大姫とは?悲劇のヒロインの生涯をわかりやすく紹介【源頼朝の娘の悲しき物語】

今回は、日本史上屈指の悲劇のヒロイン!と言われることもある大姫(おおひめ)という人物について紹介しようと思います。

 

 

大姫は、源頼朝と北条政子との間に生まれた娘。ちなみに大姫というのは「偉い人の長女」っていう意味の呼び名。大姫のちゃんとした名前は実はわかっていません。これは「身分の高い女性は本名を呼ばない」っていうのが当時の風習によるものです。

 

当時の日本人ってどうも名前を呼ぶことに抵抗があったようで、平安文学の代表作「源氏物語」なんかを見てみても、朝廷の偉い人はほとんど官位や役職で書かれていて、名前がわかんないんですよね・・・。

 

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大姫の生い立ち

大姫は、源頼朝と北条政子の間に生まれた第1子。1178年生まれと言われています。1178年と言えば源平合戦はまだ始まっておらず、後に超有名人となる父の源頼朝はまだ流刑人。

 

平治の乱で父が敗れたことで、頼朝は流罪となりました。詳しい経緯は以下の記事を。

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源頼朝と北条政子の関係は、流刑人とその監視役の娘という関係。そんな間柄なので、両者は直接会うことも多かったことでしょう。すると次第に2人は恋仲になり、結婚を考えるようになります。

 

 

しかし、政子の父である北条時政はこれに大反対!当然です。平清盛から危険視されている源頼朝と娘が婚姻関係を結んだなんて世間に知れたら、一族滅亡だってありえます。

 

 

が、北条政子は父の反対を押し切って結婚し、最終的には父の北条時政もそれを認めたとされています。父の反対を乗り越えてからの第一子出産ですから、大姫はまさに頼朝と政子の愛の結晶。出産の喜びも一入(ひとしお)だったことでしょう!

 

 

こんな時代背景の中、大姫は生まれスクスクと成長していくわけですが、源平合戦が始まると大姫の人生は大きく狂うことになります。

大姫と源(木曽)義高

1180年、以仁王が平氏に対して挙兵したことで源平合戦が始まります。

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挙兵した以仁王はすぐに討たれたものの、以仁王に呼応し各地の源氏が立ち上がりました。そこで立ち上がったのが源頼朝と源(木曽)義仲。

 

 

「打倒平氏!」という共通の目標を掲げる源頼朝と源義仲ですが、とにかくこの2人の仲は悪かった。

 

 

なぜ悪いかというとちゃんと理由があって、源義仲の父が、源頼朝の父である源義朝との所領争いに敗北し、殺されているからです。

 

 

源義仲も命を狙われましたが、なんとか逃げ切り、その後は木曽山でひっそりと育ちます。なので源義仲は木曽義仲なんて呼ばれることもあったりします。

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さらに源義仲は、源頼朝に不満を持つ者の求心力にもなっていて、政治的にも両者は相容れない因縁の存在でした。もはや修復不能の関係となった両者は、1183年2月〜3月にかけて一触即発の状態に陥ります。

 

 

源頼朝も源義仲も、このままでは背後が気になって平氏のいる平安京に向かえません。特に源義仲は、平安京から平家軍が迫ってきており、頼朝と平氏に挟み撃ちにされそうな状況でした。

 

 

そこで、両者は交換条件を結ぶことにします。まず、義仲が息子の源義高(みなもとのよしたか)を頼朝に預けます。いわゆる人質ってやつです。これだけだと義仲が一方的不利な条件なので、源頼朝は源義高を自分の娘に嫁がせてることにします。これで頼朝と言えど簡単に義高に手出しはできません。

 

 

この時、源義高と政略婚をした女性こそが頼朝の娘である大姫でした。

若き大姫の憂鬱

さて、1183年の政略婚当時の義高と大姫の年齢を確認してみましょう。

 

 

大姫は5才か6才、義高は11才です。当時は婚期が早かったとは言え、それでも結婚の話が出始めるのは15歳ぐらいから。両者の政略婚はかなり強引に行われたことがわかります。

 

 

義高はわかりませんが、大姫は今でいう幼稚園・保育園の年長ぐらいの年齢なので、そもそも「結婚」っていう概念自体なかったんじゃないかと思います。きっと義高のことは、大好きなお兄ちゃん的存在だったんじゃないでしょうか。

 

 

大姫と義高は恋愛感情の有無は別として、とても睦(むつ)まじい仲でした。人質とは言え、義高は実に幸せな日々を送ります。しかし、その仲の良さゆえに悲劇は起こります。

 

 

1184年、源義仲は宇治川の戦いで頼朝軍に負け戦死。源義仲が亡くなると人質としての義高の価値はなくなるわけで、その処遇が問題となります。

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頼朝自身、父の源義朝を平清盛に殺され、源平合戦では平家を滅ぼそうとしています。それに加え、源義仲は父を源義朝に討たれ、息子の義仲と頼朝は犬猿の仲に。そのような歴史を見てきた頼朝にとって義高の処遇は他人事ではないのです。義高をこのまま生かしておくといつ強力な敵になるかわかりません。

 

 

頼朝は、父の死を知り不穏な行動を起こす前に義高を消してしまおうと考えます。しかし、義高を消してしまうと娘の大姫がショックを受け、悲しむことも容易に想像できます。そもそも、大姫と義高の婚姻は頼朝が簡単に義高に手出しできないようにするのが目的です。

 

 

悩んだ源頼朝は、最終的に源義高の暗殺を決断。しかし、大姫や義高のことを心配する女房らによってこの情報は事前に大姫に漏洩。こんな大事な情報が簡単に漏れるわけがないので、頼朝に近い人々の中にも心の奥底では大姫と義高を慕っている人が多かったのでしょう。

 

 

義高を助けたい大姫は、周囲の人たちと協力して源義高に女装させて、コッソリと鎌倉から脱走させることにします。

 

 

 

が、大姫らの必死の抵抗も虚しく「義高が脱走した!」という情報もすぐに頼朝に伝わり、頼朝はこれに激怒。義高誅殺部隊を派遣します。義高は、この追っ手から逃れることができず、若くしてその一生を終えました。

 

 

この義高の死により、大姫の人生の歯車は大きく狂うことになります。仲の良いお兄ちゃん的存在だった義高を父によって殺された大姫は、精神的ショックにより水も喉を通さないほど衰弱し、悲しみのどん底に。

 

 

まだ6、7歳の幼少期に、大好きな人を父親の手によって殺されたと知れば誰だっておかしくなります。

 

 

母の北条政子は、「娘がこんなことになったのは、義高を殺した頼朝が悪い!」と頼朝を責めると、頼朝は義高を討った藤内光澄を殺してしまいます。

 

 

 

「いやいや、命令したのあんただろww」って感じですけど、頼朝としても妻の怒りをなんとかして沈めないといけないわけで。何はともあれ、控えめに言っても犠牲となった藤内光澄(´;ω;) カワイソス

悲劇のヒロイン、大姫

義高の死は、幼い大姫の心に永遠に癒えることのない深い深い傷を残しました。義高の存在は大姫の心の中から消えることはなく、事件から十年ほどが経過しても大姫の心は不安定なまま。頼朝も政子も娘を元気付けようとしますが、何をやってもダメ。

 

 

1194年、さらに大姫の心を疲弊させる出来事が起こります。一条高能という人物との縁談を持ちかけられたのです。大姫は「そんなことをするなら自分で命を絶ってやる!!」と断固拒否。

 

 

1194年と言えば、義高が亡くなってからちょうど10年目の年。大姫は17歳になっていました。頼朝も政子もおそらくは「10年も月日が流れれば、大姫の心の傷も癒えたのではないか?」と思っての縁談の話を持ってきたんでしょうけど、大姫の心の中には今なお義高の姿が鮮明に映し出されていました。

 

 

ここで頼朝も政子も大姫の心境を察して引っ込んでいれば良かったんですけど、2人は次の縁談を強引に進めます。しかもその相手が聞いてビックリの後鳥羽天皇!!

 

 

「相手が天皇ならば、大姫も納得してくれるだろう」とでも思ったんでしょうかね・・・。こうして、大姫の意図とは無関係に、超展開で後鳥羽天皇との縁談が進んでいきます。

 

 

天皇の妃を目指すというのは政争に首を突っ込むことと同じわけで、衰弱しきった大姫は強制的に政争に巻き込まれてしまいます。

 

 

なぜ頼朝が後鳥羽天皇に娘を送り込もうとしたのかというと、当時の頼朝の心境を残す史料はないものの、「野心に溺れて、周りが見えなくなった!!」って言うのが定説です。

 

 

平安時代には長い間、天皇の外祖父(母方の祖父)が絶大な権力を誇ってきたという歴史があります。源頼朝は鎌倉幕府を開き、新しい権力の在り方を示した革命的人物だと私は思ってるんですけど、それでも天皇と血縁関係を結ぶというのは権力者にとって魅力的に映るのでしょう。

 

 

源頼朝は、朝廷における信頼できる代弁者として九条兼実(くじょうかねざね)という人物を重用していました。(詳しい成り行きは書ききれないため省略)ところが、源頼朝は九条兼家との親密な関係を突如として絶ってしまいます。なぜ九条兼実を突き放したかというと

  1. 九条兼実の娘が大姫のライバルになりそうだったから。
  2. 後鳥羽天皇や周囲の人々が九条兼実を嫌っていたから。

 

ちなみに2番の理由は、九条兼実がとても細かいことにうるさい性格なのと朝廷でも数少ない頼朝派の重鎮だったから。源頼朝に政治の実権を奪われていた後鳥羽天皇にとって頼朝に味方するヤツは基本的に敵なんです。

 

 

それなのに、頼朝は自分を支えてくれていた九条兼実を突き放し、貢物や接待ざんまいで後鳥羽天皇にベッタリになります。たまったもんじゃないのは九条兼実です。ハシゴを外された九条兼実は失脚し、政治の表舞台から次第に姿を消してしまいます。藤内光澄ほどでないにせよ九条兼実もカワイソス・・・。

 

 

頼朝は数少ない朝廷内の代弁者を犠牲にしてでも、大姫を入内させようと考えており、九条兼実のエピソードからは頼朝の本気度がわかります。しかし、頼朝が本気になればなるほど辛い想いをすることになるのは大姫です。その大姫、1197年に19歳という若さで命を落とします。

 

 

死因はわかっていません。でも、タイミング的に考えてもおそらく自害したのでは?と個人的には思います。

 

 

死者への想いっていうのは月日が経てば薄れるとかそんな単純な話じゃありません。会えないが故に想いが強くなり、心の中の義高の存在がますます大きくなっていったのではないでしょうか。

 

大姫にとって死とは、「父に振り回される辛き世から離れられる」「愛しの義高に会える」って感じだったんじゃないかと思ったりも。そして自害と言っても苦悩の死というわけではなく、きっと幸せそうな顔で一生を終えたんじゃないのかなとさえ思います。だって十年以上想い続けた義高にようやく会えるかもしれないんですから。(個人的な妄想です!)

大姫まとめ

これは戦国時代の政略婚にも言えるんですが、武家同士の政略婚は本当に過酷です。

 

実は、かなり前にこんな本を読んだことがあります。古本屋で買ったんですけど、値段の割にかなり面白かったです。

 

著者の人選に偏りがあるせいかもしれないですけど、やっぱ悲劇的ヒロインみたいな女性って戦国時代に多いんですよね・・・。

 

 

大姫は、そんな名門武家に生まれた悲劇のヒロイン第一号なんじゃないかと思います。

 

 

吾妻鏡について

最後に地味だけど大事なお話を。大姫の話は主に「吾妻鏡」という歴史書の記録がソースになっています。吾妻鏡は1300年頃に北条家が書いたもので、かなり北条家びいきの内容になっています。北条を良く見せるために嘘や誇張が数多く散りばめられているんです。

 

何が言いたいかと言うと、大姫の悲劇のヒロイン物語は作り話かもしれないってこと。流石に大筋は事実だと思いますが、一応補足説明を!

 

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