今回は、1971年12月に結ばれたスミソニアン協定についてわかりやすく丁寧に解説していきます。
スミソニアン協定とは?
1971年8月にアメリカが金本位制の一時停止を発表したことを受けて、「一時中止した後、どうやって金本位制を再開するか?」について話し合われたのがスミソニアン協定です。
アメリカのスミソニアン博物館で協定が結ばれたため、この時に結ばれた協定のことをスミソニアン協定と呼びます。
まずは、スミソニアン協定が結ばれるまでの時代の流れを簡単におさらいしておきます。
- 1944年
世界恐慌、第二次世界大戦で中断していた金本位制の復活が決定。
アメリカが大量の金を持つ勝ち組だったので、アメリカの金によって世界の通貨価値を担保する新しい金本位制がスタートしました。
各国は、自国通貨→ドル→金と、ドルを仲介することで通貨を金と交換することができました。
- 1960年代アメリカの金が足りなくなる
戦後復興を遂げた日本・ヨーロッパの商品がアメリカへ輸入され、アメリカの金が流出するようになる。
これに、アメリカのベトナム戦争への介入が追い討ちをかけ、戦費の支出により、アメリカの金が大量に流出することに。
アメリカ経済は苦境に立たされることになります。
- 1971年8月
アメリカ大統領のニクソンがドルと金の交換(金本位制)を一時中止することを発表。
突然のアメリカの発表に世界中が大ショックを受ける・・・!
- 1971年12月スミソニアン協定←この記事はココ
- 1973年以降金本位制崩壊・変動為替相場制の始まり
事の発端はニクソン=ショック
世界経済発展によるアメリカの輸入量の増加、そしてベトナム戦争の軍事費によって、アメリカの金が世界各国に流出すると、ブレトン=ウッズ会議で決められた「大国アメリカの金によって、世界の通貨価値を支える」という仕組みに限界が見られるようになりました。
1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領は、ついに公式に「現状のまま金本位制を維持するのは不可能!」という発表を行います。これがニクソン=ショックです。
ニクソン大統領の発表内容は、おおむね以下のような内容でした。
簡単にまとめると、「金本位制は一時中止だよ。輸入が増えたらアメリカの金が減るから、輸入が増えないよう税率上げるよ。対策を考えるから90日間だけ待ってよね」ってことです。
ちなみに、この90日の猶予の中で考え出された結論を、公式に決定したのが1971年12月に結ばれたスミソニアン協定となります。
ニクソン大統領は90日間の間に、紆余曲折を経て、最終的にドルの価値を切り下げる方針を決定します。
スミソニアン協定が決まるまでの経過
アメリカの突然の発表は、世界に大ショックを与えました。
これまで「世界の通貨制度を俺が支えるから任せとけ!」と言っていたアメリカが突然「ごめん!やっぱ支えるの無理だったww90日後になんとかするからそれまで各自がんばっ!!」と梯子を外してきのですから、当然です。
変動相場制は為替レートが安定せず、経済計画を立てることが難しいため、世界各国から早く固定相場制に戻す声が高まります。
1971年9月、ロンドンで今後の対策について会議が開かれました。
ここでアメリカは、こんな趣旨の意見を述べます。
アメリカから金が流出したのは、いろんな国がアメリカに商品をたっぷり輸出して儲かったからだよね?
なら、各国の通貨を切り上げて(輸出に不利な交換レートにして)輸出量を減らせば解決だね!
このアメリカの意見には各国から反対の声が大きく挙がります。
輸出で儲けられなくなるのはもちろん、通貨切り上げが行われると各国が保有している金の価値が目減りしてしまうためです。
こうして、アメリカが「各国が自国の通貨を切り上げるべき」と主張するのに対し、各国は「いやいや、アメリカがドル通貨を金に対して切り下げるべき」と主張し、主要国の意見が真っ向から対立してしまいます。
その後もワシントン・ローマと会議が続き、アメリカVS主要国の熾烈な外交戦が行われた結果、1971年12月、アメリカのスミソニアン博物館で開かれた会議でようやく方針がまとまりました。
スミソニアン協定の内容
スミソニアン協定の具体的な内容は大きく以下の3点です。
1はアメリカの要求で、2は主要国の要求です。両者の意見をバランスよく取り入れた感じですね。
3は、1・2で決めた内容を安定継続させるための内容です。
それぞれ、詳しく解説していきます。
金1オンス35ドルから38ドルへの変更
これはすでにお話しした金に対するドルの通貨切り下げです。
これにより、同じ金の保有量でも価値を担保できる通貨の量が超単純計算で38/35倍(約1.08倍)増えたことになります。
米ドルと各国通貨との交換比率の調整
アメリカが各国に要求していた通貨切り上げが採用されました。
この通貨切り上げにより日本円は、
1ドル=360円から1ドル=308円の為替レートへと変更になりました。通貨の切り上げ率は、(360-308)/308≒16.8%です。
他の主要国の切り上げ率を見ていくと、こんな感じでした。
日本の切り上げ率が特に大きくなっています。これは、ロンドン・ワシントン・ローマなどで行われた交渉に日本が蚊帳の外だったためです。
ドルに対する通貨切り上げをすることで、アメリカの金の流出を食い止めることができます。
為替の変動幅緩和
ブレトン=ウッズ体制では、固定相場制を維持する為、為替レートは変動しても±1%以内を維持する事が求められていました。
それが±2.25%以内に緩和されました。この緩和によって各国で柔軟な通貨政策が可能となります。
まとめると、「価値を保証できる通貨の量を増やし(1番)、アメリカの金流出を防ぎ(2番)、為替レートに柔軟性を持たせた(3番)」という感じになります。
スミソニアン協定の崩壊
スミソニアン協定で決められた内容は、長く続くことはなく、1973年3月には破綻してしまいます。
読んでいて気付いた方もいるかもしれませんが、スミソニアン協定の内容は、対処療法にしか過ぎません。
1971年当時の状況よりもますます世界経済が発展すれば、世界全体の通貨量は増えますし、再びアメリカへの輸出も増えるかもしれません。そうすると、また金不足問題が起こりニクソン=ショックと似たようなことが繰り返されてしまうわけです。
おまけに、アメリカがニクソン=ショックによって突然金本位制を停止した行為は、アメリカの信用を深く傷つけました。
特にヨーロッパ主要国ではアメリカへの不信感が残り、1972年にはイギリスが金本位制の廃止を決定。
イギリスが金本位制廃止を発表すると、ヨーロッパの他の国も次々と金本位制を廃止。1973年3月のドイツによる金本位制廃止をもって、スミソニアン協定を結んでいた国の全てが金本位制を廃止してしまいました。(日本も1972年に廃止しました)
変動為替相場制へ
結局、スミソニアン協定は金本位制の延命治療にしかなりませんでした。(しかもわずか2年しか延命できなかった・・・!)
金本位制が廃止された後、世界各国では為替レートを通貨の需要・供給の経済原理で決める変動為替相場制が採用され始めます。(日本も含め、現在進行形で多くの国で採用されています)
スミソニアン協定崩壊の背景には、「世界経済の成長に金の総量が追いつかない」という根本的な問題があります。
その点、変動為替相場制では、金の保有量に縛られずに通貨量を増やすことができます。新興国への投資など、金の量に縛られない政策も可能となり、国際的な取引は活発化しました。
その代償として、変動為替相場制では為替レートが不安定になりやすいです。そこで各国は自国通貨の為替レートを安定維持するため、様々な金融政策(金利・マネーサプライの調整など)を行っています。
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