紫式部ゆかりの寺、廬山寺の歴史を徹底解説!【観光前に知っておきたい豆知識】

今回は、京都市にある廬山寺(ろざんじ)というお寺の歴史の話。

 

 

廬山寺の場所には昔、源氏物語を書いた紫式部の邸宅があったので、廬山寺は源氏物語ファンの聖地としてとても有名なお寺です。

 

 

この記事では、

廬山寺の歩んできた歴史とは?
廬山寺と紫式部の関係は?

 

の2点について廬山寺の歴史ということで紹介していきます。

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廬山寺の創設者は良源(りょうげん)

廬山寺の歴史は983年に良源という僧侶が、與願金剛院(よがんこんごういん)というお寺を建てたところから始まります。お寺は現在地ではなく、今でいう金閣寺の近くに建てられます。

【右側のおっちゃんが良源】

 

鎌倉時代末期になると別のお寺と統合して「廬山寺」と呼び名を変え、戦国時代になると、豊臣秀吉の都市開発のため現在の場所に移され、現代に至ります。結構複雑な歴史を持ったお寺なんですね廬山寺って。

 

 

 

廬山寺創設者の良源は天台宗の僧侶で、荒廃する延暦寺を見事に復活させた延暦寺中興の祖としてとても有名な僧侶です。

 

 

例えば延暦寺の最大の名所である根本中堂(こんぽんちゅうどう)。根本中堂を現代のような巨大で立派な様式に変えたのは良源だと言われています。(良源の再建した根本中堂は度重なる火災で、残っていませんが・・・)

【延暦寺の根本中堂】

(出典:wikipedia「延暦寺」author:663highland

建物の大規模リフォームにはお金が必要ですが、そのためのパトロン探しから始まり、停滞していた天台教学の復興、寺内の規律強化(この時期は僧兵が暴れていた時代!!)などなど、天台宗に多大な貢献をしています。

 

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また、良源は良き師としても知られており、弟子の1人に源信(げんしん)という僧侶がいます。源信は「往生要集(おうじょうようしゅう)」という著書を残し、後に法然や親鸞が広げる浄土の教えの基礎を築きました。

 

このように多岐にわたる分野で天台宗を支えたオールラウンダー良源が、比叡山から降りて京に滞在する目的で廬山寺は建てられたと言われています。(金閣寺の近くにあった頃の話)

 

 

ちなみに、「廬山」は中国にある山です。中国における浄土教の祖である慧遠(えおん)が住んでいた山だと言われています。鎌倉時代に別の寺院と統合し「廬山寺」と名乗った時、統合したもう1つの寺院が浄土宗系の寺院だったことが「廬山」という名と関係ありそうです。

【廬山】

(出典:wikipedia「廬山」

廬山寺と京都御所

廬山寺は真横に御所があった関係上、皇室との関わりも深いお寺だったりします。

 

 

廬山寺は、宮内で仏事を行う際に使われる重要なお寺の1つでした。なので、小さなお寺ではありますが、皇室にまつわる史料が多く残っています。

 

パンフレットの記載内容から抜粋すると・・・

後伏見天皇御願文(ごふしみてんのうごがんぶん)
正親町天皇女房奉書(おおぎまちてんのうほうしょ)
後醍醐天皇像
後陽成天皇像

 

などなど。

 

 

他に、宮中仏事を行なっていた仏間も見ることができます。見てみると意外と狭いです。宮中仏事を行なっていたお寺は少なく、かなりレアなので、観光に行くのなら忘れずに見ておきましょう!

 

 

ちなみに、廬山寺で行われていた仏事は、明治時代になると天皇権威を高めるための廃仏毀釈運動により廃止され、今では仏事は廃止されて仏間だけが残っています。

廬山寺が紫式部邸跡地だとわかったのは意外と最近だった

廬山寺が紫式部邸の跡地だとわかったのは実はかなり最近らしいです。

 

 

上の看板に書いてあるんですが、ここが紫式部邸の跡だとわかったのは昭和40年頃らしいです。源氏物語の聖地になったのは意外と最近なんですね。

 

紫式部は、藤原彰子という一条天皇の妃の女房でした。最近の発見とはいえ、女房身分でしかない者の1000年以上前の邸宅がわかるって、実はかなり凄いことです。ちなみに、同時期に枕草子を書き、同じく女房身分だった清少納言邸の場所はわかっていません。

 

 

紫式部邸の跡がわかったのは、おそらく2つの理由があって・・・

 

1 女房身分だったけど、源氏物語の作者ということで超有名だった
2 紫式部の曽祖父は藤原兼輔と言い、たくさんいる藤原氏の中でも北家流と言って、かなり高い身分の出自でした。藤原兼輔の邸宅の場所は既にわかっていて、紫式部はその兼輔邸を住処としていた。

 

どちらかというと2番の影響が大きそうです。1番の方は清少納言も同じですからねー。

 

冒頭でも紹介しましたが、今では廬山寺は「紫式部ゆかりのお寺」としてとても有名で境内には紫式部にまつわる多くのものを見ることができます。

 

 

いくつか紹介すると・・・

【源氏庭】

本堂内には、源氏庭と言われる庭が広がっています。庭には桔梗(ききょう)の花が植えられていて、夏になると綺麗な紫で庭が彩られます。

 

 

紫式部が桔梗を愛したという話は聞いたことがないので、桔梗は紫式部の「紫」からの連想で植えられているのでしょうか。

【紫式部歌碑】

 

紫式部の詠んだ和歌の石碑。

 

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月影
(現代語訳)
(幼い頃の友人にあった時の話)
その形を見るか見ないかわからぬうちに雲隠れする夜の月のように、あなたに久しぶり会えたと思ったら、あなたはあっという間に帰ってしまわれたのですね。
旧友に送った和歌ですね。
廬山寺が紫式部邸跡だとわかったのは昭和40年ですので、庭も歌碑も最近に作られたもの。1000年以上前の史跡・・・ってわけでもないんですが、源氏物語の聖地ですから、源氏物語ファンならその地に訪れるだけで価値があると思います。

 

このほか、堂内では源氏物語に関する史料(絵)を見ることも。何も知らなければ、古来から紫式部邸跡として受け継がれていた場所のように感じるほど、紫式部を感じることができます。

 

紫式部については以下の記事で紹介しているので、気になる方は合わせて読んでみてください。

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廬山寺の歴史まとめ

廬山寺の歴史についてまとめてみました。

 

 

個人的には紫式部と廬山寺の関係は意外にも浅いことが1番の驚きでした。それに、皇室との結びつきも強いというのも訪れるまで知りませんでした。廬山寺は小さなお寺ですが、なかなか密度の濃いお寺だと思います。

 

 

廬山寺から少し歩いて京都御所内に入ると、紫式部の愛人だったんじゃないかと言われている藤原道長が住んでいた土御門邸跡もあります。合わせて訪れて、2人の愛人関係に思いを馳せると妄想が捗ることと思います。(2人の邸宅は思っていた以上に近いです。)

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