院政の時代|後三条・白河・前九年後三年の役まとめ

第4章 / 1068〜1155年

院政の時代

後三条天皇が藤原氏の呪縛を断ち、白河上皇が院政を創始。上皇が政治実権を握り、武士が台頭してきた激動の90年。

1069
延久の荘園整理令
1086
院政開始
1156
保元の乱
1069
荘園整理令
1083
後三年の役
1086
院政開始
1108
天仁の乱(僧兵)
1156
保元の乱
Phase I — 後三条天皇の改革
1068〜1086年
1068
改革
後三条天皇の即位 — 藤原氏の外戚でない初の天皇

170年ぶりに藤原氏を外戚に持たない天皇として即位した後三条天皇。延久の荘園整理令(1069)で違法な荘園を停止し、記録荘園券契所を設けて土地制度を整理。摂関政治の基盤に本格的にメスを入れた改革派天皇です。

▶ 深く読む
後三条天皇の改革
藤原氏を外戚に持たない天皇として即位した後三条天皇。荘園整理令で摂関政治の経済基盤を切り崩した経緯を解説。
1086
院政
白河上皇の院政開始 — 天皇をも超える権力

白河天皇が堀河天皇に譲位後も「上皇」として政治実権を維持する院政を開始。律令・関白・鳥羽の洪水(=流れ)にも従わないと言われた白河法皇の専制支配が約30年続きます。

▶ 深く読む
白河天皇と院政
なぜ天皇を辞めてからのほうが権力を持てるのか?院政の仕組みと白河法皇の「三不如意」を解説。
院政とは 院宣・院庁・院近臣 知行国制度準備中
Phase II — 武士の登用と東国の乱
1050〜1090年
1051〜62
合戦
前九年の役 — 源頼義が奥州を平定

陸奥の豪族・安倍氏が反乱を起こし、源頼義・義家父子が約12年かけて平定。義家は「八幡太郎」と呼ばれ関東武士に慕われ、清和源氏の武門としての地位が確立した画期的な戦いです。

1083〜87
合戦
後三年の役 — 義家の威名を高めた北方の乱

奥州の清原氏の内紛に源義家が介入し、清原氏を滅ぼして藤原清衡(奥州藤原氏の祖)を支援した戦い。義家が私財を投じて恩賞を与えたことが坂東武士の心を掴み、源氏の棟梁としての権威を確固たるものにしました。

1085頃
武士
滝口の武士 — 宮中警護と武士の宮廷進出

宇多天皇以来、宮中の北面を警護する武士(滝口の武士)が設けられ、武士が貴族社会に組み込まれていきます。白河法皇はさらに「北面の武士」を設置し、平清盛の父・忠盛らを重用しました。

Phase III — 僧兵と末法の時代
1086〜1155年
11世紀〜
宗教
僧兵の強訴 — 神木を担いで朝廷を脅す

延暦寺(山法師)と興福寺(南都法師)の僧兵が神木・御輿を担いで朝廷に強訴を繰り返しました。白河法皇が「意のままにならないものは賀茂川の水、双六の賽、山法師」と嘆いたのはこの時代。

1156
政変
保元の乱 — 武士が政治を変えた瞬間

崇徳上皇vs後白河天皇の対立に武士が動員され、武力で皇位継承が決まった初の事件。戦後に崇徳上皇が讃岐に配流され、武士の政治的価値が決定的に認知されます。

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保元の乱を詳しく
天皇家・藤原家それぞれが東西に分裂して戦った日本史上の大事件。戦後処理とその後の平治の乱への連鎖を解説。
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