

今回は古今和歌集について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!「誰が作ったの?」「誰の命令で?」という疑問に、最初にズバッと答えていくね。
「古今和歌集を作ったのは、さぞ身分の高い貴族たちだろう」——そう思う人がほとんどです。
でも、実はちがいます。天皇直々に命令を受けて日本で初めての勅撰和歌集を完成させた4人の撰者は、貴族の頂点どころか、当時の朝廷では位の低い下級役人たちでした。家柄ではなく「和歌の実力」だけで天皇に抜擢された、異例の大プロジェクトだったのです。
この記事では、その古今和歌集を「誰が・誰の命令で・いつ作ったのか」という基本から、撰者4人の人物像、内容や歌風、代表的な和歌まで、わかりやすく解説していきます。
古今和歌集とは?
- 誰の命令で? 醍醐天皇の命令で作られた、日本で最初の勅撰和歌集
- 誰が作った? 紀貫之ら4人の撰者がまとめた
- いつ? 905年(延喜5年)成立。全20巻・約1100首を収録
古今和歌集は、905年(延喜5年)に醍醐天皇の命令で編纂された、日本で最初の勅撰和歌集です。
「古今」という名前は、「古(昔)」の歌から「今」の歌までを集めた、という意味から付けられました。古い時代から当時までの優れた和歌を一冊にまとめた、いわば「和歌のベストアルバム」です。
収録された和歌は全部で約1100首。これらを春・夏・秋・冬などのテーマごとに分けて、全20巻にまとめています。編纂を担当したのは紀貫之をはじめとする4人の撰者でした。
古今和歌集が作られた当時、朝廷では漢詩(中国風の詩)が公式の場で重んじられ、和歌は私的な遊びと見なされていました。そんな中、天皇が公式に和歌集の編纂を命じたことは、和歌が国家公認の文化として復権する大きな出来事だったのです。

「勅撰和歌集」ってどういう意味? なんか難しそうな言葉だよ……。

「勅撰」っていうのは「天皇の命令で作った」という意味だよ。つまり勅撰和歌集は「天皇公認の和歌集」ってイメージ! その記念すべき第1号が古今和歌集なんだ。
古今和歌集はこの後に続く八代集(平安〜鎌倉時代に作られた8つの勅撰和歌集)の筆頭であり、約300年後に作られた新古今和歌集とともに「和歌の二大歌集」として並び称されています。また、この成立は国風文化が花開いていく流れの中で、かな文字による文学の出発点ともなりました。
誰がまとめた?撰者4人を紹介
古今和歌集をまとめたのは、醍醐天皇の命を受けた4人の撰者です。中心人物は紀貫之で、ほかに紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑の3人が加わりました。
この4人は、いずれも当時の朝廷では官位の低い下級役人でした。それでも撰者に選ばれたのは、ひとえに和歌の腕前が抜きん出ていたからです。家柄ではなく実力で大役を任された、当時としては異例の人選でした。
■紀貫之(主撰者)

紀貫之(生年諸説あり・866年頃または872年頃〜945年頃)は、古今和歌集の中心となった主撰者です。みずから多くの和歌を詠むだけでなく、後で紹介する仮名序(かなで書かれた序文)の作者でもあり、編纂全体をまとめる役割を担いました。
下級役人の家に生まれましたが、和歌の才能で世に知られ、後に土佐(現在の高知県)の国司を務めました。その任期を終えて都へ帰る旅をかな文字でつづった『土佐日記』は、日本の仮名日記文学の先駆けとして有名です。
土佐日記には、衝撃的な書き出しがあります。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」(男がすると聞く日記というものを、女の私も書いてみようとするのだ)——つまり、男である紀貫之があえて女性のふりをして書いたのです。当時、日記は漢文で男が書くものとされていました。和歌を守り、仮名文字の価値を世に広めようとした貫之ならではの、大胆な挑戦でした。

和歌とは、人の心を種として生まれる言葉。身分は低くても、心を込めた歌でなら天皇のお目にも留まる——それを証明できたことが、私の誇りなんだよ。
■紀友則
紀友則(生年不詳〜907年頃)は、紀貫之のいとこにあたる人物で、撰者の中では最年長でした。撰集作業の初期を引っ張る存在でしたが、古今和歌集の完成を見ることなく亡くなってしまいます。完成した歌集を見ることができなかったことは、同僚たちにとっても大きな悲しみだったと伝わっています。
百人一首にも採られた「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」は、彼の代表作として今も親しまれています。のどかな春の日に、なぜ桜だけは落ち着きなく散ってしまうのか——という、静と動を対比させた繊細な一首です。
■凡河内躬恒
凡河内躬恒(生没年不詳)は、紀貫之に次いで古今和歌集に多くの和歌が採られた歌人です。地方官を歴任した下級役人でしたが、宮中の歌合(和歌の優劣を競う会)でも活躍し、当代きっての名手として知られました。
「心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花」は、白い初霜と白菊が見分けられないほど美しい、という機知に富んだ代表歌です。
■壬生忠岑
壬生忠岑(生没年不詳)も、4人の中でとくに官位の低い下級役人でした。それでも歌人としての評価は高く、和歌の理論にも通じた人物として知られています。
百人一首にも入る「有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし」は、明け方の別れのつらさを詠んだ恋の名歌として有名です。

4人とも官位が低い下級役人だったって聞いたけど、本当なの? 天皇のお仕事なのに意外ね。

そうなんだよ! 4人は朝廷の中ではかなり下の身分だったんだ。今でいえば「ヒラ社員が社長直々に超重要プロジェクトを任された」みたいな話だね。それだけ和歌の実力が認められていたってことなんだ!
仮名序・真名序とは?
古今和歌集には、本文の和歌とは別に、巻頭と巻末に2種類の序文が付けられています。それが仮名序と真名序です。
序文とは、本の最初に置かれる「まえがき」のこと。古今和歌集では、和歌とは何か、なぜこの歌集を作ったのかといった編者の考えが、この序文に記されています。とくに仮名序は、日本最古の本格的な和歌論として、文学史的にも非常に重要です。
📝 仮名序と真名序の違い
・仮名序:紀貫之が仮名(ひらがな)で書いた和歌論。「やまとうたは、人の心を種として…」の有名な冒頭で始まる
・真名序:紀淑望が漢文(真名=漢字)で書いた序文。中国の詩集にならった格式ある形式

「真名」とは漢字のこと、「仮名」とはひらがなのことです。つまり真名序=漢字(漢文)の序文、仮名序=ひらがなの序文と覚えると整理しやすいでしょう。当時、漢文は公式の格式ある文章、かなは新しく広まりつつある日本独自の文字でした。両方の序文を備えることで、格式と新しさの両立をねらったとされています。
とくに有名なのが紀貫之の仮名序です。その冒頭は「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける(和歌は、人の心を種として、さまざまな言葉となったものである)」という一文で始まります。和歌は人の心から自然に生まれるものだ、という貫之の考えがこめられた名文です。

「仮名序を書いたのは紀貫之」「やまとうたは…の出典は古今和歌集の仮名序」——この2つはセットで知っておこう! 和歌論の歴史の出発点だから、知っているとグッと深みが増すよ。
内容・部立て(ジャンル)
古今和歌集は全20巻からなり、約1100首の和歌が収められています。これらの和歌は、テーマごとに分類されて並べられています。この分類のことを部立てといいます。
部立てとは、いわば歌の「ジャンル分け」です。春・夏・秋・冬の四季の歌、恋の歌、お祝いの歌など、内容ごとに巻を分けて整理することで、読者が目的の歌を探しやすくなっています。この四季と恋を中心とする分類のしかたは、後の勅撰和歌集の手本となりました。
注目したいのは、四季の歌と恋の歌が全体の大きな割合を占めていることです。とくに恋歌は巻11から巻15まで5巻にわたって置かれ、出会いから別れまでの恋の移ろいが時間の流れに沿って並べられています。これは単なる歌の寄せ集めではなく、全体でひとつの物語を読むように構成されているのです。
季節の歌が多いのは、四季の移ろいに心を寄せる日本人の美意識を反映したものとされます。こうした「自然と感情を重ねて詠む」スタイルは、古今和歌集が確立し、後の和歌の伝統として長く受け継がれていきました。
古今和歌集の歌風・特徴
古今和歌集の歌風は、ひとことで言うとたをやめぶりと表現されます。これは「女性的でやさしく、優美で繊細な作風」を意味する言葉です。
これと対照的なのが、約150年前に成立した万葉集の歌風です。万葉集は「ますらをぶり」と呼ばれ、素朴で力強く、感情をストレートに詠むのが特徴でした。これに対して古今和歌集は、感情を直接ぶつけるのではなく、技巧をこらして上品に表現するスタイルへと変化したのです。
その技巧を代表するのが、掛詞や縁語といった言葉のテクニックです。これらを使うことで、わずか31音の和歌に二重三重の意味を持たせ、奥行きのある表現を生み出しました。
📝 覚えておきたい和歌の技巧
・掛詞:1つの言葉に2つの意味を持たせる技法。例「まつ」=「松」と「待つ」
・縁語:意味のうえで関連の深い言葉をちりばめて、歌に統一感を出す技法

掛詞って何? 古文でよく出るって聞くけど、いまいちピンとこなくて……。

掛詞は「1つの言葉に2つの意味をこめる」技術だよ。たとえば「まつ」に「松」と「待つ」をかける、みたいな感じ。ダジャレに近い言葉遊びだけど、これで歌の意味がグッと深くなるんだ!
こうした技巧的な歌風は、後の時代に「言葉遊びに走りすぎている」と批判されることもありました。とくに明治時代の歌人・正岡子規は古今和歌集を厳しく批判したことで知られます。その評価をめぐる話は、後の章でくわしく取り上げます。
代表的な和歌を読む
ここでは、古今和歌集に収められた代表的な和歌を、季節と恋のテーマごとに紹介します。技巧をこらした優美な歌風を、実際の作品で味わってみましょう。
🌸 春:久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
── 紀友則
こんなにのどかな春の日なのに、どうして桜の花は落ち着いた心もなく散ってしまうのだろう。静かな春と、散り急ぐ桜の対比が美しい一首。
🌿 夏:夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ
── 清原深養父
夏の夜は短く、まだ宵のうちと思っていたらもう明けてしまった。沈む間もなかった月は、雲のどのあたりに宿っているのだろう、と詠んだ機知に富む歌。
🍂 秋:奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき
── 詠み人知らず
奥深い山で、散った紅葉を踏み分けながら鳴く鹿。その声を聞くときこそ、秋のもの悲しさを強く感じる、という名歌。百人一首にも採られている。
❄️ 冬:山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も 枯れぬと思へば
── 源宗于
山里の冬はいっそう寂しく感じられる。人の訪れも途絶え、草木も枯れ果ててしまうと思うと。「かれ(離れ・枯れ)」の掛詞を使った技巧的な冬の名歌。百人一首28番にも採られている。
💘 恋:思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
── 小野小町
あの人を思いながら眠ったから、夢に現れたのだろうか。夢と知っていたら、目を覚まさなかったのに——。古今和歌集を代表する恋の名歌。

和歌は、まず声に出して五・七・五・七・七のリズムを味わうのがおすすめだよ。意味がわからなくても、音の流れの美しさだけで「いいな」と感じられるはず。そこから現代語訳を読むと、グッと心に響くよ!
古今和歌集と新古今和歌集の違い
古今和歌集とよく比較されるのが、約300年後に成立した新古今和歌集です。どちらも天皇・上皇の命で編まれた勅撰和歌集ですが、成立した時代も歌風も大きく異なります。ここで両者の違いを整理しておきましょう。
📊 古今和歌集 vs 新古今和歌集
・成立:古今=905年(平安前期)/新古今=1205年(鎌倉初期)
・命じた人:古今=醍醐天皇/新古今=後鳥羽上皇
・主撰者:古今=紀貫之/新古今=藤原定家ら
・歌風:古今=たをやめぶり(優美・繊細)/新古今=幽玄・妖艶(余情を重んじる)
・収録数:古今=約1100首/新古今=約1980首

大きな違いは「歌風」にあります。古今和歌集が言葉の意味をはっきり伝えながら技巧をこらすのに対し、新古今和歌集は言葉に表れない余情(言外の味わい)を重んじる「幽玄」の美を追い求めました。同じ勅撰和歌集でも、300年の時を経て美意識そのものが変化していったのです。
ところで、技巧的な古今和歌集の歌風は、後の時代にすべての人から称賛されたわけではありません。実は、明治時代に入ると古今和歌集は痛烈な批判を浴びることになります。批判したのは、俳句や短歌の革新で知られる歌人・正岡子規でした。
子規は1898年に発表した『歌よみに与ふる書』のなかで、「古今集はくだらぬ集」と言い切り、技巧に走りすぎて感動が薄いと厳しく批判しました。当時、古今和歌集は和歌の絶対的な手本とされていたため、この発言は大きな衝撃を与えたとされています。

正岡子規が古今和歌集をボロクソに批判したって本当なの? あんなに有名な歌集なのに、意外ね。

本当だよ! 子規は「技巧に走りすぎて感情がこもっていない」と批判したんだ。でもこれは、子規が万葉集のような素朴で力強い歌を理想としていたからこその評価でもあるんだよ。今では古今和歌集は、和歌の歴史を変えた大きな転換点として高く評価されているんだ!
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よくある質問
古今和歌集とは、905年(延喜5年)に醍醐天皇の命で編まれた、日本最初の勅撰和歌集(天皇の命令で作られた和歌集)です。全20巻に約1100首の和歌を収録し、優美で技巧的な歌風が特徴とされています。
撰者は紀貫之・紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑の4名です。中心となった主撰者は紀貫之で、有名な仮名序も書きました。4人はいずれも官位の低い下級役人でしたが、和歌の実力を認められて選ばれました。
醍醐天皇です。905年(延喜5年)、醍醐天皇が紀貫之ら4人に編纂を命じました。漢詩が全盛だった時代に、和歌を国家の公式な文化として認める意味合いがあったとされています。
万葉集(奈良時代)は「ますらをぶり」と呼ばれる素朴で力強い歌風が特徴で、天皇から庶民まで幅広い人々の歌を集めています。一方の古今和歌集(平安前期)は「たをやめぶり」と呼ばれる優美で技巧的な歌風で、掛詞や縁語などの言葉のテクニックを多用しているのが大きな違いです。
古今和歌集は905年(平安前期)に醍醐天皇の命で編まれ、紀貫之が主撰者で、優美・技巧的な「たをやめぶり」の歌風です。新古今和歌集は1205年(鎌倉初期)に後鳥羽上皇の命で編まれ、藤原定家らが撰者で、余情を重んじる「幽玄・妖艶」の歌風が特徴です。
仮名序とは、紀貫之が仮名(ひらがな)で書いた古今和歌集の序文です。「やまとうたは、人の心を種として…」という有名な一文で始まり、和歌とは何かを論じた日本最古の本格的な和歌論として知られています。漢文で書かれたもう一つの序文「真名序」と対をなしています。
まとめ
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905年古今和歌集が完成・醍醐天皇に献上される(延喜5年)
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935年頃紀貫之『土佐日記』を著す。仮名文学がさらに発展
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945年頃紀貫之、没する(生年諸説あり・享年70代〜80代とされる)
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11世紀源氏物語・枕草子など平安女流文学が黄金期を迎える
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1205年新古今和歌集が完成(後鳥羽上皇の命・藤原定家ら撰)
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1898年正岡子規が『歌よみに与ふる書』で古今和歌集を批判

以上、古今和歌集のまとめでした! 下の記事で新古今和歌集や万葉集、平安の文学についてもあわせて読んでみてください。和歌の世界がもっと立体的に見えてくるよ!

📅 最終確認:2026年6月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)
Wikipedia日本語版「古今和歌集」(2026年6月確認)
コトバンク「古今和歌集」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』
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