土佐日記とは?あらすじや作者をわかりやすく紹介!【ネカマの日記ブログ】

今回は、平安時代中期(930年ごろ)に紀貫之(きのつらゆき)が書いたと言われる土佐日記(とさにっき)について紹介してみようと思います。

 

 

土佐日記は、日本初の日記文学と言われ、その内容も実にセンセーショナルなものでした。

 

 

というのも、現代風にオブラートに包まずに土佐日記を表現すると「60にもなるいい歳した男が女のふりをして書いたネカマ風日記ブログ」になるからです。これ、冗談じゃなくてガチです。

 

 

そんな馬鹿みたいに思える日記がなぜ、現代でも学校の教科書で紹介されるほど有名なのかと言うと、実はそれなりの理由があります。その主な理由は以下の3つです。

 

日本初の日記風の文学作品だった
著者の紀貫之が和歌で有名な人物だった。
作品自体が読んでいて面白い

 

 

そんな土佐日記について、著者である紀貫之と作品のあらすじについて紹介していきます。

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なぜ土佐日記はネカマ日記なの?

日本初の日記文学として名を馳せた作品が、女性の振りをした男の日記とはなんとも言葉にできない気持ちになります。

 

 

しかし、その動機は歪んだ欲望とかそんなんではなく、それなりの理由がありました。それは・・・

 

 

紀貫之「あー!!仕事のこと忘れて何か書きてー!!」

 

 

という和歌の達人らしい紀貫之の創作意欲によるものでした。

 

 

当時の日記は、今でいう仕事のメモ帳として利用されていました。日々の仕事について記録を残すのが日記なわけです。有職故実(ゆうそくこじつ。前例やしきたり)を重んじる朝廷では日記は備忘録としてとても重要だったのです。

 

 

そして、当時の日記は漢文体で書かれていました。これは、奈良時代〜平安時代初期に空前の唐ブームが到来していたからです。(894年の遣唐使廃止で、ブームは下火となり、日本独自の文化が芽生える!!)

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一方で当時は、平易な文字としてひらがなが貴族たちのプライベートや身分の高い女性たちの間で使われるようになっていました。もちろん紀貫之の得意とする和歌にもひらがなは使われています。

 

 

そこで紀貫之はおそらくこう思ったのでしょう

 

 

紀貫之(60歳ぐらい)「そうか、漢文で日記を書くから仕事っぽくなるんだな!というわけでひらがなで日記を書きたいところだが、どうしても日記=仕事メモのイメージが抜けないなぁ・・・。あっ待てよ!!!ってことは女の振りしてひらがなで日記書けば最強じゃねーか!!!!俺天才やんけ!!!!」

 

こうして、土佐日記が出来上がったのでした。今風に言えば、「仕事のこと忘れたいから、匿名ブログで言いたいこと書きまくるわ!!」って心境に似ていなくもない。

 

 

それに加え同時に和歌に精通する紀貫之なりの新しい作品への挑戦だったのだと思います。

土佐日記のあらすじ

土佐日記が書かれた理由を説明したところで、次は土佐日記の簡単なあらすじを紹介しておきましょう。

 

 

土佐日記は、紀貫之が土佐国の受領としての任期を終え、934年末〜935年初旬の故郷の平安京に戻るまでの約50日の旅路についてを日記にしたものです。今風に言えば旅行ブログ!!

 

 

その内容は、歌人らしく和歌が多く用いられたユーモアたっぷりの日記です。

 

 

しかし、ただのおもしろギャグ日記では文学作品として1000年以上も名を残すことはなかったでしょう。

 

 

土佐日記を名作品たらしめるその理由は、ユーモア溢れる土佐日記の根底にある真の主題が「土佐で失った我が子を想う悲哀の気持ち」だったからです。

 

 

土佐日記を読んでいくと、何度も子を失った夫婦の話が登場します。実はこれ、紀貫之夫婦のことを指していると言われています。

 

 

 

悲しみの中にユーモアを融合させ、しかもそれを第3者の女性の立場から描くという点にこそ、他の文学作品にはない土佐日記の面白さがある・・・と私は思います。しかも紀貫之は有名な歌人です。そこに的確な情景描写や和歌も相まって、土佐日記は名文学作品として昇華されるのです。

土佐日記の冒頭

土佐日記は、次の書き出しから始まります。

 

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。

 

現代語訳すると「男が書いている日記というものを私も書いてみるの(ハート)」

 

 

これを歳をとったおじちゃんが書いてると思うと胸が熱い。ここで露骨に私女なのアピールをしまくってるわけです。紀貫之は、自らを土佐で任期を終えた国司様と共に都へ戻る一人の女性だと言って、土佐日記を書くわけです。

 

 

この冒頭の文章で大事なのは、「当時はひらがなで日記を書く風習がなかった」ってことが読み取れる点です。1000年頃になると、日本では紫式部や清少納言といったひらがなを使った女流作家が数多く登場しますが、930年代にはまだ「女性が日記を書く」という文化がなかったんです。

 

 

1000年頃になると朝廷では蜻蛉日記や紫式部日記など多くの女性による日記文学が生まれます。

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なので、その先駆けとなった土佐日記は、新しい文学を開花させた偉大な作品と考えることもできます。まぁ・・・男が書いてるんですけどね!ww

【悲報】土佐日記、一瞬で男が書いたことがバレるww

さて、冒頭で「私、女だけど日記書いてみるの!」と女性アピールする紀貫之ですが、残念ながら、ちょっと内容を読み進めると一瞬で男であることがバレますww

 

 

というか、ワザとバレるように書いてます。確信犯です。というのも、平安時代の慎ましい女性が言うとは思えない過激な表現が次々と登場するからw

 

「鮎(あゆ)の塩漬けをみんな頭からしゃぶっている。もしかして鮎は人々と口を交わらせて(キスをして)、変な気持ちにでもなってないかしら?」

 

とか女性たちが水浴びしているシーンで

 

「女性たちは船中では派手な服は着ません。なぜなら海神の祟りを恐れているからです。しかし、今は目隠しにもならない股の葦(あし)を身につけて、ホヤ(男の〇〇の例え)に合わせるアワビ(女性の〇〇の例え)を思いもかけず海神たちに見せているのですよw」

 

 

とかトンデモナイことばっかり言ってます。ちょっと自分にも何を言っているのかわからない。

 

 

これを読んでいる多くの人は思います。

 

 

「男であること隠す気なくてクソワロタwwしかも土佐の国司と一緒の旅をしている女性だと?もう紀貫之が書いてるってことで確定じゃんw」

 

 

こんな感じで、「私、女だけど日記書くの!」とか言っときながら、過激な表現を使ってウケを狙っちゃうあたりが土佐日記の真骨頂。

 

 

紀貫之は、きっと女装をしつつも自分が書いた日記であることを読む人に知って欲しかったんだと思います。

 

 

というのも、こんなユーモア溢れる話の中に度々、子を失った悲しみが吐露する場面がいくつか登場します。その悲しみを文学作品として表現するには、自分自身が主役となる日記ではあまりの悲しみに耐えきれなかった・・・のだと私は思います。

土佐日記と紀貫之の悲しみ

土佐日記は土佐で任期を終えた前国司(紀貫之)とその妻は、度々、土佐で子を亡くした悲しみを爆発させます。

 

 

土佐から無事に都へ戻った時。土佐へ向かった時にはみんな子どもなどいなかったのに、今では土佐で生まれた多くの子どもたちが母に抱えられ船を乗り降りしている。この様子を見て前国司(紀貫之)の妻は悲しさに耐え切れず、

 

なかりしも ありつつ帰る 人の子を ありしもなくて 来るが悲しさ
(前は子どもを持っていなかった人も、今では子どもを連れて帰ってきたのに、子を持っていた私は子を亡くして帰ってくる、その悲しさは・・・)

こう詠んで、泣き崩れます。

 

 

他にも、土佐から船を出すときの話です。前国司(紀貫之)は、土佐を離れると思うと土佐で亡くなった子のことばかりを悲しみ、恋しく思います。周りの人もその様子を見て、悲しみを堪えきれません。そこである人が歌を書きます。

 

都へと 思うをものの 悲しきは 帰らぬ人の あればなりけり
(都へ帰れると思うにつけて、なんとも悲しいのは、生きては帰らぬ人があるからだったよ)

 

とか

 

あるものと 忘れつつなほ なき人を いづらと問うぞ 悲しかりける
(亡くなった子のことを忘れてしまい、生きていると思って「あの子はどこにいるの?」と聞いてしまうのは、かえって悲しいものだなぁ)

 

とか。こうして紀貫之を励ましているうちに、いろんな人が別れの挨拶にやってきました。

 

 

 

なんてエピソードも。このユーモアと悲哀の融合と、それを表現する和歌が絶妙です。本当に悲しい歌です。和歌に疎い私が読んでいても、心にグッと来るものがあります。

土佐日記まとめ

以上、土佐日記について簡単に紹介してみました。

 

 

 

ここで紹介した内容は物語のほんの一例にすぎません。この他、数多くのジョークと日々の心境、出来事などが和歌と共に語られており、まさに平安時代版のブログを読んでいる感じ。

 

 

土佐日記は、「当時の人々はこんなことが笑いのツボだったんだな」とか「日常生活をこんな風に送っていたんだな」とかそんな当時の情景を面白おかしく知ることができるとても良い古典だと思います。文量も源氏物語のように多くないですし、気軽に読むこともできます。

 

 

 

土佐日記を読むなら、無難に以下の角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックスシリーズをオススメします。読みやすい現代語訳と丁寧な時代背景の解説があって素人でもスラスラ読み進めることができます。(値段も安い!)

 

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