徒出陣の経験がその後の政治にも影響を与えていたなんて、知らなかったわ。

もぐたろう
もぐたろう

村山富市首相は1995年に「村山談話」を発表して、戦争への反省を公式に述べたことで知られているよ。まさに自分自身が学徒出陣を経験したからこその言葉だったんだね。

学徒出陣は、約13万人の若者の運命を変えた出来事でした。その中には戦死した者、抑留された者、そして生還して戦後の日本を支えた者がいます。次のセクションでは、学徒兵たちが残した言葉を集めた『きけ わだつみのこえ』について詳しく見ていきます。

きけわだつみのこえ——学徒兵が残した言葉

出征学徒(須田国太郎画、1943年)
須田国太郎「学生出征」(1943年)|出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

学徒出陣によって戦場へ赴いた若者たちは、出征前や戦地で多くの手紙や日記を書き残しました。それらを集めた遺稿集が、きけ わだつみのこえきけわだつみのこえです。

この書籍は1949年(昭和24年)東京大学とうきょうだいがくの学生たちを中心に編纂され、東京大学協同組合出版部とうきょうだいがくこうどうくみあいしゅっぱんぶから刊行されました。刊行を機に翌1950年、「日本戦没学生記念会にほんせんぼつがくせいきねんかい(わだつみ会)」が結成されています。タイトルの「わだつみ」とは海の神を意味する古語で、海に散った学徒兵たちへの鎮魂の思いが込められています。

収録されているのは、戦死した学徒兵たちが家族や友人に宛てた手紙、日記、遺書などです。そこには、「お国のために」という建前の裏側にあった本音——学問への未練、家族への思い、戦争への疑問が赤裸々に綴られていました。

「明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。(中略)自由の勝利は明白な事だと思います」
——上原良司(慶應義塾大学出身・特攻隊員)の遺書より。『きけ わだつみのこえ』所収

上原良司は慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく経済学部の学生でした。学徒出陣で陸軍に入隊し、1945年5月に沖縄特攻で戦死。享年22歳。彼の遺書は「自由主義者としての信念」を最後まで貫いた言葉として、多くの読者に衝撃を与えました。

あゆみ
あゆみ

22歳で「自由の勝利は明白」と書き残して特攻に出たなんて…。同じ年頃の大学生が、こんな覚悟を迫られていたのね。

もぐたろう
もぐたろう

『きけ わだつみのこえ』は今でも岩波文庫で読むことができるよ。80年近く前に書かれた言葉だけど、「戦争とは何か」「自由とは何か」を考えるきっかけになる本なんだ。ぜひ一度手に取ってみてほしいな。

刊行以来、『きけ わだつみのこえ』は累計300万部以上を超えるベストセラーとなり、映画化もされました。また、東京都文京区には「わだつみのこえ記念館」があり、戦没学徒の遺品や遺稿を展示・保存しています。

学徒出陣についてもっと詳しく知りたい人へ

もぐたろう
もぐたろう

学徒出陣についてもっと深く知りたい人には、この2冊を特におすすめするよ。どちらも中高生〜大人まで読みやすい本で、戦争と向き合うきっかけになる一冊だよ!

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記

日本戦没学生記念会(編) 著|岩波書店(岩波文庫)

テストに出るポイント

ゆうき
ゆうき

学徒出陣ってテストに出るの?どこを覚えればいいか教えて!

もぐたろう
もぐたろう

学徒出陣は高校日本史・共通テストでよく出るテーマだよ!特に年号と「文系だけが対象」というポイントは要チェックだね。

テストに出やすいポイント
  • 1943年(昭和18年)——学徒出陣が実施された年号
  • 出陣学徒壮行会——1943年10月21日、明治神宮外苑競技場で開催
  • 徴兵猶予の廃止——文系学生に限り猶予が廃止され、理系は猶予が継続
  • 学徒動員と学徒出陣の違い——動員=工場・農場での勤労奉仕、出陣=軍に入隊して戦地へ
  • 『きけ わだつみのこえ』——1949年刊行の戦没学徒の遺稿集
  • 特攻隊と学徒兵——学徒出陣で入隊した兵士の一部が特攻隊に編入

試験でよく出る問題形式
・「1943年に文系学生の徴兵猶予が廃止されたことを何というか」→ 答え:学徒出陣
・「学徒動員と学徒出陣の違いを簡潔に述べよ」→ 動員は銃後での勤労奉仕、出陣は徴兵されて戦場へ向かうこと
・「戦没学徒の遺稿を集めた書籍名を答えよ」→ 答え:きけ わだつみのこえ

よくある質問

学徒出陣とは、1943年(昭和18年)に日本政府が文系の大学生・専門学校生の徴兵猶予を廃止し、彼らを軍隊に入隊させて戦地へ送り出した制度のことです。対象となった学生は約13万人にのぼるとされています。

学徒動員は、学生を軍需工場や農場での勤労作業に動員すること(戦場には行かない)です。一方、学徒出陣は徴兵猶予を廃止して実際に軍隊に入隊させ、戦地へ送り出すことを指します。命に直結するかどうかが最大の違いです。

理系・医学系の学生は兵器開発・軍事技術・医療に必要な人材として猶予が継続されました。文系学生は「戦場での即戦力になる」とみなされ、猶予が廃止されて徴兵対象となりました。学問分野によって運命が分かれたのです。

1943年(昭和18年)10月21日、東京の明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場付近)で開催されました。雨の中、約2万5000人の学生が行進し、理工系学生や女学生ら約5万人が観覧席に集まり、全体で約7万人が参集しました。

1949年に刊行された、戦没学徒の手紙・日記・遺書を集めた遺稿集です。「わだつみ」は海の神を意味し、海に散った学徒兵への鎮魂の思いが込められています。東京大学の学生たちが中心となって編纂し、現在は岩波文庫で読むことができます。

正確な戦死者数は記録が不完全なため確定していませんが、対象となった約13万人のうち相当数が戦死・戦病死したとされています。特攻隊に編入されて戦死した学徒兵も少なくなく、学徒兵出身の特攻予備士官だけで600名以上が戦没したとの記録があります。

学徒出陣まとめ

学徒出陣の年表
  • 1941年12月
    太平洋戦争が開戦。大学生の徴兵猶予制度は維持される
  • 1943年6月
    文部省が学徒戦時動員体制確立要綱を決定
  • 1943年10月2日
    在学徴集延期臨時特例(勅令第755号)を公布。文系学生の徴兵猶予を廃止
  • 1943年10月21日
    出陣学徒壮行会を明治神宮外苑競技場で開催
  • 1943年12月
    学徒兵が各地の部隊に入営。訓練を経て戦地へ派遣
  • 1944〜45年
    学徒兵の一部が特攻隊に編入。多くの学徒兵が戦死
  • 1945年8月
    終戦。生存した学徒兵が復員開始。一部はシベリア抑留
  • 1949年
    『きけ わだつみのこえ』刊行。戦没学徒の遺稿が広く知られる
もぐたろう
もぐたろう

以上、学徒出陣についてのまとめでした。1943年という時代に、自分と同じくらいの年齢の若者たちが学問を捨てて戦場へ向かったこと——その事実をぜひ覚えておいてほしいな。下の記事で昭和の歴史についてもあわせて読んでみてください!

📅 最終確認:2026年4月 / 参照:山川出版社『詳説日本史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「学徒出陣」「出陣学徒壮行会」「上原良司」(2026年4月確認)
コトバンク「学徒出陣」「出陣学徒壮行会」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)(2026年4月確認)
国立公文書館「日本のあゆみ」昭和18年10月「学徒出陣が始まる」(archives.go.jp)
国立国会図書館日本法令索引「在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令第755号)」
山川出版社『詳説日本史』(2022年版)
日本戦没学生記念会編『きけ わだつみのこえ』岩波文庫(2003年新版)

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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