冠位十二階を定めた理由・目的・意味とは?わかりやすく解説【聖徳太子の活躍?】

以下の記事で冠位十二階制は、「蘇我馬子を牽制しながら天皇主導の国を造り上げるために、十七条の憲法の制定と冠位十二階制の導入が行われた」という話をしました。

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今回は、そんな冠位十二階制度の内容や定めた理由について紹介しようと思います。

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冠位十二階制度を定めた理由・目的

冠位十二階制は、冠の色に応じて朝廷内で12の位を定める制度です。隋や朝鮮半島の制度を参考に604年に作られました。

では、朝廷内で冠位を定めることにどのような政治的意味があったのでしょうか?

天皇主権と氏姓制度

話はちょっと複雑で、当時の朝廷ではどのような人事が行われていたのかを知る必要があります。

実は当時の日本の政治では、朝廷の要職に関して天皇は人事権をほとんど持っていませんでした。天皇が影響力を持てるのは「どの一族を重用するか?」という点に限られます。天皇はそれぞれの一族を区別するため氏(うじ)という名前を付け、さらに氏族ごとに身分の高さを意味する姓(かばね)という称号を与えていました。これを氏姓(しせい)制度と呼びます。

つまり、天皇は氏族に対する任命権を持っていても、任命された氏族が一族内でどんな人事を行うのかについては関与することができなかったのです。天皇が間接的な人事権を持っていなかったのです。氏姓制度の場合、朝廷で働く人と天皇の間に直接的な関係はありません。朝廷で働く人々から見れば上司は天皇ではなく、人事権を持つ一族の中の有力者なのです。このような微妙な人間関係では、氏族の影響力が強く、天皇の権力は非常に不安定なものでした。

天皇主権を目指していた当時の天皇の推古天皇は、このような不安定な状況を脱するための第一歩として朝廷の要職の直接的な人事権を手に入れることを目指したわけです。

能力に応じた人材登用を

上の話とも関連しますが、朝廷は氏姓制度にとらわれることなく、天皇中心の政治を担う有能な人材登用を可能にしたい・・・という目的も冠位十二階制にはあります。

天皇主権の障壁となる氏姓制度からの脱却、有能な人材の登用、これらが冠位十二階制が制定された理由です。(外交対策という説もありますが、ここではその話は触れません。すみません・・・)

冠位十二階の内容とは?

具体的な12の冠位は偉い順に以下のようになります。冠にはそれぞれ色が決められていて、冠の色を見れば一目で誰がどんな冠位なのかわかるようになっていました。

  • 大徳:紫
  • 小徳:薄紫
  • 大仁:青
  • 小仁:薄青
  • 大礼:赤
  • 小礼:薄赤
  • 大信:黄
  • 小信:薄黄
  • 大義:白
  • 小義:薄グレー
  • 大智:黒
  • 小智:グレー

最高冠位は「大徳」で紫色の冠が与えられます。冠名には儒教の教えが色濃く反映されており、当時の高官たちが儒教を重要視していたことも冠名から伺うことができます。(ちなみに、同時期に制定された十七条の憲法も儒教の影響を受けています)

任命権は天皇だが・・・

冠位十二階制による冠位は天皇によって与えられます。しかし冠位十二階制の導入当時は、推古天皇の側近だった厩戸皇子(聖徳太子)や蘇我馬子の意見が色濃く反映され、実質的にこの2人が任命権を握っていたのでは?と言われています。

さらに冠位十二階制には例外もあり、皇族は冠位の対象外となりました。冠位十二階制導入の理由として「天皇主権のため、地方豪族の氏姓制度を衰退させたい!」との思惑があるという話をしましたが、そう考えると天皇家は冠位を超越した存在で差し支えなかった・・・というが皇族が冠位対象外となった理由だと私は考えます。(通説はわかりません。ごめんなさい!)

冠位十二階制度の欠点

実は冠位十二階制には、致命的な欠点がありました。それは、蘇我馬子が皇族と同じく冠位を超越した存在だったことです。上で説明したように蘇我馬子は冠位を受け取る側でなく、与える側であることからも蘇我馬子が冠位を超越した存在だったことがわかります。

当時の日本の政治は、推古天皇、厩戸皇子(聖徳太子)、蘇我馬子の3人による共同政治によって運営されていました。そして、蘇我馬子との関係に亀裂が生じないように推古天皇と厩戸皇子(聖徳太子)が妥協した結果が、このような冠位十二階制のあり方だったのです。

蘇我馬子との妥協点を探りながらも着実に天皇権力を高めるための政策を実行していく・・・という政治感覚に優れた推古天皇の政治方針が冠位十二階制には感じられるように私は思います。

まとめ

冠位十二階制導入の背景には、めまぐるしく変動する朝鮮半島やアジア大陸の国際事情があります。特に500年代後半に建国された隋の存在は、日本に「私たちもしっかりとした国を造りあげ、大国との関係を考えなければならない!」という強い危機意識を芽生えさせるきっかけとなりました。

こうして時代の流れの中で、天皇主権の政治に不都合な氏姓制度を衰退させ、天皇が直接に有能な人材の登用を可能にする道を開いたのが冠位十二階制と言えます。

さらに、その制度設計上、蘇我馬子が制度の対象外とされていることから、蘇我馬子の存在がいかに強大なものであったかを冠位十二階制は物語っています。

【次回】

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