三井寺の霊泉こと閼伽井屋(あかいや)の井戸に行ってみた【天智、天武、持統の産湯に使われた井戸】

この記事は約6分で読めます。

今回は、滋賀県大津市三井寺のとある井戸についてのお話。

 

 

三井寺には、神聖な井戸があって、天智・天武・持統の3天皇が生まれた時に使った産湯に、その井戸の水が出て使われたと伝えられています。

 

 

この井戸について色々と気になったので、記事として整理しておこうと思います。

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そもそも三井寺ってどんなお寺?

三井寺の正式名称は「園城寺(おんじょうじ)」

 

 

天台宗のお寺で、天智天皇の孫の与多王(よたのおおきみ)が開いたお寺。与多王は、壬申の乱で敗れた大海人皇子の息子でもあります。

 

 

壬申の乱で命を落とした父(大友皇子)の菩提を弔うために寺院を建立しようとしたのが三井寺の始まりで、与多王の「田畑(園)や屋敷(城)を売り払ってでも寺院を作ったるで!!」強い意気込みから「園城寺」と呼ばれるようになったと言われています。

 

 

当時の仏教は国策として推進されていました。だから、お寺を建てるにも僧侶になるにも国から認定が必要でした。そして、園城寺の建立を認めた当時の天皇は天武天皇(てんむてんのう)

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天武天皇は壬申の乱で与多王の父(大友皇子)を死に追い込んだ張本人です。天武天皇の壬申の乱後の戦後処理はとても寛容で、多くの者が処罰を免れました。なので天武天皇が園城寺の建立が認めたのは理解できるんですが、当時の与多王の心境は複雑だったことでしょう・・・。

 

 

その後、三井寺(園城寺)は天台宗のお寺となり、天台宗が思想対立から山門派と寺門派に分裂すると三井寺(園城寺)は寺門派の総本山となりました。

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三井寺の霊泉、閼伽井屋(あかいや)の井戸とは?

【ピントが柵で見にくいですが、奥に井戸があります】

 

簡単に三井寺の紹介をしたところで本題へ。三井寺には天智・天武・持統の産湯になったと言われる神聖な井戸があります。

 

 

金堂(こんどう。お寺のメインとなる建物)の横にその井戸はポツリと佇んでいます。

【三井寺の金堂】

 

三代続く天皇の産湯ということで、その井戸は御井(みい)と呼ばれていました。「御」は今でこそ敬語として使われますが、本来は天皇や皇族に対して使われる言葉。だから、天皇の浸かった井戸は御井となります。

 

 

三井寺が天台宗系の寺院になると、御井の「御」は「三」に読み替えられました。「御」が「三」となった理由はわかりませんが、おそらくは天台宗系寺院となって皇族との直接の関係が薄れるに伴って「皇族のために使われる『御』を用いるとは、なんと恐れ多いことか!同じ読み出し『三』に変えようぜ!」って流れになったんだと思われます。

 

 

そして、園城寺は三井のある寺ということで三井寺とも呼ばれるようになりました。お寺の名になるほど、三井寺の井戸は人々から強い関心を集めていたんですね!!

 

 

 

この井戸は、閼伽井屋(あかいや)の井戸とも呼ばれることがあります。閼伽井屋とは、仏前に供養する際に用いる水を汲むための井戸のある小屋のこと。井戸が金堂の横にポツリとある理由もこれで納得です。ちなみに、金堂に祀られているのは弥勒菩薩です。

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三代の天皇の産湯となった井戸でもあり、仏前に供養される水を汲む井戸でもあるこの井戸は、霊験あらたかな井戸であり、霊泉と呼ばれることもあります。

 

さらには井戸には龍が住んでいる・・・なんて逸話もあり、井戸屋には龍の姿が彫られています。

(出典:京都の闇に見せられて

 

ちなみに、三井寺近くの瀬田川の底には竜宮があった!なんて逸話も残っていますので、龍の話は瀬田川の逸話との関連性もありそう。

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三井寺の井戸は本当に天智・天武・持統天皇の産湯なの?

よくある三井寺の紹介はここまで。私が、この井戸の話を知って最初に思ったのは「本当に天智・天武・持統天皇の産湯なの?」って疑問。

 

 

というのもですね、3人とも生まれたのは飛鳥なんじゃねーの?って思うわけですよ。

 

 

天智・天武天皇の父は舒明天皇、母は皇極天皇ですが、当時は飛鳥にいたはずなんですよね。ちなみに、舒明・皇極の2天皇は、蘇我蝦夷・入鹿が活躍していた頃の天皇です。

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わざわざお腹の大きい妃を近江まで連れてくることは考えにくいですし、後に作られた逸話なんだろうな・・・と思っています。

 

 

663年、白村江の戦いで日本が唐・新羅連合軍に敗北すると、報復攻撃を恐れた天智天皇は飛鳥から近江宮への遷都を決行します。(近江は琵琶湖と山に囲まれている要害の地だった。)

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天智天皇と近江地域が直接接点を持ったのはおそらくこの時。そして、天智天皇と近江宮との結びつきから作られた逸話が井戸の話なのだと思います。(この辺の話は私もよくわかっておらず憶測も入っています。)

 

 

そんで、「天智天皇と井戸が関係あるなら、その弟の天武天皇とか娘の持統天皇もきっとこの井戸使ったはずや!」的な発想で、今のような三井寺の産湯伝説が作られたのでしょう。

 

【金堂前にある灯篭】

三井寺の金堂前にある灯篭には、天智天皇が乙巳の変(大化の改新)で蘇我氏を滅ぼした償いとして自らの薬指を埋めた・・・なんて話も三井寺には残っています。

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この話の真偽も井戸の話同様わかりませんが、三井寺は天智天皇との結びつきがとても深いお寺と言えそうです。

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霊泉こと閼伽井屋の井戸まとめ

というわけで、個人的に思ったことをまとめてみました。

 

 

三井寺には井戸以外にもたくさんの見所があります。というか、井戸の話はおそらくかなりマニアックですww

 

何も知らないと通り過ぎてしまうような場所ですが、三井寺に行かれる方は井戸の前で足を一度止めてみるのも面白かもしれませんよ!

 

 

この記事で登場した天智天皇・天武天皇・持統天皇については以下の記事でも紹介しています。

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この記事を書いた人
もぐたろう

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