鎌倉幕府の滅亡(1318〜1333)|鎌倉時代STEP⑥

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滅亡
第6章 / 1318〜1333年

鎌倉幕府の滅亡

後醍醐天皇の倒幕運動から笠置山・千早城の激闘へ。楠木正成・新田義貞・足利尊氏が決起し、鎌倉148年の歴史に幕が下りた約15年。

1324
正中の変
1331
元弘の乱
1333
鎌倉滅亡
1321
後醍醐親政
1324
正中の変
1331
元弘の乱
1333
鎌倉陥落
Phase I — 後醍醐天皇の倒幕運動
1318〜1331年
1318〜
親政開始
後醍醐天皇の親政 — 天皇親政の復活を目指して

1318年に即位した後醍醐天皇は、院政・摂政・関白を廃して天皇みずからが政治を行う「天皇親政」を志します。建武の新政(のちの倒幕後)の布石となる積極的な政治姿勢は、幕府にとって危険な存在となります。

後醍醐天皇(倒幕運動の視点)準備中
1324
第一次倒幕未遂
正中の変 — 倒幕計画が発覚し失敗

後醍醐天皇が幕府打倒の密議を進めますが計画が漏洩。土岐頼員・日野資朝らが処罰されますが、天皇自身は関与を否定して难を逃れます。

1331
第二次倒幕
元弘の乱 — 後醍醐天皇が笠置山に籠城

再び倒幕計画が発覚した後醍醐天皇は笠置山(京都府)に逃れ籠城。幕府軍の攻撃で落城し、天皇は捕らえられ隠岐に流されます。しかし倒幕の炎は消えませんでした。

▶ 深く読む
元弘の乱とは?後醍醐天皇の倒幕計画・隠岐流刑・楠木正成の活躍をわかりやすく解説
なぜ天皇は自ら武装したのか。元弘の乱が鎌倉幕府の終わりを告げた理由。
Phase II — 千早城・足利の離反・鎌倉陥落
1332〜1333年
1332〜
ゲリラ戦
楠木正成の千早城・赤坂城 — 奇策で大軍を翻弄する

河内(大阪)の武士・楠木正成は赤坂城・千早城に籠り、大軍の幕府軍を相手に巧みなゲリラ戦で抵抗を続けます。正成の粘り強い戦いが全国の倒幕派を鼓舞し、足利尊氏・新田義貞を動かすきっかけとなりました。

赤坂城の戦い 千早城の戦い 楠木正成準備中
1333
幕府崩壊
足利尊氏の離反と鎌倉攻め — 148年の終焉

後醍醐天皇が隠岐を脱出し倒幕の旗を掲げると、幕府の有力武将・足利尊氏が六波羅探題を攻撃して離反。同じ頃、新田義貞が関東で挙兵し鎌倉に攻め込みます。北条高時ら北条一族は東勝寺で自刃し、鎌倉幕府148年の歴史に幕が下ります。

▶ 深く読む
鎌倉攻め(1333年)とは?新田義貞の稲村ヶ崎・北条氏の滅亡・建武新政への道
鎌倉がどのように陥落したか。幕府最後の日の詳細と建武新政への歴史的転換。
鎌倉攻め(詳細) 足利尊氏(鎌倉滅亡の視点)準備中 新田義貞準備中 北条高時準備中
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