今回は、令外官の1つ勘解由使という職業についてわかりやすく丁寧に解説していくよ!
勘解由使とは?
勘解由使とは、国司が不正をしていないかチェックしたり、任期を終えた国司が新しい国司とトラブルを起こさないよう監視をする官職です。
国司は地方行政の責任者。地方で強大な権力を持っていました。国司はその権力を利用して、農民たちから必要以上の搾取を行い、不正や賄賂を繰り返していたのです。
国司の任期は原則4年。任期を終えた国司は、別の国の国司になったり出世したりします。
国司は、自分が新天地に行くことは良くても、これまで築き上げたさまざまな利権を、新しく赴任する国司に渡すことを拒みました。
すると、任期を終えた国司と新しく赴任した国司との間で、トラブルが絶えなくなり、地方行政に支障が生じるようになりました。
そこで、国司が交代する時のトラブル解決や、トラブルの原因である国司の不正を防ぐために設置されたのが勘解由使なのです。
そもそも国司って何?【おさらい】
トラブルの原因となった国司の不正がどんなものだったのか、紹介していこうと思うんだけど、その前に『そもそも国司って何者?』って話をしておくね!
国司とは、朝廷から地方に派遣されて、地方行政を行う官職のこと。
地方の最高官職であり、国司はえらい順に、守、介、掾、目という4つの身分にランク分けされていました。
国司の大事な仕事の1つに、「地方の民から税を徴収する」という仕事があります。当時の税金は、租・庸・調などの種類がありました。
しかし、743年に墾田永年私財法が制定されて以降、重税に耐えきれず浮浪・逃亡をする者が後を絶たず、朝廷は深刻な財政難に陥ります。
そこで朝廷は国司にこんなことを言いました。
急で悪いんだけど、財政難で国司のお給料払えないから!あとは自分でなんとかしてな。地方で権力持ってるんだしなんとかなるでしょ。
あっ、1つ言い忘れてた。給料は払えないけど、財政難だからちゃんと民から税金を徴収してね!
こう言われて困った国司は、自分の給料や朝廷からの納税ノルマを達成するため、新しい財源を探すことになります。
正税と租
そこで、国司が注目したのが租・庸・調のうちの租です。
租は稲の収穫高の3%を納める税金ですが、少し変わった税金でした。というのも、税金として徴収するくせに、超中された稲は各地方の倉庫に貯蓄されて、使われることがほとんどなかったのです。
※詳しくは以下の記事で紹介しています↓↓
租として徴収して倉庫に貯蓄している稲のことを正税と言い、国司はこの正税に注目しました。
使われていない正税を利用すれば、俺の給料も納税ノルマも全部解決できるのでは?
こうして国司は禁断の正税に手を出します。
とは言っても、ただ単に貯金を取り崩すだけではありません。取り崩すだけだと、いつか貯金は枯渇してしまいますからね。
そこで国司は、取り崩した正税(稲)を高利率で民に強制的に貸し付けることにしました。(この強制貸付のことを、歴史の専門用語で出挙と言います)
そして、そこから得られる利息分の稲を自分のお給料や納税ノルマ達成のために使うことにしたのです。正税の出挙で得た利息分の稲のことを専門用語で公廨稲と言います。(学校では習わないので覚える必要はありません)
専門用語がたくさん登場したので、ここで一度整理しておきます。
国司は公廨稲を手に入れたことで、自分の給料を自由に設定できるようになりました。
極論を言ってしまうと、国司は、金持ちになりたければ民の負担を無視して出挙しまくり、公廨稲をゲットすればいいのです。
実際、国司の無茶苦茶な出挙に苦しむ農民は、たくさんいました。
解由状と不正・賄賂
この公廨稲が、国司の間で大きな問題を引き起こすことになります。
国司の任期は4年。任期を終えると新しい国司にバトンタッチします。バトンタッチは新しい国司が前任の国司へ解由状という書類をやり取りすることで行われます。
しかし、公廨稲で甘い蜜の味を覚えた国司は、任期を終えた後もその蜜を吸い続けようと考えます。
新任の国司さん。俺、国司を辞めても公廨稲が欲しいんだよね。ちょっと分けてくれない?
は?何言ってんの?俺の利益になるものを簡単に渡すはずないじゃん。
そんなこと言ったら、解由状渡さないよ?もしそうなったらお前の出世にも響くぞ。それでもいいのか?
フフ、君はわかってないなぁ。俺がいつ、タダでお願いすると言った?
・・・これでどうだ。(大量のお金ドーン!!!)
・・・さっきの話はやっぱなし。
解由状すぐに出すから少し待っててください!
こんな風に、国司の間で不正や賄賂などが横行するようになったり、両者の交渉が決裂して国司の交代が滞ることが頻発するようになりました。
この問題はかなり根の深い問題で、単純な国司の問題だけに終わりません。
問題の根本にあるのは、国司が公廨稲を利用して私腹を肥やしている点です。
※公廨稲の活用は本来、朝廷から給料が支払われなくなった国司がやむを得ず始めたことです。しかし、国司は限度を超えて民から公廨稲を搾り取りました。
結果的に一番苦しむことになったのは、地方の農民たちです。国司が私腹を肥やせば肥やすほど、農民は出挙の返済という重い負担に苦しむことになります。
農民が重い負担に苦しめば、浮浪・逃亡をする者がますます増えて、朝廷の税収はさらに減少します。そしたら、国司はますます公廨稲に依存することになって、そしたら浮浪・逃亡する人がもっと増えて税収がますます減る・・・という悪循環に陥ります。
この悪循環は、朝廷の財政を揺るがす国家の一大問題にまで発展しました。そして、この問題を解決するために、作られたのが勘解由使だったのです。
勘解由使の仕事
797年、公廨稲をめぐる不正問題を解決するため、勘解由使が置かれました。勘解由使を考えたのは桓武天皇です。
平安遷都と東北の蝦夷戦争という2大事業を同時に進めている真っ最中だった桓武天皇は、ただでさえ民に負担を強いているのに、これ以上の負担を強いてはならないと国司の不正問題を深刻に受け止めていたのです。
これ以上朝廷の税収を減らすわけにはいかぬ。そのためには、国司による農民搾取を放置してはならない・・・!
勘解由使は桓武天皇が考えた役職で、本来の律令制度には存在しない役職です。そのような役職のことを令外官と言います。
律令制度は701年に完成しました(大宝律令)が、ここに書かれた役職だけでは時代の変化に対応することは不可能です。平安時代になると令外官が増え始め、平安時代末期には令外官だらけになってしまいます。
勘解由使の仕事は、国司交代の際に必要な解由状のチェックです。
勘解由使が登場する以前は、解由状は新任国司と前任国司の間で直接やりとりされていました。
しかし、勘解由使の登場後は、新任国司と前任国司の間に勘解由使が入って、何か不正なことがないかチェックが入ります。そして問題なしと認められれば、解由状が発行されることになります。
利権をめぐって前任国司と新任国司が喧嘩をして、交代が滞った時も、勘解由使が間に入って交代手続をスムーズに行えるようにしてくれました。
こうすることで、前任国司の不正や悪政、解由状のやりとり時に起こるトラブルや賄賂を防ぐことが可能になります。
あなたは不正ばかりして、集めた税金を国へ納めていませんね?
そのお金(稲)を国に納めるまで、新任国司に渡す解由状は受け付けませんから。
前任の国司が、利権欲しさに国司交代を拒んでいるだって?
私が見る限り、解由状の内容に問題はないから、すぐに国司を交代すべきだ。もし前任国司に不満があるのなら、私が言い分を聞き、然るべき判断をしよう。
勘解由使まとめ
勘解由使の登場で、国司になるためには厳しい審査が入ることになりました。
新しく国司になりたい人は、審査を認めてもらって解由状を受領することに必死です。そこで、平安時代に入ると、国司の中でも特に力を持っている人(守とか介の身分の人)を「やっと解由状を受領できた人」という意味で、受領と呼ぶようになります。
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