地味すぎる!4代目執権の北条経時についてわかりやすく紹介

今回は、4代目執権の北条経時(ほうじょうつねとき)について紹介しようと思います。

 

 

北条経時は、鎌倉幕府の4代目執権なんですが、超地味なんですよね。存在を知っている人は一体どれぐらいいるのだろうか?

 

 

こうやって記事を書いといて言うのもアレなんですが、正直言って私自身、北条経時のことはあまり紹介する気はありませんでした(笑)。しかし、北条経時のことを知らないと、有名な北条時頼のお話がイマイチ理解しにくかったので、紹介してみることにしました。

 

というわけで今回は、北条時頼の話を知る上での前提知識な感じでお話を進めていきます。

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歴代執権と4代目の北条経時

まずは、初代〜4代と続く歴代の執権北条氏をおさらいします。

 

【初代執権】北条時政

数ある御家人の中の1つに過ぎなかった北条氏の地位を高めた功労者息子と娘に追放され、幽閉先で一生を終えるという悲しい最期を迎える。

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2代目執権】北条義時

父の時政の築いた北条氏の地位をさらに高め、幕府の実質的な最高権力者として君臨する。背後には、大江広元や北条政子と言った重鎮の支えもあった。承久の乱の際の幕府の代表でもある。

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【3代目執権】北条泰時

権力を盤石にした義時の息子。父の偉業を引き継ごうとするも、大江広元・北条政子と言った重鎮が亡くなり、政局は不安定に。北条泰時は北条氏の専制的な政治を辞め、多くの御家人と話し合いで政策を決める合議体制を設立(とは言え、北条氏が多かったけど!)。

 

重鎮不在の幕府の運営を見事に軌道に乗せ、安定させた内政のプロ。人柄もとても素晴らしく、とにかく良い噂しかない。

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という素晴らしい3人の跡を継いだ4代目執権の北条経時ですが、実はそれはもう政局が不安定で大変な時代でした。というのも北条経時が4代目の執権になったのは1242年。わずか19歳の時でした。

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政局不安定な北条経時の時代

北条経時が19歳という若年で執権になったのには実はやむを得ない理由がありました。

 

というのも、本来は3代目執権の北条泰時の息子だった北条時氏が執権になるはずだったのに、その時氏が早くに亡くなってしまったから。こうしてやむを得ず執権となったのが泰時の孫にあたる北条経時だったのです。

【北条氏の系図。北条時氏が執権になっていないことがわかる】

 

わずか19歳の北条経時の執権就任は、北条氏を良く思わない勢力に付け入る隙を与えてしまいます。

 

この時、北条氏を良く思わない勢力は大きく2つあります。

 

北条氏が権力を握ることに不満を持つ御家人。筆頭は三浦氏という一族。
もう1つは、同じ北条氏でも権力を握れずに不満を持った傍流北条氏。筆頭は北条光時。北条経時からは叔父に当たります。(上の系図を参照)

 

 

北条光時は思います。

 

 

北条光時「北条泰時の血統が代々、執権に就任するようになってしまったが、俺だって北条氏に生まれたんだ。一度は権力を握りたいもんよ。今回執権になった北条経時は随分と若くて、何も知らなそうではないか。北条氏の嫡流(得宗とも言う)に不満を持つ御家人も多い。そいつらと連携して、無知な北条経時を失脚させれば、俺が執権になるのも夢ではないぞ」

 

 

4代目にもなると、北条氏内でも宗家と分家が生まれ、分家は宗家に不満を持つことが多くなります。この流れは平安時代のトップ貴族だった藤原氏の流れと全く同じです。「貴族」が「武士」に変わっただけで歴史は繰り返されることになります。(こことても重要)

 

 

北条光時が、北条経時を失脚させるために着目したのは、執権の操り人形と化して存在感皆無だった4代目将軍の藤原頼経でした。

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北条経時と藤原頼経

地味地味コンビの北条経時と藤原頼経ですが、1244年、北条経時は同じ地味仲間の藤原頼経を将軍位から解任します。

 

 

藤原頼経は執権の傀儡(かいらい。操り人形の意)と化していたので、将軍とは言え北条経時のさじ加減で簡単に解任できてしまうのでした。

 

 

北条経時がなぜ藤原頼経を解任したかというと、北条光時・三浦氏と共に不穏な動きを見せはじめたからです。傀儡とはいえ、建前上、将軍は幕府の最高位です。北条光時らと組んで、ある程度の軍事力を持った状態で将軍の口から「北条経時は追放!」なんて言えば、それはそれでかなりの実行力があるわけです。

 

 

この「実力者に勝ちたいから、ワンチャン狙いの時だけ天皇を利用する」っていうのは、実は明治時代まで続く日本の歴史の大きな流れです。(これは、現代の天皇の在り方や憲法の規定内容にも関わる大事な話ですが、ここでは省略!)

 

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北条経時と5代目将軍の藤原頼嗣

藤原頼経解任後、5代目将軍に就任したのが藤原頼嗣(ふじわらのよりつぐ)です。藤原頼嗣は4代目将軍の藤原頼経の息子です。その就任には北条経時の強い意向が働いています。

 

 

ところが、将軍家の血筋的にやむを得ないとはいえ、藤原頼経の息子を5代目に選んだのが良くなかった。藤原頼経は本来は、貴族であり京の出身。本来なら京に戻るはずが、鎌倉に残り続け息子の頼嗣に色々とアドバイスを始めます。

 

 

藤原頼経は北条光時と組んでいますから、藤原頼経からの息子への助言は必然的に、良からぬ話だということは簡単に想像できます。

 

 

これでは藤原頼経を将軍から解任した意味がありません。そこで、北条経時は妹の檜皮姫(ひわだひめ)を若い藤原頼嗣に嫁がせ、外戚として藤原頼嗣に対する発言力を増すことに成功します。

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北条経時「俺はもうダメぽ。弟の時頼に託すわ」

1245年、北条経時は病に倒れます。そして1246年3月、北条経時は秘密裏に跡を弟の北条時頼に託すことを決めます。

 

 

この時の詳しい経過は実はよくわかっていません。

 

 

単純に病気で政務を行えない北条経時が弟に後を託した・・・という話もあれば、北条時頼が優秀すぎる人間だったことから「病気で弱った北条経時を無理に追いやったのでは?」なんて話もあったりします。どれだけ優秀なんだ北条時頼は。

 

 

時頼に後を託した後、1246年4月に北条経時は亡くなってしまうので結果的にこの判断は正しかったと言えます。北条経時はこの時23歳。19歳〜23歳という若さで幕府の重職を担ったストレスが遠因だったとも言われています。

 

 

とは言え後を継いだ北条時頼も18才で、立派に幕府を治めていますから、やはり北条経時は霞んで見えてしまいます。

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北条経時と北条時頼

北条経時の死により北条光時は再び息を吹き返し、次は北条時頼を失脚させようと藤原頼経に近づきます。

 

 

北条光時にとっては経時も時頼も「宗家というだけで何も知らない若造」に映ったはずです。

 

 

北条光時は時頼が執権になった1246年5月、藤原頼経を担いで北条時頼失脚のための軍事行動の準備を開始します。ところが、北条時頼はただの若造ではなく、トンデモナイ実力者でした。

 

 

この情報を知った北条時頼は、北条光時一派を鎮圧し、これを機に藤原頼経を京へ強制送還してしまいます。凄い決断力です。こりゃ北条経時が地味になる理由も納得です。(この一連の騒動を宮騒動とよびます。)

 

 

しかし、鎌倉には北条光時に協力していた反対勢力の三浦一族がいまだ健在。1247年、北条時頼は三浦氏と戦争を行うことになります。(これが宝治合戦という戦い)

 

 

・・・こんな感じで話は北条時頼の話へと続いていきます。北条経時の解決できなかった問題と北条時頼が実力行使で解決していくイメージです。



鎌倉時代
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