奈良時代

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藤原不比等とは?系図などをわかりやすく【藤原宮子と光明子】

今回は、藤原不比等(ふじわらのふひと)という人物について紹介しようと思います。藤原不比等は、700年前後(飛鳥時代末期〜奈良時代初期)に官僚として活躍した人物で、平安時代に朝廷を支配した藤原氏の祖として藤原氏の地位を高めた日本古代史の重要人物です。 藤原不比等と父の鎌足 藤原不比等の父は、乙巳の変(大化の改新)で中大兄皇子と共に政治を牛耳る蘇...
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墾田永年私財法とは?簡単にわかりやすく解説【公地公民制の崩壊】

今回は、奈良時代の743年に施行された墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)について解説します。名前ぐらいは響きが良いので知っている人も多いのではないでしょうか 墾田永年私財法の前身、三世一身の法 722年、百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうふかいこんけいかく)っていう計画が出されます。 簡単に言うと「もっと金欲しいからみんな...
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租、調、庸って何?簡単にわかりやすく解説!【奈良時代の税制度】

今回は主に飛鳥時代末期〜奈良時代に導入された租(そ)・調(ちょう)・庸(よう)という3つの税制度について解説したいと思います。学生の方は受験用に、大人の方は雑学としてぜひ。 祖・調・庸とは? 租・調・庸は、大国の唐を参考に作られた税制度。唐の制度をそのまま導入すると、日本に馴染まないため、唐の制度を日本風に改良したものが租・調・庸になりま...
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桓武天皇が平安京に遷都した理由とは?超丁寧に解説してみる。

前回は、桓武天皇即位のお話をしました。 桓武天皇の即位は、天武天皇の血統を断絶させたまさに革命とも言える出来事でした。考え方によっては、天皇家が一度断絶したと言うこともできるかもしれません。 桓武天皇は、天皇に即位してすぐに平城京からの遷都を決定します。今回は、なぜ平安京へ遷都したのか?という点を見ていきます。 桓武天皇...
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日本人なら知っておけ!桓武天皇の偉業【なぜ平安京へ遷都したのか】

前回の記事は、道鏡が前代未聞の臣下からの天皇即位を試みたが失敗に終わったお話でした。 道鏡の天皇即位は失敗に終わりましたが、結局、誰が次期天皇となるかは決まらず、根本的な問題の解決には至りませんでした。 そんな中、称徳天皇が逝去します。770年、道鏡による宇佐八幡宮神託事件の翌年でした。 称徳天皇の逝...
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誰でもわかる道鏡!簡単にわかりやすく紹介【その生涯や宇佐八幡宮神託事件など】

今回は、奈良時代末期に活躍した道鏡(どうきょう)という人物について紹介します。 道鏡の評判はすこぶる悪いです。語弊があるのを覚悟で言えば 孤独な40代独身の女帝の心の弱みにつけ込み、その持ち前の巨根で女帝の気持ちを鷲掴み。道鏡にメロメロになった女帝を利用して皇位簒奪を企んだ超悪いやつ! っていうのが道鏡のイメージ。古...
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誰でもわかる面白い藤原仲麻呂の乱【孝謙上皇と淳仁天皇】

前回は、道鏡を寵愛する孝謙上皇とそれを諫めた藤原仲麻呂and淳仁天皇とが対立を深めていったお話でした。 そして、その対立は遂に乱に発展します。 今回は、藤原仲麻呂の乱のお話です。 水面下での戦い -人事をめぐる争い- 道鏡を諫められブチ切れした孝謙上皇は、攻勢に出ます。 道鏡に「小僧都」という公式な僧侶の...
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道鏡と孝謙(称徳)の恋の予感!?水を差す淳仁天皇

前回(藤原仲麻呂って何をした人?【孝謙天皇と橘奈良麻呂の乱】)は、藤原仲麻呂が光明子の権勢を背景に独裁政治を築き上げ、その総仕上げとして傀儡の淳仁天皇を即位させたお話をしました。しかし、藤原仲麻呂の影の支援者であった光明子が760年に亡くなったことで藤原仲麻呂の権勢にも終わりが見え始めます。 そのきっかけとなったのが、道鏡(どう...
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藤原仲麻呂って何をした人?【孝謙天皇と橘奈良麻呂の乱】

さて、前回(学校では教えてくれない日本の聖人、行基の話-聖武天皇、東大寺の大仏造立へ-)は聖武天皇の大仏造立のお話をしました。 大仏造立後の日本は、聖武天皇の願いも空しく、陰謀渦巻く陰湿な政治闘争の時代へと突入していきます。そして、時代は少しずつ、平安京の時代へとシフトし始めるのです。 実はこのあたりの話、結構マニアックで...
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誰でもわかる鑑真!わかりやすく丁寧に紹介【なぜ日本に戒律を伝えたのか】

ちょうど、聖武天皇や行基が奈良の大仏を造立している頃、日本の仏教史を大きく塗り替えた1人の僧侶が唐から日本へやってきました。鑑真(がんじん)です。(上の写真) 鑑真は、唐の皇帝から「鑑真、あなたは唐にとってなくてはならない方だ。日本へ行ってはなりません。」と言われるほど、才能豊かで博識な人物でした。 鑑真は日本に計...