紀元前2600年ごろ 〜 現代
インダス文明から仏教・ヒンドゥー教の誕生、ムガル帝国、そして植民地支配からの独立まで。インドと東南アジアの歴史は、宗教と多様な文化が交差する約4600年の物語です。ガンディーやホー=チ=ミンが歩んだ独立への道もここで学べます。
なぜインド・東南アジアを学ぶのか
宗教のふるさとであり、植民地支配と独立闘争の最前線でもあった地域。
インドは仏教とヒンドゥー教を生み、その文化は東南アジアへ広がってアンコール=ワットのような遺産を残しました。近世にはムガル帝国が栄えますが、やがてイギリスをはじめとする列強の植民地支配に組みこまれていきます。このページでは、文明と宗教の誕生(Phase I)、イスラーム王朝と東南アジア世界(Phase II)、植民地支配と独立への道(Phase III)の3段階で全体像をつかみます。ガンディーの非暴力運動やベトナム戦争など、入試頻出のテーマを流れの中で理解しましょう。
Phase I ─ インド文明と宗教のふるさと
インダス文明 ─ 計画都市モヘンジョ=ダロの謎
インダス川流域にモヘンジョ=ダロやハラッパーなどの都市文明が栄えました。整然とした街路や排水施設をもちながら、インダス文字は未解読で、衰退の原因も謎に包まれています。
アーリヤ人の進入 ─ ヴァルナ制のはじまり
中央アジアからアーリヤ人がパンジャーブ地方に進入し、バラモンを頂点とする身分制度ヴァルナ制が形づくられました。これがのちのカースト制度の起源とされます。
仏教の誕生とアショーカ王 ─ 法による統治へ
紀元前5世紀ごろガウタマ=シッダールタが仏教を開きました。紀元前3世紀にはマウリヤ朝のアショーカ王が仏教を保護し、ダルマ(法)にもとづく統治で最盛期を築きました。
グプタ朝 ─ ヒンドゥー教とインド古典文化の完成
グプタ朝の時代にヒンドゥー教が社会に定着し、サンスクリット文学や十進法・ゼロの概念などインド古典文化が栄えました。その影響は東南アジアにも広がっていきます。
Phase II ─ イスラーム王朝と東南アジア
アンコール=ワット ─ 東南アジアに花開いたインド文化
カンボジアのアンコール朝は12世紀に壮大な寺院アンコール=ワットを造営しました。ヒンドゥー教寺院として建てられ、のちに仏教寺院となった、インド文化圏の広がりを象徴する遺産です。
デリー=スルタン朝 ─ 北インドのイスラーム王朝時代
1206年に奴隷王朝が成立し、以後デリーを都とする5つのイスラーム王朝(デリー=スルタン朝)が北インドを支配しました。ヒンドゥー教社会にイスラームが本格的に浸透していきます。
マラッカ王国 ─ 海の道と東南アジアのイスラーム化
マレー半島のマラッカ王国は香辛料交易の中継地として栄え、イスラーム教を受け入れました。ここを拠点にイスラームは東南アジアの島々へ広がったとされます。
ムガル帝国 ─ アクバルの融和とタージ=マハル
1526年にバーブルがムガル帝国を建国しました。第3代アクバルはジズヤ(人頭税)を廃止してヒンドゥー教徒との融和を進め、シャー=ジャハーンはタージ=マハルを造営しました。
Phase III ─ 植民地支配と独立への道
プラッシーの戦い ─ イギリスのインド支配のはじまり
1757年、イギリス東インド会社がプラッシーの戦いでフランス・ベンガル太守連合軍を破り、ベンガル地方の支配権を握りました。ここからイギリスのインド植民地化が本格化します。
インド大反乱からインド帝国へ ─ 直接支配の完成
1857年、東インド会社のインド人傭兵シパーヒーの蜂起をきっかけにインド大反乱が起こりました。鎮圧後の1877年、ヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国が成立し、イギリスの直接支配が完成します。
ガンディーとインド独立 ─ 非暴力・不服従の勝利
ガンディーは非暴力・不服従を掲げてイギリスからの独立運動を指導しました。1947年にインドは独立を達成しますが、ヒンドゥー教徒中心のインドとイスラーム教徒中心のパキスタンに分離しての独立となりました。