面白ほどわかるスミソニアン協定!簡単にわかりやすく解説する【協定の目的や経過をバッチリ理解できます】

この記事の目次 9項目はじめに
  1. スミソニアン協定とは?
  2. 事の発端はニクソン=ショック
  3. スミソニアン協定が決まるまでの経過
  4. スミソニアン協定の内容
    1. 金1トロイオンス35ドルから38ドルへの変更
    2. 米ドルと各国通貨との交換比率の調整
    3. 為替の変動幅緩和
  5. スミソニアン協定の崩壊
  6. 変動為替相場制へ

今回は、1971年12月に結ばれたスミソニアン協定についてわかりやすく丁寧に解説していきます。

この記事を読んでわかること
  • スミソニアン協定って何?
  • スミソニアン協定の内容は?
  • スミソニアン協定はなぜ結ばれたの?
  • 結ばれたスミソニアン協定はその後どうなったの?
スポンサーリンク

スミソニアン協定とは?

1971年8月にアメリカが金本位制の基礎となっていたドルと金の交換停止を発表したことを受けて、主要国が為替レートを調整し、固定相場制の立て直しを目指したのがスミソニアン協定です。この協定でドルと金の交換が再開されたわけではありません。

アメリカのスミソニアン博物館で協定が結ばれたため、この時に結ばれた協定のことをスミソニアン協定と呼びます。

まずは、スミソニアン協定が結ばれるまでの時代の流れを簡単におさらいしておきます。

スミソニアン協定が結ばれるまで
スポンサーリンク

事の発端はニクソン=ショック

アメリカの軍事支出や対外投資などを通じて海外にドルが蓄積する一方、アメリカの金準備には限りがありました。ドルを公定価格で金に交換し続けられるのかという不安が広がり、ブレトン=ウッズ体制を支える金とドルの結びつきが揺らいでいきました。

1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領は、外国の通貨当局に対するドルと金の交換停止などを発表します。これがニクソン=ショックです。

ニクソン大統領の発表内容は、おおむね以下のような内容でした。

  • 外国の通貨当局に対するドルと金の交換を停止。これを受けて固定相場の維持が難しくなり、主要国は暫定的な変動相場などで対応した。
  • 10%の輸入課徴金を導入
  • 90日間の賃金・物価凍結

簡単にまとめると、「ドルと金の交換を止めるよ。輸入には追加の関税をかけ、国内の賃金と物価は90日間凍結するよ」ってことです。

その後の交渉を経て、1971年12月に新しい固定相場の枠組みとして結ばれたのがスミソニアン協定です。90日間というのは賃金・物価凍結の期間で、金兌換再開の期限ではありません。

アメリカはその後の各国との交渉で、最終的に金に対するドルの公定価格も変更することを受け入れました。

ドルの切り下げとは?

1971年8月の交換停止前の公定価格は、金1トロイオンス(約31.1g)=35ドルでした。金の取引に用いる1トロイオンスは、正確には31.1034768gです。

説明用に、仮にこれを金1トロイオンス=70ドルに変えるとします。これは金に対するドルの切り下げです。実際のスミソニアン協定で合意した価格は70ドルではなく38ドルでした。

この場合、同じ金1トロイオンスに対応する公定価格が35ドル→70ドルの2倍になるので、1ドルに対応する金の量は半分になる、という意味です。

また、ただし、この仮定は公定価格の変更を説明するためのものです。金の保有量や実際の通貨発行量が、自動的に2倍になるという話ではありません。

スミソニアン協定は、こうした公定価格や為替レートの変更によって固定相場制を立て直そうとしたものです。金とドルの交換停止は続きました。

スポンサーリンク

スミソニアン協定が決まるまでの経過

アメリカの突然の発表は、世界に大ショックを与えました。

それまでドルと金の交換を支えていたアメリカが、一方的に交換停止を打ち出したのですから、各国が衝撃を受けたのも当然です。

変動相場制は為替レートが安定せず、経済計画を立てることが難しいため、世界各国から早く固定相場制に戻す声が高まります。

1971年9月、ロンドンで今後の対策について会議が開かれました。

ここでアメリカは、こんな趣旨の意見を述べます。

アメリカ
アメリカ

アメリカから金が流出したのは、いろんな国がアメリカに商品をたっぷり輸出して儲かったからだよね?

なら、各国の通貨を切り上げて(輸出に不利な交換レートにして)輸出量を減らせば解決だね!

通貨の切り上げとは?

通貨切り下げと逆のパターンです。

当時、日本円とドルの交換レートは1ドル=360円でした。

これを、例えば1ドル=180円にするね!っていうのが通貨の切り上げです。1ドルを以前の半分の値段で交換できるようになったので、円の価値が上がったことを意味します。

この仮定で、ドル建ての販売価格などが変わらなければ、同じ1ドルの商品を輸出したときの円換算の売上は半分になります。利益がそのまま半分になるという意味ではありません。

儲けを維持するには、販売価格を2倍にする必要がありますが、価格を高くするとアメリカで売れなくなるので、通貨の切り上げは輸出する日本にとっては不利となります。

このアメリカの意見には各国から反対の声が大きく挙がります。

通貨の切り上げは、輸出企業の円換算などの売上や、保有する外貨・金の自国通貨建て評価額に影響するためです。ただし、金の国際市場価格まで一律に下がるわけではありません。

「通貨切り上げ」=「金の価値目減り」となる理由

日本の場合を考えます。

当時のドルと円の交換レート 1ドル=360円

交換停止前の金の公定価格 金1トロイオンス=35ドル(以下はこの公定価格を変えないと仮定した換算例)

この公定価格と為替レートで、持っている金を単純に円換算すると、

金1トロイオンス=35ドル=360円×35=12、600円

という円換算の評価額になります。

これが例えば、1ドル=180円に円の通貨を切り上げると・・・

金1トロイオンス=35ドル=180円×35=6、300円

となり、この仮定での円換算評価額は半分です。金の国際市場価格をそのまま表す計算ではありません。

このように通貨の切り上げには国内の企業や保有資産への影響があるため、各国の利害調整は簡単ではありませんでした。

こうして、アメリカが「各国が自国の通貨を切り上げるべき」と主張するのに対し、各国は「いやいや、アメリカがドル通貨を金に対して切り下げるべき」と主張し、主要国の意見が真っ向から対立してしまいます。

その後もワシントン・ローマと会議が続き、アメリカVS主要国の熾烈な外交戦が行われた結果、1971年12月、アメリカのスミソニアン博物館で開かれた会議でようやく方針がまとまりました。

スミソニアン協定の内容

スミソニアン協定の具体的な内容は大きく以下の3点です。

スミソニアン協定の主な内容
  • 1 金1トロイオンス35ドルから38ドルへの変更(金に対するドル通貨の切り下げ)
  • 2 米ドルと各国通貨との交換比率の調整(ドルに対する各国通貨の切り上げ)
  • 3 為替変動幅の緩和

アメリカが求めた各国通貨の切り上げを各国が受け入れる一方、アメリカも金に対するドルの公定価格変更を受け入れた妥協でした。

3は、1・2で決めた内容を安定継続させるための内容です。

それぞれ、詳しく解説していきます。

金1トロイオンス35ドルから38ドルへの変更

これはすでにお話しした金に対するドルの通貨切り下げです。

金1トロイオンスに対応する公定価格を35ドルから38ドルへ変更する合意です。これは金に対するドルの切り下げですが、停止されていたドルと金の交換を再開する合意ではありません。

米ドルと各国通貨との交換比率の調整

アメリカが各国に要求していた通貨切り上げが採用されました。

この通貨切り上げにより日本円は、

1ドル=360円から1ドル=308円の為替レートへと変更になりました。通貨の切り上げ率は、(360-308)/308≒16.9%です。

他の主要国の切り上げ率を見ていくと、こんな感じでした。

  • 西ドイツ:13.5%
  • フランス・イギリス:8.57%
  • イタリア:7.48%

日本の切り上げ率が特に大きくなっています。これは、ロンドン・ワシントン・ローマなどで行われた交渉に日本が蚊帳の外だったためです。

ドルに対して各国通貨を切り上げることで、アメリカの輸出競争力を高め、国際収支の不均衡を調整しようとしました。金の交換停止はすでに続いており、金兌換の再開とは別の話です。

為替の変動幅緩和

ブレトン=ウッズ体制では、固定相場制を維持する為、為替レートは変動しても±1%以内を維持する事が求められていました。

それが±2.25%以内に緩和されました。この緩和によって各国で柔軟な通貨政策が可能となります。

まとめると、「金に対するドルの公定価格を変更し(1番)、各国通貨との為替レートを調整し(2番)、為替レートの変動幅を広げた(3番)」という感じになります。

スミソニアン協定の崩壊

スミソニアン協定で決められた内容は、長く続くことはなく、1973年3月には破綻してしまいます。

読んでいて気付いた方もいるかもしれませんが、スミソニアン協定の内容は、対処療法にしか過ぎません。

新しい固定相場に調整しても、アメリカの物価上昇や国際収支の問題、ドルへの不信は解消しませんでした。ドルを売って他の通貨を買う動きが続き、各国の通貨当局が介入しても、決められた為替レートを維持することが難しくなりました。

おまけに、アメリカがニクソン=ショックによって突然金本位制を停止した行為は、アメリカの信用を深く傷つけました。

1972年6月、イギリスはポンドの固定相場維持をやめ、変動相場へ移りました。これは金本位制を新たに廃止したという出来事ではありません。

日本は1973年2月に変動相場制へ移行しました。同年3月には、西ドイツなどヨーロッパの主要国も対ドルでの固定相場を離れ、スミソニアン体制は崩れました。ヨーロッパの一部では域内の為替関係を保ちながら、ドルに対して共同で変動する方式が採られました。

変動為替相場制へ

結局、スミソニアン協定は固定相場制の立て直しを目指したものの、1971年12月の合意から1973年3月まで、約1年3か月で維持できなくなりました。金とドルの交換は、その間も再開されていません。

固定相場制の崩壊後、主要国では為替レートを通貨の需要・供給によって変動させる変動為替相場制が採用され始めます。(日本も含め、現在進行形で多くの国で採用されています)

ブレトン=ウッズ体制には、世界に供給されるドルと、交換を支えるアメリカの金準備との不均衡がありました。金兌換停止後のスミソニアン体制も、ドルへの信頼を十分に回復できず、固定相場を支えきれませんでした。

ドルと金の交換停止と、主要通貨の変動相場制への移行は、別の段階の変化です。変動相場制では、各国が通貨を金やドルの一定価格に交換する約束とは切り離して、為替レートが変動するようになりました。

その代償として、変動為替相場制では為替レートが不安定になりやすいです。そこで各国は自国通貨の為替レートを安定維持するため、様々な金融政策(金利・マネーサプライの調整など)を行っています。

Amazonのアソシエイトとして、まなれきドットコムは適格販売により収入を得ています。

スポンサーリンク
この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

もぐたろうをフォローする
経済