摂関政治の最盛期|道長・頼通・紫式部・清少納言まとめ

第3章 / 969〜1068年

摂関政治の最盛期

藤原道長が「この世をば」と詠み、紫式部・清少納言が輝いた国風文化の絶頂期。道長・頼通の80年が平安文化を完成させます。

995
道長内覧
1008
源氏物語
1053
平等院
986
寛和の変
995
道長内覧
1008
源氏物語
1019
刀伊の入寇
1053
平等院
Phase I — 藤原兼家・道長の権力掌握
969〜1000年
986
政変
寛和の変 — 兼家の奇策で花山天皇が出家

藤原兼家が息子の道兼をけしかけ、花山天皇を騙して出家させた政変。翌日に孫の一条天皇を即位させ、兼家が摂政に就任。後の道長の全盛期への道筋をつけた謀略の一夜。

995頃
権力掌握
藤原道長の権力確立 — 内覧から「望月」まで

長徳の変(996)で兄・道隆の子・伊周を排除し、道長が内覧に就任。1018年には3人の娘を后妃に入れ「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠みました。

▶ 深く読む
藤原道長の生涯
摂政にならず内覧・左大臣として権力を行使した道長の実像。3人の娘を后に立て「望月」を詠むまでの策謀と栄華。
996頃
没落
長徳の変・中関白家の没落

道長の兄・道隆の子、伊周と隆家が花山法皇に矢を射かけた事件をきっかけに失脚。道隆・道兼の死後、道長が権力の頂点に立つ決定打となりました。

Phase II — 宮廷文学の黄金時代
1000〜1020年
998頃
後宮
一条天皇の後宮 — 定子と彰子

中関白家の定子(清少納言が仕える)と道長の娘・彰子(紫式部が仕える)が同じ一条天皇の後宮に並び立った時代。2人の中宮が競い合う文化サロンから、枕草子・源氏物語が生まれました。

1000頃
文学
枕草子 — 清少納言の宮廷エッセイ

定子の後宮に仕えた清少納言が書いた随筆。「春はあけぼの」で始まる美意識豊かな文章は、かな文学の傑作として千年後も読み継がれています。

1008頃
文学
源氏物語 — 紫式部が描いた王朝ロマン

道長の娘・彰子に仕えた紫式部が書いた長編物語。光源氏の栄光と哀愁を描いた世界最古の長編小説とも呼ばれ、国風文化の頂点を象徴する作品です。

▶ 深く読む
紫式部の生涯
源氏物語を書いた紫式部とはどんな人?藤原道長・清少納言との関係、宮廷での日々を解説。
Phase III — 頼通と摂関政治の黄昏
1020〜1068年
1019
外敵
刀伊の入寇 — 外敵を退けた武士の力

女真族(刀伊)が九州北部に侵攻し、現地の武士・藤原隆家らが撃退。貴族政権が外敵から日本を守れない現実を露呈し、武士の軍事的価値が初めて広く認識された事件です。

1028頃
武士台頭
平忠常の乱 — 源頼信が武士の棟梁へ

関東で平忠常が反乱を起こし、追討使・源頼信が降伏させて解決。源氏が坂東武士の指導者としての地位を固め、後の源平争乱の伏線となりました。

1053
文化・建築
平等院鳳凰堂 — 頼通が建てた浄土の美

藤原頼通が宇治に建立した阿弥陀堂。末法思想の広まりとともに浄土教が盛行し、現世に「浄土」を再現しようとした国風文化の精華です。10円玉の表面にも描かれています。

▶ 深く読む
藤原頼通と平等院
道長の息子・頼通はなぜ宇治に平等院を建てたのか。摂関政治の限界と末法思想の関係を解説。
末法思想準備中 浄土信仰準備中 源信・往生要集準備中
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