最澄「俺、天台宗マスターになるわ」【最澄と空海をわかりやすく】1/4

saityo

【最澄】

前回までは、平安時代の政治の話でしたが、今回は平安時代の話をするなら外せない2人の偉人、最澄空海のお話をしようと思います。

最澄と空海、名前は知っている人は多いと思いますが一体何をしたのか?知っていますか?

教科書的に言えば、これら2人は「密教を日本に伝えた」ことが有名ですが、密教って何か知っていますか?なぜ伝えられたのか知っていますか?

それらについて説明していきます。

当時の仏教事情 -仏教を刷新せよ-

まずは、最澄と空海が活躍した時代の仏教事情を見ていきます。

年代でいうとおおむね800年~830年。天皇でいえばおおむね桓武天皇~嵯峨天皇の時代です。

当時の仏教は大きな問題を抱えていました。まだ都が平城京だった称徳天皇と道教の時代、仏教が政治に深く介入しすぎたため、国が乱れてしまったのです。

(詳しくは、仏と神はどっちが上?道鏡「天皇になりたい」称徳「だが断る」をどうぞ)

桓武天皇は、再び道鏡のような人物を生み出さないため、政教分離を実施することを決意します。聖武天皇から続く仏教とずぶずぶ関係だった政治が刷新されたわけです。

そのため、平安京遷都の際も、平城京の寺院の平安京への移転を拒否。僧たちは、奈良の平城京に取り残される形となり、平城京は仏教都市とも言える様相を呈してきました。(平城京地域では、戦国時代までの長い間、ずーーっと仏教勢力が強い力を持ち続けることになります。)

桓武の悩み -しかし仏教は必要だ-

一方、信仰としての仏教、鎮護国家(国を守る)としての仏教は、平安京においても必要です。

※仏教の力で国を守ろうとする考え方は奈良時代の聖武天皇の時代からあります。

しかし、平城京の旧仏教勢力は、政治に介入してくる恐れがあるので平安京に持ち込みたくはない。

そこで、桓武天皇は政教分離の下、鎮護国家のため、平城京の旧勢力に劣らない優秀な僧の育成を考えます。

ちなみに「鎮護国家のための優秀な僧」とは、読経などによる呪術の効果が強い者を言います。

例えば、さっきから名前が登場する道鏡は、称徳天皇が病に倒れた際、仏法を用いて看護・治療をし、あっという間に病気を治したことから、称徳天皇に寵愛されるようになったのでした。

仏法で病を治すとか国を護るとか、こんな感じの能力が仏教には求められていたわけです。現代人から見るとずいぶんとオカルトチック!

桓武「最澄よ、唐へ行って仏教パワーを強めてこい!」

桓武天皇が「旧勢力に侵されていない優秀な僧が欲しい!」と考えていた時に桓武天皇の前に現れたのが最澄(さいちょう)でした。

最澄と桓武天皇が出会うまでの流れを簡単に説明します。

最澄と桓武天皇

最澄は、785年、当時19歳、東大寺で受戒。

※受戒とは、僧としてのルールを守る制約のようなもの。僧の規律を保つためとても重要なものでした。鑑真が日本に伝えました!

(詳しくは、誰でもわかる鑑真来日の感動物語【なぜ日本に戒律を伝えたのか】をどうぞ)

そして同年、悟りの境地に至るために、比叡山へ登り山林修行を始めます。

修行はなんと12年にも及びました。そして12年後の797年、最澄は仏教の刷新を考えていた桓武天皇に見いだされて、天皇に近侍する内供奉(ないぐぶ)という役に任じられ新しい人生を歩み始めるのです。

この時、最澄は31歳です。

最澄「天台宗マスターに俺はなる!」

最澄は、天台宗を信仰していましたが、もっと天台宗を極めるには、日本は人も文献も何もかも不足している・・・。日本にいるだけじゃ天台宗は極められない!!

となれば、本場の唐へ留学するしかない!!!

最澄は、桓武天皇に唐へ留学したいとお願いします。

仏教の刷新を考えている桓武天皇は、もちろんこれを認めます。そして、804年、遣唐使の派遣に合わせて最澄も唐へと旅立ちます。

最澄が38歳の年でした。

実は、この時、あの有名な空海も最澄と一緒に唐へ旅立ちます。空海は、この頃、まだ見習い僧程度の身分であり、桓武天皇に近侍する最澄とは月とスッポンぐらい身分の差がありました。

留学期間は、1年で805年には帰国します。桓武天皇としては、「早く唐の最新仏教を日本に持ち込んでくれ!」と思っているわけで、最澄にはなるべく早く帰国してほしかったようです。

一方、空海は804年の次の遣唐使の派遣までゆっくり留学してよいという条件で唐へ向かいます。(最澄と違って、即戦力にはなり得ないと思われていたというわけ)

ここでいう「次の遣唐使」とは、この時代おおむね20年後を言いました。しかし、空海は、たった2年間しか唐に滞在せず、806年にはもう日本に帰国しています。

最澄と空海は、唐で一体何を学んだのか。

仏教に想いを馳せて唐に学んだ最澄と空海。この後の2人の人生は、まるでフィクション小説のような波乱の歩みとなっていきます。

というわけで、しばらくの間、最澄と空海の人生の歩みについて書いていこうと思います。

この2人の話、面白いのですが、仏教の話なので専門用語とか思想が多く実は非常にわかりにくい。そこらへんもわかりやすいよう書いていければいいなぁと思います。

次回は、天台宗と真言宗の話をします。

次:天台宗?真言宗?密教?超丁寧に教えます!【空海と最澄をわかりやすく】2/4

前:承和の変(じょうわのへん)とは?超わかりやすく解説【恒貞親王と藤原良房】2/2

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