今回は私が仏教を心底凄い!と思う理由をコラム的な感じで語ります。
「日本人なんだから仏教のことをぐらい軽く知っておきたいなぁ」とか
「寺院観光に行くなら仏教のことも知っておいたほうがいいだろ」
みたいな軽い気持ちで仏教について知るようになったのですが、いざ学んでみると実に奥が深いんですよね。
特に感動したのは、量子力学と仏教が同じことを言っているなと感じた時でした。
これ心の底から凄いと思いました。量子力学って原子や電子とかの超ミクロな世界での出来事を調べる学問で20世紀初期から生まれました。そして仏教が開かれたのはブッダが生きていた紀元前500年ごろ。両者にはざっくりと2000年弱の時間の開きがあるわけです。
量子力学が学問として確立する2000年以上も前に似たような考え方が宗教の根本思想として語られていることに、私は正直感動しました。
ダライ・ラマ14世も似たようなことを考えていた!
一世一代の大発見をしたような気持ちになった私でしたが、「まぁ、似たようなこと考えている人ってもうどこかにいるよな」とすぐに冷静になり、「仏教 量子力学」とか「般若心経 量子力学」とかってワードでgoogle検索してみました。
すると、やっぱり同じことを考えている人物がいました。いや、それがもう超凄い人物でして・・・なんとダライ・ラマ14世!
多分何も知らない人が「物理と仏教は同じだ!」なんて話を聞いたら「怪しい新興宗教かな?」って思うに違いありませんが、実はそんな荒唐無稽な話でもないんです。
量子力学も仏教思想もとても難しい話なんですが、この2つの関わりについてなんとか紹介してみようと思います。なお、ここで述べるのはダライ・ラマ14世の意見をまとめたものではなく、完全なる私の私見です。
存在するけど存在しない、不思議な「空」の思想
仏教における重要な思想の1つに「空」っていう概念があります。
いろいろとスッ飛ばして、簡単に言うと
この宇宙の全ては単独で存在することはできない。なぜなら、全てのものごとは、他の様々な物事と関わりあって初めて存在するから。この関わり合いのことを『因縁』とか『因果』とか言う。
つまり、世の全ての物事や出来事は「個」として実在することはできず、世の本質は因縁である。
そして「個」としての実在がない以上、全ての事象は虚無である。これが「空」の思想です。
物事の本質は因縁(他との関わり合い)であって、何かの物や出来事についてそれ単体を見ても意味はないし、そこには何もないと言っているわけです。
これ初見だと、意味不明ですよね。実は以下の記事でちょっとした例え話を書いているのでここで引用してみます。
私たちは一人の人間ですが、その体はたくさんの臓器や器官によって構成されています。脳や内臓、目鼻耳口、これらが相互に関わり合って一人の人間が構成されている。これも因縁の一つ。
さらに突き詰めれば、私たちの体は分子によって構成されています。その分子は原子によって構成されていて、原子の組み合わせで分子は多様な特徴を持つようになる。
さらにその原子は、陽子、電子、中性子で構成され、これらは電場や磁場の影響で様々な振る舞いを見せる。
そして、陽子や電子は素粒子で構成され、最近では「素粒子はさらに小さい紐のような存在で構成されてるのでは?」なんていう超ひも理論が今では提唱されています。
こうして、無限と言って良いほどの物と事象の関わり合い(因縁)によって一人の人間が構成されている。そしてこの理屈は人間に限らず万物について適用され、因縁こそが万物の理に相応しい。そう考えるわけです。この考え方は空とも言われ、似たようなことが般若心経などでも語られています。
上の例で言えば、物質的な話に限れば人の本質は無限とも言える原子や分子にあると言えます。この感覚が「空」です。
確かに、人は1人の人間として存在する。でも、「空」の概念で人を見れば、人という個は存在せず、それは全て原子・電子などのミクロレベルの無限の集合体がお互いに影響を与えないながら存在しているということになる。そしてこのような見方こそが世の本質を捉えるために必須の条件だと仏教では言っているわけです。
他にもいろんな例えができそうですが、なんとなく理系っぽい話でまとめました。
ちなみに、真言宗の開祖で有名な空海はこの「空」の思想をとても大事にしています。さらに空海は、空の思想の本質は言葉程度では表現することはできないものであり、瞑想をしたり呪文を唱えたり神秘的な力が必要だと考えていました。
確かに空の概念ってわかるようなわからないようなとても難しくて曖昧なものなので、空海の言っていることもよくわかる。
人は個では存在せず無数の原子・電子の集合体だとすれば、「じゃあその原子や電子などのミクロレベルの物も単独では存在せず、何かの因果で存在しているのか?」と思うのは自然な流れですよね。
そこで登場するのが量子力学なんです。
摩訶不思議な量子力学の世界
量子力学ってなんか難しそうですが、簡単に言っちゃうと「電子レベルの物質がどんな風に振る舞うのか?」を実験とか数学で明らかにしていく学問です。
実はミクロレベルの物質って、私たちが日常目にする物質の振る舞いとは全く違う摩訶不思議な振る舞いを示します。ミクロの世界はその分野の専門家でもない限り、「空」の概念並みにわけのわからない世界なんです。
いくつかその例を挙げて見ます。
物の場所や動きを確率でしか表現できない
私たちの日常では、物の場所と動きは当然に正確に把握することができます。
「私は車を運転中です。今は横浜にいて、時速60キロで静岡に向かっています。」的な感じで場所とか動きを表現できる。
ところが、ミクロの世界ではこれができません。場所や動きは確率でしか表現できないんです。
「私は車を運転中です。今は70%ぐらいの確率で横浜にいて、50%ぐらいの確率で時速60キロで静岡に向かっています。」みたいな。意味不明ですよね。
変な感じですけど、ミクロの世界ではこれを事実として受け入れるしかありません。さらに、場所と動きを両方100%にすることができません。場所を100%決定すると、動きを100%決定することができなくなります。
つまりミクロの世界では、物質の場所や動きについて確定的なことが何も言えず、物質の存在については非常に曖昧な表現しかできないんです。とは言え、曖昧な表現しかできないながらも、確実に物質自体は存在します。
このなんともわりにくいミクロの世界。先ほど話した「空」の概念に似ていると思いませんか?単独の「個」としては実在はしないけど、因縁の集合体として物事は成立しているという仏教の空の概念にそっくりなんです。
量子力学上の因縁
さらにミクロの世界では、まさに仏教上の因縁を体現したとも言える意味不明な現象も確認されています。
どんな現象かというと「Aという物質の状態がわかると、Bという物質の状態が瞬時に定まる」というもの。
「何言ってんだこいつ?」状態かもしれませんが、これがまた超摩訶不思議な現象なんです。どーゆーことかと言うと「日本にいる私がA石が丸いとわかった瞬間、地球の正反対のブラジルにあるB石が四角だと瞬時に決定する」ってこと。
これだけだと凄さがわかりにくいんですが、何がすごいってこれが本当に「瞬時」なんです。世の中の全ての物や情報は光の速さ以上の速さで伝わらないと言われています。しかし、この現象ではそんな原理を無視して光の速さを超越した瞬間的速度で情報が伝わっています。
2つのペアの物質が光の速さを超越して情報を共有している。「AがわかるとBもわかる」そんな物質同士の関わり合いはまさに物質の因縁の考え方そのものです。
ちなみにこの情報伝達の理論は、量子コンピューターの理論の1つであり、光の速さを超越している点については不明な点が今でも多く残されています。このよくわかっていない感じも空海の言う「人間の言葉じゃ表現できねーからw」って思想とマッチングします。
量子力学を学べば般若心経がよくわかる!
以上、簡単に仏教と量子力学の話をしてみました。量子力学については、もっといろんな話があって、知れば知るほど仏教の教えと似ていて驚きの連続なんですが、今回はここまで。
ところで皆さん、般若心経って読んだことありますか?
般若心経は、この記事で紹介した「空」の本質をわずか260〜70文字の漢字のみで伝える仏教上とても重要な経典です。
「色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)」とかのフレーズが有名です。
般若心経には「空」の本質と、どうすれば「空」の概念を会得できるかが書かれているのですが、これがもう抽象的すぎて難しい難しい。
例えば、上で述べた「色即是空、空即是色」。ここで言う色(しき)とは、実在する物事や出来事のことを言います。これを訳すと
と言う、かなり初見殺しの難解な文章です。般若心経ではこのようなYESなのかNOなのかよくわからない不思議な言葉が次々と続いていきます。これも量子力学と非常に似ています。
量子力学と仏教
さて、般若心経を重要視する真言宗の開祖、空海は仏教の本質は経典を読んだだけじゃわからない。瞑想や呪文によってこそ感じることができるのだと言います。
空海の考える言葉による表現不可能な仏教思想を科学技術や数学によって解き明かしているのが量子力学と言えるような気がしています。
本当に仏教って壮大な思想だなぁと感動するばかりです。まさか物理学をも包含しうる思想だと夢にも思いませんでした。
般若心経は「空の概念を知り、世の本質を理解することで私たちはブッダのように困苦のない浄土の世界へ行けるようになるよ」と言っています。
もしかすると、量子力学の知識と般若心経に描かれる空の世界は互いに互いを知るためのヒントになりうるかも知れない・・・と素人ながら思うのでありました。
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