今井兼平の墓(大津市)の見所や豆知識を紹介!【平家物語・木曽義仲の史跡スポット】

 

今回は木曽義仲の忠臣の中の忠臣、今井兼平のお墓についてお話してみようと思います。木曽義仲の史跡を巡る方々に参考になれば幸いです!

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今井兼平と木曽義仲の出会い

【今井兼平】

 

まずは、今井兼平についてサクッと紹介しておきます。

 

 

今井兼平と木曽義仲が初めて出会った場所は木曽谷(今の長野県木曽郡木曽町)という所。時は1155年でした。

 

 

当時、木曽義仲はまだ乳飲み子。父の源義賢(みなもとのよしかた)が関東地方での勢力争いに巻き込まれ、敗死。その息子だった木曽義仲も命を狙われますが、いろんな人たちに助けられ、木曽谷まで避難してきたのです。木曽義仲ってかなり波乱万丈な人生を歩んでいますけど、乳飲み子の頃から修羅場を潜っていたんですね・・・。

 

*木曽義仲の生涯については以下の記事でも紹介しています。

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そして、木曽谷で乳父として木曽義仲を養育してくれたのが中原遠兼(なかはらのとおかね)という人物であり、その中原遠兼の四男だったのが今井兼平でした。

 

 

血こそ繋がっていないものの、木曽義仲と今井兼平は幼い頃から共に時間を過ごした兄弟でした。

 

 

源平合戦が始まると今井兼平は、源氏の血を引く木曽義仲を主人と仰ぎ、木曽義仲の忠臣の一人として獅子奮迅の活躍をすることになります。

最高にカッコいい男、今井兼平

1184年1月、木曽義仲は宇治川の戦いで源義経・範頼軍に敗北。

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敗走を重ねるうちに兵の数はみるみるうちに減ってゆき、気付けば残っているのは木曽義仲と今井兼平のみ。

 

 

絶体絶命の状況ですが、ここから先は平家物語の中でも「義仲最期」と呼ばれる屈指の名シーンとなります。

 

木曽義仲「なんだか鎧がいつもより重く感じるなぁ・・・」

 

今井兼平「それは、後ろに続く兵がいないから殿が臆病になっているのですよ。兼平一人といえど、私を一騎当千と思ってくだされ。ここから少し行ったところに粟田の松原があります。私が追っ手を防ぎますから、殿はお静かに自害くだされ。」

 

木曽義仲「それはならん。死ぬ時は一緒だと心に決めておるのだ。最期は共に討ち死にしようぞ。」

 

今井兼平「それはなりません。私は、殿がどこの馬の骨かもわからぬ輩に討たれ、そいつが殿の首を持って喜ぶ姿を想像すると耐えられんのです。どうか、最期に私のわがままを聞いてください。」

 

 

こうして木曽義仲は、粟津の松原へ。兼平は、敵50騎に鬼神の如く襲い掛かります。

 

今井兼平「敵どもよ、私の噂は聞いたことがあるだろうが実物を見るのは初めてだろう。私はどの猛将があることを、私を打ち取って頼朝にでも報告するが良かろう」

 

 

こうして目の前の追っ手を撃退するも、木曽義仲の馬が薄氷の貼った田んぼに脚を踏み入れ、身動きが取れなくなったところを別の敵兵が討ち取り、木曽義仲は命を落とします。

 

今井兼平「もはやこれまで。これが日本一の強者の自害の仕方ぞ。東国の者共よ、よく目に焼き付けておけ!!」

 

こうして兼平は刀の先を口にくわえ、顔を下にして馬から飛び降り、刀が頭を貫くという壮絶な死を遂げます。

 

 

おそらくその場にいた人たちは今井兼平の最期を生涯忘れることはなかったでしょうね・・・。ほんと涙無くして語れない名シーンです。

今井兼平のお墓の場所とアクセス

前置きが長くなりました(汗。

 

そんな壮絶な死を遂げたお墓ですが、実は各地に沢山あります。

 

参考でWikipediaの引用を載せておくと・・・

北橘村、木祖村、長野市、川中島に兼平塚。また、滋賀県大津市晴嵐にも墓所がある。

 

こんなにあるんです!ここで話すのはこれらのうち、兼平の死地に築かれた滋賀県大津市にあるお墓です。

 

場所はこんなところにあります。


最寄駅は、

 

JR東海道本線「石山」

 

または

 

京阪電気鉄道石山坂本線「京阪石山」

 

です。どちらからも徒歩3〜5分ほどで行くことができます。

 

 

駅の北口を出て、向かって左側の道を道なりに歩いていくと、今井兼平のお墓が見えてきます。

 

今井兼平のお墓の歴史

 

1661年に膳所(ぜぜ)藩の主だった本田俊次(ほんだとしつぐ)という人物が今井兼平の塚の上にお墓を建てたのがこのお墓の始まりとされています。

 

 

当時は今とは違う場所にあり、どうやら今の位置よりも西北の方にあったよう。(説明板には篠津川の上流と書かれている)

 

1666年になると、もっと交通の便が良い今の位置に移され、現在に至っています。

 

 

現在の今井兼平のお墓は、東国と京を結ぶ交通の要所だった瀬田橋の近くにあります。瀬田橋を挟んだ東西に伸びる道は旧東海道。人々が頻繁に行き来する場所でした。

 

 

「東海道を行き来する人々に今井兼平のことを偲んで欲しい」

 

 

そんな想いでお墓は移されたのだと思います。

 

 

現存する石碑は明治44年に改修されたもので、当時の知事や町長、兼平の子孫らが今に近い形にしたと言われています。

 

 

実際に現地に言ってみると、墓の周りには鎮魂碑や「兼平庵」という人々が集まる建物までが建てられています。住宅や工場が立ち並ぶ中、ひっそりと佇んでいる今井兼平の墓ですが、人々の兼平に対する愛情をそこに垣間見ることができます。

木曽義仲の眠る義仲寺とセットで行くのがオススメ

今井兼平のお墓は決して有名な観光スポットではありません。しかし、歴史に思いを馳せるにはとても良い場所。そして、今井兼平のお墓を訪れたなら、合わせて木曽義仲の眠る義仲寺(ぎちゅうじ)にも訪れてみるのも良いかもしれません。

 

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木曽義仲は最期、今井兼平と共に討ち死にすることを望みました。若干の距離はあるものの、同じ地に2人のお墓があることを思うとなんとも感慨深く、込み上げてくるものがあります・・・。

 

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