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引付と引付衆を簡単にわかりやすく解説するよ【三問三答の訴訟制度までバッチリ理解しよう】

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もぐたろう
もぐたろう

今回は、北条時頼ほうじょうときよりが設置した引付ひきつけ引付衆ひきつけしゅうについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ

この記事を読んでわかること
  • 引付・引付衆ってなに?
  • なぜ引付・引付衆が置かれたの?
  • 引付・引付衆はどんなことをしていたの?
  • 鎌倉時代(引付設置後)の訴訟制度を知りたい!
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引付・引付衆とは

引付とは、評定ひょうじょうの下に設置された所領裁判の仕事に特化した部署のこと。5代目執権の北条時頼が設置しました。

引付衆は、引付で働く人の役職のこと。

引付衆の中には、偉い順に頭人・引付衆・引付奉行の大きく3つの役職があって、引付衆はこの3つの中間に位置する役職でした。

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引付はなぜ設置されたのか?

引付という部署が新しく設置されたのは、北条時頼の時代になると評定の仕事が多すぎてパンクするようになったからです。

評定は、執権・連署・評定衆が話し合いによって鎌倉幕府の政策などを決める機関。評定は鎌倉幕府の最高機関であり、評定の決定はそのまま鎌倉幕府の決定となりました。

下の図が、評定の仕組みです。

評定では鎌倉幕府の多岐にわたる決定を行い、その決定内容に基づいて、政所・侍所・問注所が役割分担をして仕事を行います。

政所・侍所・問注所

政所まんどころ→政務を行う部署

侍所さむらいどころ→軍事・警察の任務を行う部署。刑事訴訟も管轄

問注所もんちゅうじょ→訴訟問題を扱部署

この中でも、特に膨大な仕事量だったのが、問注所が管轄する所領をめぐる訴訟問題でした。

北条時頼の時代は、鎌倉幕府設立から約50年が経過しています。。50年の間で、鎌倉幕府の組織は少しずつ進化し、それに合わせて紛争を平和的に解決する裁判・訴訟の制度も少しずつ確立するようになってきました。

一方で、裁判制度が確立すると、鎌倉幕府が処理する訴訟は年々増え続けるようになり、北条時頼の時代になると、評定だけでは判決を下しきれなくなってしまったのです。

評定は、訴訟以外にも鎌倉幕府のさまざまな決定を下す機関です。その評定が訴訟問題でパンクしてしまうと、他の重要な決定を下すことができず、鎌倉幕府の政治運営に大きな支障が生じかねません。

そこで5代目執権の北条時頼は考えます。

北条時頼
北条時頼

所領をめぐる訴訟が多すぎて評定衆の仕事がうまく進まないんだが・・・。

いっそのこと、所領をめぐる訴訟に特化した新しい部署を立ち上げて、評定で所領をめぐる訴訟を扱うことはやめてしまおう!これだけ仕事が増えているのだから、専門の部署を作るのは当然の成り行きだ。

なぜ所領をめぐる訴訟が増えたのか?

所領(土地)というのは、今でいうお金に等しい価値を持っています。

当時の人々は、お米を中心とした作物を、生きる糧にすると同時に物を手に入れたり税を納めるためのお金としても利用していました。

では、大儲けする(作物を増やす)にはどうすればよいか?

その方法は大きく2つ。作付面積を増やすか、作物の栽培効率を上げるかです。

そして、作付面積を増やすには土地が必要です。つまり、所領を持つ御家人たちが豊かになろうと思うと、どうしても土地が必要なのです。

御家人たちが一族繁栄のために、あの手この手で他人の所領を奪おうとした結果、所領をめぐる訴訟が多発するようになったわけです。

ここまでの話がよくわからない方は、評定衆の記事も合わせて読んでみてくださいね!

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引付の仕組み

鎌倉幕府に引付が置かれた結果、幕府の仕組みは下図のようになりました。

評定衆の右側からニョキっと出ているのが引付です。

所領訴訟に関する仕事を問注所から引付に移行。ただし、全ての仕事が引付に移ったわけではなく、一部の仕事は引き続き問注所で行いました。(詳細は後述します)

引付が設置された後、問注所は所領訴訟の一部の仕事と、その他雑多な訴訟を担当する部署へと変わりました。

設置当初の引付は3チーム編成で、それぞれ一番・二番・三番と呼ばれていました。

そして、それぞれのチーム内には頭人とうにん引付衆ひきつけしゅう引付奉行人ひきつけぶぎょうにんという3つの役職が置かれ、次のような役割分担で所領訴訟の処理を行いました。

頭人

各番のリーダー。頭人は、評定衆の中から選ばれた人物が担当しました。つまり、頭人と評定衆は兼任ということです。(ここは地味に重要)

引付衆

頭人と一緒に、所領訴訟の判決を話し合うメンバーのこと。

評定衆の中から選ばれることもあれば、新しい人物が選ばれることもありました。

評定衆以外から引付衆に選ばれた人物には、将来の評定衆メンバーの候補となる有力者が選ばれました。

引付奉行人

実際に所領訴訟の実務を行う人たちのこと。引付奉行人は、訴えた人(原告)・訴えられた人(被告人)の意見や証拠を整理することで、頭人や引付衆を補佐するのがメインの仕事です。

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鎌倉時代の裁判の仕組

所領訴訟の仕事を引付が一手に引き受けたことはわかったけど、実際の訴訟ってどうやって行われたの?

もぐたろう
もぐたろう

という疑問もあるかと思うので、ここまでに紹介した引付の仕組みを踏まえた上で、次は実際の裁判がどのように行われたのかを紹介していくよ!

鎌倉時代(引付設置後)の裁判制度

上図を参考に説明をしていきます。

(1)訴訟を起こす

まずは、鎌倉幕府に対して訴えを起こします。訴訟の窓口になるのは問注所です。

引付設置後も問注所に一部仕事が残ったという話をしましたが、この窓口業務が残った仕事です。

訴人
訴人

もぐたろうとかいうヤツが、いきなり俺の土地にやってきて好き放題された挙句、そのまま奪われてしまった!!

鎌倉幕府に訴えて裁判を起こそう!!

(2)〜(6)三問三答

問注所が受付した訴訟が引付奉行人に渡されると、さっそく訴訟が始まります。

最初は、引付奉行人を通じた文書のやりとりによって、お互いに意見を述べます。

文書のやりとりは3回行われたため、この手続のことを三問三答さんもんさんとうと言います。

訴人
訴人

その土地は、古来より朝廷に認められている由緒ある私の土地だ。お前が支配する道理などない。

なぜそのような蛮行をするのか。

論人
論人

私は鎌倉幕府から地頭に任命されている。

私はただ、領主のあなたへしっかりと年貢を納められるよう、地域密着で現地農民の指導・監督をしていただけだ。

それを支配だなんて言われても困る。むしろしっかりと年貢を徴収している地頭の私に感謝して欲しいぐらいだ。

訴人
訴人

ふざけるな!もともと私の所領では、地頭などいなくても農民たちは年貢を滞りなく納めてくれていた。お前の存在など不要なのだ。

領主である私がその土地から追い出されるとはどういうことだ。おまけに、お前はそこで働いている農民たちを奴隷のように扱っているようだな。

これのどこが指導・監督だ。詭弁もいい加減にしろ!

論人
論人

滞納されてから対応するのでは遅いのですよ。

それに、もともと年貢を納めるのは、農民にとっては厳しい仕事であって、私がいたから奴隷のように見えたわけではない。あなたを土地に入れないのも、あなたが農民に何か悪知恵を吹き込もうとしているかもしれないという、私の配慮によるものだ。

私は幕府から与えられた地頭という職務を全うするために、万全を期しているだけだ!

訴人
訴人

俺は知っているぞ。お前はいつも、必要な年貢の8割しか渡してくれないが、裏では農民を酷使して必要以上の年貢を納めさせ、その一部で私腹を肥しているということを!!

これは明らかに御成敗式目第5条に反する!!。これまでお前に怯えて言えなかったが、訴訟の場だから言わせてもらう。これまで未納し続けた年貢も、この際全部払いやがれ!!!

もぐたろう
もぐたろう

・・・そんなの言いがかりだ!!証拠はあるのか証拠は!!

(7)〜(9)裁判開始!

三問三答が終わると、次は引付が訴人・論人に対して呼び出し状(召文めしぶみ)を出して、両者を引付に出頭させて、口頭による弁論を行わせます。

訴人
訴人

引付の方々、これがもぐたろうが不正に年貢を納めなかった証拠です!!

明らかに御成敗式目違反ですよね!!

もぐたろう
もぐたろう

その文書が証拠だと?私にも見せてみろ。

・・・こんな文書、誰でも簡単に偽装できるものだ!そんなもの、正式な証拠にはならない。勝手な言いがかりはこれ以上やめろ!!

(10)〜(12)判決

弁論が終わると、引付で判決の原案を作成し、最後は評定で原案を採用するか否かを決定します。

とはいえ、引付の原案が評定で覆ることは基本的にありません。なぜなら、引付の頭人や引付衆の一部が評定を兼任しているからです。

こうすることで、評定の意見が最初から引付の原案に反映されるため、引付と評定で賛否が分かれることがなくなります。

つまり、評定衆に頭人・引付衆を兼任させることで、訴訟処理が円滑に進むようになり、おまけに評定は原案にOKをするだけなので、評定の仕事負担軽減にもつながった・・・というわけです。

最後は、評定から勝訴人に下知状げじじょう(鎌倉幕府の公式命令文)を送り、必要な指示を行いました。

訴人
訴人

幕府から下知状が届いた。つまり、私は訴訟に勝ったのだ!!!

下知状には、土地の返還と、これまでの未納分の年貢の追納について書かれている。大人しく従ってもらおう。

もぐたろう
もぐたろう

ぐぬぬ・・・

(幕府の決定に逆らったら、地頭の身分を剥奪されるし言うことを聞くしかない・・・)

このような手続を引付の一番〜三番のチームで行っていくことで、膨大な所領訴訟を処理していったわけです。(チーム数は時代によって増えることもありました。)

三問三答→口頭弁論と言う手続は、とても手間と時間がかかる手続です。訴訟が増えると評定衆や問注所の仕事が大変になってしまうのもわかりますね。

ただ、大変なのは訴訟の当事者(原告・被告)も同じです。早期解決を目指したい場合や、訴訟にまで手が回らない場合、争いは両者の話し合いによって解決されることも多々ありました。訴訟によらない解決方法で代表的な方法こそが、教科書にも載っている地頭請・下地中分と呼ばれる方法です。

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引付・引付衆まとめ

北条時頼は、引付の設置によって訴訟の迅速化を図り、鎌倉幕府の裁判所としての信頼性を高めようと考えていました。

その目論見は確かに成功しましたが、鎌倉時代末期になって得宗専制政治が始まると、評定衆が実権を失うのに合わせて、引付も形骸化していくことになります。

この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

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