(出典:wikipedia「広隆寺」,Author:PlusMinus)
今回は、広隆寺の歴史について紹介します。豆知識として広隆寺観光の前にぜひご一読してみてくださいー!
広隆寺の歴史は古い
広隆寺は、京都最古のお寺として有名です。建立されたのは600年代前半。飛鳥時代ですね。
聖徳太子や推古天皇が活躍していた時代です。参考までに
開祖は秦河勝(はたのかわかつ)という人物。
秦一族は、朝鮮半島からやってきたいわゆる渡来人の一族。古墳時代、朝鮮半島の戦乱から逃れるために日本にやってきたと言われています。
聖徳太子の時代は、朝鮮各国や中国との緊張感の高まりから国を強くしようと必死になっていた時代です。国を強くするため、朝鮮や中国のことを知る者は重宝されました。ちなみに、あの有名な蘇我氏も渡来人系の東漢という一族と親密な関係があったとされています。
そんな事情もあって、秦河勝は聖徳太子に仕えていました。そのため、開祖は秦河勝と言いつつも、広隆寺は聖徳太子との関わりが深いお寺としても知られています。
飛鳥時代、日本の都は奈良の明日香村付近にあったのですが、秦河勝の拠点が京都だったため、京都の地にお寺が建立されました。京都のお寺って、794年に平安京に遷都して以降のお寺が多いので、飛鳥時代からの歴史を持つ広隆寺はとても珍しいお寺と言えます。
広隆寺の歴史と仏像
広隆寺の歴史が古いというお話をしましたが、そこに安置されている仏像も京都最古と言われ、国宝第1号に指定されたことで有名な弥勒菩薩半跏思惟像などがあります。
弥勒菩薩半跏思惟像については、以下の記事で詳しく触れていますのであわせてご覧ください。
飛鳥時代は、弥勒菩薩の信仰ブームだったのか弥勒菩薩像が多く見受けられます。そのほか、広隆寺には都が平安京に移った後に造られた仏像も多く存在しています。
広隆寺といえば弥勒菩薩ばかりが有名ですが、平安時代以降に造られた阿弥陀如来坐像や不空羂索観音立像なんかも見所の1つになっています。広隆寺をじっくりと堪能したいのなら見逃さないようにしましょう!
それと、建物に関しては歴史が古いとは言え、長い年月の中で幾たびかの火災で被害を受けているので、建物自体は後に再建されたもの。飛鳥時代当時の建物は残っていません。ただし、広隆寺に安置されている弥勒菩薩については、飛鳥時代当時の姿を残したままです。それだけじゃなく、飛鳥時代の仏像の中でも屈指の保存状態の良さでとても貴重な文化財となっています。
聖徳太子と広隆寺
(出典:wikipedia「広隆寺」,Author:PlusMinus)
【本尊の聖徳太子像が眠る上宮王院太子殿】
さて、お寺にはそのお寺の中で一番大事にしている仏像があります。本尊と呼ばれるのですが、広隆寺の本尊は聖徳太子像。先ほど話した通り、広隆寺の開祖は秦河勝ですが、秦河勝の上司だった聖徳太子と非常に縁の深いお寺なんですね。
聖徳太子像が安置されている建物は上宮王院太子殿と言いますが、残念ながら本尊の聖徳太子像は秘仏とされ、年に一回11/22にしか見ることができません。
そのため、普段は行っても何も見れないのですが、広隆寺は京都には珍しい聖徳太子ゆかりのお寺。豆知識として広隆寺の歴史や上宮王院太子殿の存在について知っておいても損はないのかなと思います。
広隆寺の歴史まとめ
以上、広隆寺の歴史をさくっとまとめてみました。広隆寺の歴史を知らないと聖徳太子との関係性がイマイチわからなくなってしまいますが、豆知識として知っておくと広隆寺観光が一層有意義なものになるのではないかと思います。
広隆寺は飛鳥時代からの歴史を持つ、京都のお寺の中でもちょっと変わったお寺。ぜひその歴史や聖徳太子信仰を感じてみてはいかがでしょうか?個人的に広隆寺は大好きなお寺の1つです。人が少ないのに多くの仏像が見れるので!
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