日米安保条約をわかりやすく解説!旧安保・新安保の違いと安保闘争の全貌

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安保条約

もぐたろう
もぐたろう

今回は日米安保条約について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!旧安保・新安保の違いから安保闘争まで、この記事だけで全部わかるよ!

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
🎯 定期テスト・大学受験(共通テスト)に対応

この記事を読んでわかること
  • 日米安保条約とは何か・なぜ締結したのか
  • 1951年の旧安保条約と1960年の新安保条約の違い
  • 安保闘争とは何か・なぜ起きたのか
  • 吉田茂の「軽武装・経済優先」戦略(吉田ドクトリン)とは
  • 日米安保体制が現代の日本にもたらした意義と課題

「日米安保条約は、アメリカに押し付けられた不平等な条約だ」——そんなイメージを持っている方も多いかもしれません。

しかし実は、日米安保条約は吉田茂が意図的に選んだ「戦略的な条約」でした。戦争で疲弊した日本が再び立ち上がるため、防衛コストをアメリカに肩代わりさせて経済復興に集中する——そんな大胆な読みが、この条約の背景に隠れていたのです。

1951年の締結から60年以上が経った今も、日米安保条約は日本の安全保障の根幹であり続けています。この記事では、条約誕生の経緯から安保闘争の真相、そして現代への影響まで、一気にわかりやすく解説していきます。

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日米安保条約とは?

3行でわかるまとめ
  • 日米安保条約は、日本とアメリカが軍事的に協力し、日本の安全を守るための条約
  • 1951年の旧安保は片務的だったが、1960年の新安保で相互防衛義務が明記された
  • 改定をめぐって安保闘争(大規模デモ)が起き、岸信介内閣が退陣した

日米安保条約にちべいあんぽじょうやくとは、正式名称を「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」といいます。日本がアメリカに軍事基地を提供し、アメリカが日本への攻撃に対して防衛する義務を負う——という二国間の安全保障上の取り決めです。1960年の改定版が現在も有効で、日本の防衛政策の根幹となっています。

ゆうき
ゆうき

安保条約って、要するに「日本がアメリカにお願いして守ってもらう」ってことだよね?

もぐたろう
もぐたろう

半分正解!現在の新安保は「日本が攻撃されたらアメリカも一緒に戦う」という相互防衛義務が明記されているよ。でも最初(1951年の旧安保)は、アメリカに防衛義務がない一方通行な条約だったんだ。この「片務的」な内容が後の大問題になるんだよ。

戦後の日本がアメリカと手を結んだ理由

1945年、太平洋戦争の敗北によって日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領下に置かれました。しかし占領期間も永遠には続きません。独立を回復した後、日本はどうやって自国の安全を守るのか——この問いが、日米安保条約誕生の出発点でした。

■ 朝鮮戦争と冷戦の緊張

1950年、朝鮮半島で朝鮮戦争ちょうせんせんそうが勃発しました。アメリカを中心とした国連軍と、ソ連・中国が支援する北朝鮮軍が衝突し、東アジアは一気に緊張状態に突入します。

この戦争は日本に大きな転機をもたらしました。アメリカにとって日本は、極東における最前線の軍事拠点として欠かせない存在になったのです。一方、日本側も「独立後の安全保障をどう確保するか」という課題を突きつけられます。

💡 冷戦とは?——第二次世界大戦後、アメリカ(西側・資本主義)とソ連(東側・社会主義)が直接戦争はしないまま対立し続けた時代(1947年〜1991年)のこと。実際の戦火は朝鮮戦争やベトナム戦争など「代理戦争」の形で起きた。

■ 吉田茂の「軽武装・経済優先」戦略

こうした状況の中、時の首相・吉田茂は大胆な選択をします。「防衛はアメリカに依存し、経済復興に全力を注ぐ」——いわゆる吉田ドクトリンよしだドクトリンと呼ばれる路線です。

日本国憲法第9条で戦力の保持を放棄していたことも、この選択を後押ししました。「憲法上、大きな軍隊は持てない。だからアメリカの軍事力を活用する」——吉田はこの制約を、逆に戦略として利用したのです。

吉田茂
吉田茂

戦争で焦土と化した日本が再び立ち上がるには、防衛にコストをかけている余裕はない。アメリカに基地を提供して防衛を肩代わりしてもらう——これは敗北ではなく、日本再建のための戦略だ。

📖 吉田ドクトリンとは——今でいう「アメリカという傘の下に入ることで防衛費を最小化し、浮いたお金を経済成長に全力投資する」戦略のこと。吉田の読みは見事に的中し、1960〜70年代の高度経済成長につながっていく。

吉田茂がサンフランシスコ平和条約に署名する場面(1951年)
1951年、サンフランシスコ平和条約に署名する吉田茂首相(PD)

旧安保条約(1951年)の内容と問題点

1951年9月8日、日本はサンフランシスコ講和会議でサンフランシスコ平和条約さんふらんしすこへいわじょうやくに署名し、独立を回復しました。そしてその同じ日、日米安保条約(旧安保)にも署名しています。占領の終了と安全保障の取り決めが、同時に行われたのです。

■ 旧安保の主な内容

旧安保条約の内容を一言でまとめると、「日本がアメリカに基地を提供する代わりに、アメリカが日本に駐留する」というものでした。しかし、そこにはいくつかの大きな問題点がありました。

旧安保の問題点①:片務的義務——アメリカは日本を守る義務がない

旧安保の問題点②:内乱条項——日本国内の反乱にも米軍が介入できる

旧安保の問題点③:行政協定——米軍の権利・特権を別途取り決め(国会審議なし)

最大の問題は①の片務性でした。日本はアメリカに基地を提供する義務を負いますが、アメリカには「日本が攻撃されたら助ける」という義務が明記されていなかったのです。今でいうなら、「家賃を払って部屋を貸しているのに、大家が助けてくれる保証がない」ようなイメージです。

②の内乱条項も深刻でした。日本国内で大規模な反乱や暴動が起きた場合、アメリカが要請なしに介入できる——つまり、占領が形を変えて続いているとも解釈できる内容だったのです。

あゆみ
あゆみ

アメリカは日本を守る義務がないのに、日本はアメリカに基地を貸す…これって不平等じゃないかしら?

もぐたろう
もぐたろう

確かに見た目は不平等だね。でも吉田茂の視点で考えると、「防衛義務がない=軍事的な縛りが少ない」ということでもあるんだ。アメリカに再軍備を求められても断れる余地を残したとも言える。吉田がこれを「意図的に」選んだという見方が今は有力だよ。

■ 旧安保への批判と改定要求の高まり

1952年に主権を回復した日本では、次第に旧安保条約への不満が高まっていきます。「独立国なのに、まるで占領の延長ではないか」という感情は、保守・革新の枠を超えて広がっていきました。

特に問題視されたのは、条約に「期限の定め」がなかったことでした。いつまでも一方的に基地を提供し続けなければならないのか——という疑問が、改定要求の原動力となっていきます。1950年代後半、この声に応えようとして登場したのが、岸信介首相でした。

吉田茂の肖像写真
吉田茂(1878〜1967年)。戦後日本の礎を作った宰相(PD)

1960年安保改定:岸信介と新安保条約

1957年に首相の座についた岸信介は、安保条約の改定を政権の最重要課題と位置付けました。「片務的な旧条約を改め、対等な日米同盟を築く」——その強い意志が、やがて歴史的な騒乱を引き起こすことになります。

■ 新安保条約(1960年)で何が変わったのか

1960年1月に調印された新安保条約では、旧条約の問題点が大きく改善されました。以下の比較表で確認してみましょう。

比較項目旧安保条約(1951年)新安保条約(1960年)
アメリカの防衛義務なしあり(第5条)
内乱条項あり(米軍が介入可)削除
条約期限無期限10年(自動延長)
行政協定あり日米地位協定に改定
事前協議制なしあり(重要な変更には協議)

最大の改善点は第5条の追加です。「日本が攻撃された場合、アメリカも共同で対処する」という相互防衛義務が初めて明記されました。これにより、旧安保の「片務的」という批判に一応の答えが出たことになります。

また第6条では、日本がアメリカ軍に施設・区域(基地)を提供することを明記。「安保条約+日米地位協定」という現在の日米安保体制の基本的な枠組みが、この時点で完成しました。

岸信介
岸信介

日本がアメリカと対等な同盟を結ぶ——それが私の悲願だった。旧条約では日本はアメリカに一方的に依存するだけだ。相互防衛義務を明記した新条約こそ、真の独立国としての日米関係の出発点なのだ。

■ 強行採決という岐路

しかし、岸信介の「対等な同盟」への道のりは平坦ではありませんでした。社会党をはじめとする野党は、「安保条約は日本をアメリカの戦争に巻き込む」として激しく反対。国会での審議は紛糾し続けます。

そして1960年5月20日未明、岸内閣は衝撃的な行動に出ます。野党議員を会議場から排除した状態で、警察を導入して残った与党・自民党の議員だけで新安保条約を強行採決したのです。

この一夜の出来事が、国民の怒りに火をつけました。「安保条約への賛否を超えた、議会民主主義の危機だ」——そんな危機感が、空前規模のデモ運動へと膨らんでいきます。

岸信介の肖像写真
岸信介(1896〜1987年)。A級戦犯容疑者から首相へ——波乱の生涯を歩んだ「昭和の妖怪」(PD)

安保闘争とは何か・なぜ起きたのか

1960年に起きた安保闘争あんぽとうそうは、戦後日本最大の政治的混乱の一つです。新安保条約の批准をめぐって、労働組合・全学連(全日本学生自治会総連合)・市民団体が連携し、国会周辺を数十万人規模のデモが取り囲みました。

1960年安保闘争・国会周辺のデモの様子
1960年、安保闘争のデモ(出典:Wikimedia Commons・パブリックドメイン)

安保闘争の「なぜ」を理解するには、二つの怒りを区別する必要があります。一つは安保条約そのものへの反対(「日本をアメリカの戦争に巻き込まれる」)、もう一つは強行採決という手続きへの怒り(「議会民主主義を踏みにじった」)です。特に後者が、デモを一般市民まで拡大させた原動力となりました。

■ デモはなぜここまで拡大したのか

1959年から始まった運動は、翌1960年の強行採決を機に爆発的に拡大します。東京では国会議事堂周辺を囲む人波が連日報道され、デモへの参加者はやがて数十万人規模に達しました。

当時の参加者は、政治活動に縁遠かった普通の学生や市民が多数を占めていました。「戦争はもうこりごりだ」「二度と同じ過ちは繰り返せない」——戦争の記憶がまだ生々しい時代に、「安保改定は戦争への道につながるのでは」という恐怖が人々を突き動かしたのです。

1960年6月15日、東京大学の女子学生・樺美智子(22歳)が国会突入デモの際に死亡しました。優秀な学生が命を失ったこの出来事は社会に深刻な衝撃を与え、「なぜ普通の学生がここまで追い詰められたのか」という問いを日本中に突きつけました。彼女の死は安保闘争の象徴として今も語り継がれています。

ゆうき
ゆうき

安保闘争って、安保条約そのものへの反対じゃなくて、「強行採決」への怒りが大きかったってこと?

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだ!参加者の動機は人によってバラバラで、「安保条約は戦争につながる」という人もいれば、「手続きが民主主義に反する」という人も多かった。その二つが重なったことで、これだけの規模に膨れ上がったんだよ。詳しくは安保闘争の専門記事もあわせて読んでみてね!

■ 岸内閣の退陣と安保条約の発効

国会周辺のデモが続く中、1960年6月19日、新安保条約は国会での議決から30日が経過したことで自然承認(審議なしに成立)されました。条約は発効しましたが、政治的な代償は計り知れないものがありました。

岸信介首相は批准書交換による条約発効と同じ6月23日に退陣を表明。「条約は成立させた。しかし国民の信頼を失った」——岸はそう語ったと伝えられています。安保闘争は、条約の内容をめぐる争い以上に、戦後民主主義のあり方を問い直す出来事となりました。

岸信介
岸信介

条約は成立した。しかし国民の大多数が反対している以上、私が内閣を続けることは民主主義の精神に反する…。歴史の審判を受けるしかない。

日米安保体制とは何か・米軍基地問題

「日米安保条約」と「日米安保体制」——似た言葉ですが、意味は少し違います。日米安保体制にちべいあんぽたいせいとは、安保条約だけでなく、日米地位協定・日米防衛協力のための指針(ガイドライン)・在日米軍の存在などを全て含めた、日米間の安全保障の「仕組み全体」のことをいいます。

■ 沖縄への基地集中と地位協定問題

現在、日本には約70ヶ所以上の在日米軍施設がありますが、その約70%が面積でいうと沖縄おきなわに集中しています。沖縄は日本の国土面積の約0.6%に過ぎないにもかかわらず、これだけの基地が集中している背景には、1972年の本土復帰まで沖縄がアメリカの施政下に置かれていたという歴史があります。

また、日米地位協定にちべいちいきょうていは、在日米軍の法的地位(裁判権・税制・基地外の行動など)を定めた協定ですが、「日本の主権が制限されている」として批判も多く、現在も改定を求める声が続いています。

■「核の傘」と日本の安全保障

日米安保体制のもう一つの重要な柱が、核の傘かくのかさ(拡大抑止)です。これは、アメリカが持つ核兵器の抑止力を日本の防衛にも活用する——という枠組みです。

ところが日本は非核三原則ひかくさんげんそく(核兵器を「持たず・作らず・持ち込ませず」)を国是としています。「核の傘に守られながら、核兵器を持ち込ませずというのは矛盾では?」——この問いは、現在も政策論争の的になっています。

あゆみ
あゆみ

結局、日米安保条約って日本にとって「得」なの?「損」なの?

もぐたろう
もぐたろう

これは一言では答えられない難しい問いだね。「得」の面でいえば——低コストの防衛で高度経済成長を実現できた、アメリカの核抑止力で北朝鮮・中国への抑止効果がある。「損」の面でいえば——沖縄への基地集中、地位協定による主権制限、「アメリカの戦争に巻き込まれるリスク」などがある。正解はなく、今も議論が続いているテーマだよ。

現代の安保体制:集団的自衛権・安保法制から今日まで

1960年に発効した新安保条約は、その後も形を変えながら現代まで続いています。「条約は同じ」でも、その運用は時代ごとに大きく変化してきました。

■ 冷戦終結後のガイドライン改訂

1997年、日米両政府は「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を改訂しました。冷戦が終わり、北朝鮮問題や中国の台頭という新たな脅威に対応するため、日本の後方支援の範囲が大幅に拡大されたのです。

2015年にはさらに改訂が加えられ、日本が世界のどこへでも後方支援を行える体制が整えられました。安保条約の枠組みは、冷戦後も「生きた条約」として進化を続けています。

■ 2015年安保法制と集団的自衛権の行使容認

2015年、安倍晋三内閣は「安全保障関連法(安保法制)」を成立させました。これによって、これまで憲法上「行使できない」とされてきた集団的自衛権の一部行使が容認されることになります。

📖 集団的自衛権とは?
同盟国が攻撃されたとき、自国が直接攻撃されていなくても防衛行動をとる権利のことです。今でいう「友達がケンカに巻き込まれたら一緒に戦う」権利、というイメージです。従来の日本はこれを「保有はするが行使はしない」と解釈してきました。

安保法制の成立をめぐっては、2015年夏に国会前を数万人が取り囲むデモが起きました。55年前の安保闘争と重なるような光景に、多くのメディアが注目しました。

ゆうき
ゆうき

安保法制って、安保条約そのものを変えたの?それとも別の話?

もぐたろう
もぐたろう

条約の文言は変えていないんだ。でも「集団的自衛権の解釈」を政府が変更して、日本の防衛協力の範囲を広げたんだよ。条約は同じでも、運用は大きく変わった、ってイメージだね。

■ 世論の変化:「反対多数」から「支持多数」へ

安保闘争が激化した1960年当時、日本の世論は安保条約「反対」が多数でした。国会周辺に集まる数十万人のデモは、まさにその表れでした。

ところが現在、世論調査では日米安保条約を「必要」と答える人が大多数を占めています。なぜ、これほど劇的に変化したのでしょうか。

世論が変化した3つの理由:①経済成長の成功体験(吉田ドクトリンの成果) ②北朝鮮・中国の脅威増大 ③「安保なしでは立てない」という現実認識

高度経済成長の成功が「軽武装・経済優先」路線の正しさを証明し、冷戦後には北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の軍事力増強が安保体制への支持を強めました。吉田茂が選んだ「アメリカとの同盟」という選択肢は、70年以上経ったいまも日本外交の基軸であり続けています。

もぐたろう
もぐたろう

「安保条約は正解だったのか?」という問いに答えるのは難しいんだけど…少なくとも、吉田茂が選んだ枠組みが70年以上機能し続けているのは確かなんだよね。課題も多いけど、これが日本の現実なんだ。

テストに出やすいポイント

定期テストや共通テスト・大学受験に出やすいポイントをまとめました。年号・人物名・条約の内容はセットで覚えておきましょう。

テストに出やすいポイント
  • 旧安保条約(1951年)の特徴:片務的・アメリカに防衛義務なし・内乱条項あり
  • 新安保条約(1960年)の特徴:第5条で相互防衛義務・内乱条項削除・10年自動延長
  • 旧安保と新安保の違い(比較問題として頻出)
  • 安保闘争のきっかけ:1960年5月の強行採決→退陣した首相:岸信介
  • 吉田ドクトリン:軽武装・経済優先路線。防衛コストをアメリカに肩代わりさせる戦略
  • サンフランシスコ平和条約と同日署名(1951年9月8日)という出題パターンに注意

📝 共通テスト対策ポイント
「歴史総合」では戦後日本の安全保障体制をグローバルな視点で問う問題が出題されます。「なぜ日本はアメリカと同盟を結んだのか」「冷戦構造の中での日本の位置づけ」を説明できるように準備しておきましょう。

あゆみ
あゆみ

テスト対策だけじゃなくて、現代のニュースを理解するためにもすごく大事な知識ね。「安保法制」とか「在日米軍」とかニュースでよく聞くものが、ようやく繋がってきた気がするわ。

もぐたろう
もぐたろう

そうそう!日米安保条約は「過去の歴史」じゃなくて今も生きてる条約だからね。現代のニュースと結びつけて理解できると、社会が一気に見えてくるよ!

もっと深く知りたい人へ:おすすめの本

① 日米安保体制の通史を一冊で学びたい高校生・大学生なら|旧安保から現代までの変遷を網羅

日米安保体制史

吉次 公介 著|岩波書店(岩波新書)

よくある質問

日本とアメリカが安全保障上の協力関係を定めた条約です。日本はアメリカ軍に基地を提供し、アメリカは日本が攻撃された際に共同して防衛する義務を負います(新安保条約・第5条)。1951年に締結された旧条約が1960年に改定され、現在の形になりました。

旧安保(1951年)はアメリカに日本を防衛する義務がない「片務的」な条約でした。また、日本国内の反乱に米軍が介入できる「内乱条項」も含まれていました。新安保(1960年)では第5条で相互防衛義務が明記され、内乱条項は削除されました。条約の有効期間も10年ごとの自動延長方式に変わっています。

1960年の新安保条約改定に反対して起きた大規模なデモ運動です。反対の理由は2つありました。①安保条約そのものへの反対(米軍基地の継続・核の傘問題)と、②岸信介内閣が社会党議員を排除して深夜に強行採決したことへの憤り(議会民主主義の危機)です。国会を囲む数十万人規模のデモに発展し、東大生・樺美智子がデモ中に亡くなったことで社会的衝撃が広がりました。

吉田茂首相が推進した「軽武装・経済優先」路線のことです。防衛コストをアメリカに肩代わりさせ、日本は経済復興・成長に集中するという戦略です。今でいう「アメリカの傘の下でコストを最小化する安全保障戦略」というイメージに近いです。この路線が戦後の高度経済成長を可能にしたと評価される一方、安全保障上の自立性を損なったという批判もあります。

有効です。1970年以降は自動延長で継続中で、2026年現在も日本の安全保障政策の根幹となっています。2015年の安保法制により集団的自衛権の行使が一部容認され、日米の軍事協力の範囲は拡大しています。在日米軍の駐留経費・沖縄基地問題など課題も多いですが、条約の枠組み自体は変わっていません。

主な理由は2つです。①地理的な戦略価値:東アジア・東南アジアへの迅速なアクセスが可能な位置にあること。②歴史的経緯:沖縄は1945年の地上戦後にアメリカが直接統治し、1972年の本土復帰時も旧来の基地配置がそのまま維持されたことです。日本の米軍基地面積の約70%が沖縄(国土面積の0.6%)に集中しており、これが「沖縄の基地負担問題」として現在も議論されています。

まとめ:日米安保条約を振り返る

日米安保条約の年表
  • 1950年6月
    朝鮮戦争勃発。東アジアの緊張が高まり、日米安保締結に向けた動きが加速
  • 1951年9月8日
    サンフランシスコ平和条約と同日に旧安保条約に署名(吉田茂)
  • 1952年4月28日
    旧安保条約発効・日本独立回復(占領終結)
  • 1957年
    岸信介内閣成立。旧安保の不平等性を問題視し、改定を政策目標に掲げる
  • 1960年1月
    新安保条約・日米地位協定に調印(ワシントン)
  • 1960年5月20日
    衆議院本会議で新安保条約を強行採決。安保闘争が激化
  • 1960年6月15日
    樺美智子(東大生・22歳)がデモ中に死亡。アイゼンハワー大統領訪日中止
  • 1960年6月19日
    新安保条約が参院未採決のまま自然承認(成立)
  • 1960年6月23日
    新安保条約が発効(批准書交換)。岸信介内閣が退陣表明
  • 1970年
    条約の自動延長が始まる(以降10年ごとに更新継続)
  • 1972年5月
    沖縄返還。ただし米軍基地は維持され、沖縄の基地負担問題が継続
  • 2015年
    安保法制成立。集団的自衛権の行使容認・日米ガイドライン改訂
  • 現在
    日米安保体制は継続中。沖縄基地問題・駐留経費交渉・台湾海峡問題が課題

もぐたろう
もぐたろう

以上、日米安保条約のまとめでした!吉田茂・岸信介・安保闘争の詳しい記事もあわせてチェックしてみてください。安保条約は「過去の条約」じゃなくて、今まさに機能している条約だからね。ぜひ現代ニュースとつなげて考えてみてよ!

日米安保条約のポイントまとめ
  • 1951年の旧安保条約はアメリカに防衛義務がない片務的な条約だった
  • 1960年の新安保条約で第5条に相互防衛義務が明記(内乱条項も削除)
  • 安保闘争は強行採決への怒りも加わり数十万人規模のデモに発展→岸信介退陣
  • 吉田茂の吉田ドクトリン(軽武装・経済優先)が高度経済成長の土台となった
  • 2015年の安保法制で集団的自衛権の一部行使容認。条約の運用範囲が拡大
  • 現在も有効。沖縄基地問題・駐留経費問題など課題は続いている

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📅 最終確認:2026年4月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(2026年4月確認)
Wikipedia日本語版「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧安保・2026年4月確認)
Wikipedia日本語版「安保闘争」(2026年4月確認)
コトバンク「日米安全保障条約」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
外務省「日米安全保障条約(主要規定の解説)」https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku_k.html(2026年4月確認)
山川出版社『詳説日本史』(2022年版)現代史章

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この記事を書いた人
もぐたろう

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