今回は、戦国時代に採用された組織の仕組み『寄親・寄子制』について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!
寄親・寄子制とは
寄親・寄子制とは、戦国大名が部下たちを統率するために採用した組織システムのことを言います。
図で表現するとこんな感じになります↓↓
戦国大名は、領国を効率よく支配するため、全ての家臣を直接支配することはしませんでした。
家臣に寄親・寄子という上下関係を作って、寄親に寄子の管理を任せることにしたのです。この家臣の間の上下関係のことを、寄親・寄子制って言います。
寄親・寄子制は、家臣の間の上下関係のことを言うのであって、大名と家臣の関係ではないので、注意しましょう!
寄親・寄子制が登場した背景
戦国大名が登場する前の室町幕府は「幕府の力が弱体化」&「地方有力者のパワーUP」のせいで、上下関係のしっかりした組織を構築することができませんでした。
上下関係がはっきりしない組織では、上司の命令が部下に伝わらなかったり、部下が命令を無視するため、組織がうまく機能しません。
鎌倉時代は惣領制と言って、血縁関係に基づく組織体制があったんだけど、室町時代に入ると、『血縁よる繋がり(血縁的結合)も同じ地域に住む人たちの団結(遅延的結合)の方が重要じゃね?』と考える風習が強くなって、その惣領制が崩壊してしまったんだ。
困り果てた室町幕府は、ひとまず守護の権限を強化し、守護に各地の民の支配を丸投げすることにしました。
・・・が、その守護も次第に幕府の言うことを聞かなくなったり、地方の有力者(国人など)に倒されたりして、守護による民の支配にも限界が見え始めてきます。
この時に、幕府の命令を無視して独自に国を支配した守護や、守護を倒して国の新しい支配者となった人たちのことを戦国大名と言います。
戦国大名は、一国の主人として幕府に頼らない自前の組織を作る必要があり、そこで登場したのが寄親・寄子制だったのです。
寄親・寄子制の仕組み【概要】
さきほど「鎌倉時代には惣領制っていう仕組みがあった」という話をしましたが、実は寄親・寄子制の仕組みっていうのは、惣領制の応用バージョンだったりします。
まずは、惣領制についておさらいしておきましょう。図解したのが下の図です↓↓
惣領制とは、一族の一番偉い人(惣領)が代表して、鎌倉幕府と御恩・奉公の関係(主従関係)を結んだ仕組みのことを言います。
惣領と血の繋がっている分家の人たちは、戦などで惣領に貢献すれば、所領などの褒美を貰えました。
惣領は幕府に貢献すれば褒美(御恩)を、
分家は惣領に貢献すれば褒美をもらえる。
そんな関係によって、鎌倉幕府は、鎌倉幕府→惣領→分家という形で全国の武士たちを統率していました。
寄親・寄子制が、惣領制の何を応用したかというと、「惣領制に似た仕組みを血縁関係のない人たちへも応用した」という点です。
もう一度、図解を再掲しておきます↓↓
少し視点を変えて上図を見てみると、
戦国大名→鎌倉幕府
寄親→惣領
寄子→分家
と置き換えてみると、寄親・寄子制と惣領制ってなんとなく似ていますよね。
惣領制も寄親・寄子制も、組織内部の上下関係を決めるための仕組みという点は共通していて、大きく違うのは、
惣領制:血縁関係で上下関係を決める
寄親・寄子制:血縁じゃない方法で上下関係を決める
っていうところなんです。
というわけで、寄親・寄子制について、もう少し詳しく見ていくことにします。
寄親
寄親には大きく3つのタイプがあります。
一門・一族
戦国大名と血縁関係を持つ家臣のこと。戦国大名と深い関係を持つ存在。
譜代
古くから戦国大名と主従関係を結ぶ信頼できる家臣。
国衆・外様
地域の有力者(国人)や主従関係の浅い家臣たち。
寄子
寄子は、寄親と主従関係を結ぶ各地に住んでいる人たちのことを言います。
寄子は、仕事の内容や身分によって、若党・中間・小者などと呼ばれていました。
若党・中間・小者にはそれぞれ役割に違いがあるんだけど、違いがとても曖昧だから「若党・中間・小者」ってまとめて呼ばれることが多いです!
寄子は、寄親に対して軍役や納税の義務を負い、
その見返りとして寄親は、寄子の日々の生活を保障してあげます。
言い換えれば、寄子の平和な日常は、寄親によって保証されているってことです。
こうした関係が親と子の関係に似ていることから、寄親・寄子制って名前がつけられたんだ。
寄子の中には、納税義務が免除されて軍役だけに特化した軍役衆というポジションが用意されていることもありました。
戦いが起きると、軍役衆は現地リーダーとして寄子たちをまとめる役割を担いました。
軍役衆は必ず置かれたわけじゃなくて、ケースバイケースで各地に置かれていたよ。
寄親・寄子制のメリット
寄親・寄子制のメリットは、血縁に限定されない多様な人たちが主従関係を結べる・・・という点です。
一国の主人となった戦国大名は、生き残りをかけて敵国の領地を奪うことが日常茶飯事でした。
新しい領地をゲットすると、当然、そこに住む人々を支配下に置く必要があります。
その時に便利なのが、血縁によらずに主従関係を結べる寄親・寄子制でした。
「新しく手に入れた領地◯◯の人たちは、寄親Aさんの寄子になってくれな!」
って感じで、支配地域が増えても主従関係をはっきりさせることができました。
また、先ほど紹介したように寄子は日々の生活を寄親に依存しており、両者は深い関係を持っていたため、戦が起こると、寄親→寄子への指揮がしやすいというメリットもありました。
寄親・寄子制のデメリット
寄親・寄子制のデメリットは、メリットと真逆で「血縁関係によらないため、寄親と寄子の主従関係はお互いの利害関係が一致した時しか成立しない」という点です。
血縁関係でつながっていた惣領制であれば、分家が宗家の支配に不満を持っていても「しょうがないから、寄親に従ってやるか・・・」と我慢できるかもしれませんが、寄親・寄子制にはそれがありません。
もし寄親の統治が下手くそで、寄子から「もうこんな寄親の命令に従う必要なくね?」と思われてしまったら、寄親・寄子の主従関係は脆く崩壊してしまうのです。
そこで多くの戦国大名は、寄親・寄子制が崩壊してしまわないよう、「寄親がして良いこと・ダメなこと」「寄子がして良いこと・ダメなこと」をルールにして、分国法に定めることにしました。
寄親・寄子制まとめ
寄親・寄子制って、実は会社組織と同じ仕組みだったりします。
社長→戦国大名
部長・課長といった中間管理職→寄親
社員→寄子
という関係があります。
社員は、確かに社長の部下ですが、社長が社員1人1人に「あれをしろ!」「これをしろ!」と仕事の指示を出すことはあまりありません。
社員が従うのは、直属の上司である課長や部長の指示です。そして、課長や部長は、社長から与えられたミッションを達成するため、部下へ指示を出しています。
こうして、社長→部長・課長→社員とピラミッド型で上からの指示が伝達される。これの戦国時代バージョンが寄親・寄子制というわけです。
コメント