幕政改革と化政文化
享保の改革・田沼時代・寛政の改革が交錯した83年間。喜多川歌麿・平賀源内・蔦屋重三郎ら化政文化の担い手が江戸を彩る。
紀州藩主から将軍に就任した吉宗は、幕府財政の立て直しを最優先に享保の改革を断行します。上米の制・足高の制・公事方御定書・目安箱の設置など、実務的な改革が幕政を刷新しました。
吉宗はキリスト教に関わらない漢訳洋書の輸入を認め、実学奨励の姿勢を示します。これが後の蘭学隆盛の端緒となり、青木昆陽らが蘭語習得に励みました。
上巻(法令集)・下巻(刑事法典)からなる公事方御定書が完成。幕府の司法基準が統一され、裁判の公平性が高まりました。享保の改革の総仕上げともいえる法典です。
徳川家治が10代将軍に就任。温厚な性格で政治より囲碁を好んだとも伝わる家治のもと、側用人から老中格に昇り詰めた田沼意次が実質的な幕政を主導していきます。
田沼意次が老中に就任し、商品流通の活性化・株仲間の公認・印旛沼干拓・長崎貿易拡大など重商主義的政策を次々と推進。賄賂政治との批判も受けましたが、実は先進的な経済感覚の持ち主でした。
発明家・本草学者・戯作者として多彩な才能を発揮した平賀源内が、オランダ製摩擦起電機を復元・改良したエレキテルを完成。田沼時代の自由な文化的空気が生んだ江戸のダ・ヴィンチ的存在です。
出版プロデューサー・蔦屋重三郎が喜多川歌麿や東洲斎写楽を世に送り出し、浮世絵・黄表紙・洒落本が花開きます。庶民文化が成熟した化政文化の最盛期を迎えました。
田沼政治の腐敗への反動として、老中・松平定信が緊縮財政・風紀取締り・旗本御家人の救済(棄捐令)などを柱とする寛政の改革を断行。厳格すぎる統制は反発を招き、6年余りで退任となります。
ロシア使節ラクスマンが根室に来航し、通商を要求します。幕府は長崎への入港を許可する信牌を与えて事実上拒否しますが、これ以降、外国船の来航が相次いで鎖国体制が揺らぎ始めます。
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